真実の愛 5
教室に入ると、なんだか周りが自分を見ているような気がした。
直接何かを言ってくる人はいないけれど、聞こえてくるのは私の名前と真実の愛という言葉。
このクラスは、エリザベスもグレイもいる。嫌な思いをするのは、私だけじゃない。本当に申し訳ないと思う。
担任のフェベック・ヴァルナーが教室に入ってくると、ようやくざわめきがおさまった。
「先生!」
突然グレイが手を挙げた。
「なんだ?」
「少し、クラスのみんなに話したいことがあるのですが」
グレイは周囲をぐるりと見まわした。
「わかった。発言していい」
ヴァルナーが頷くと、グレイは、教壇の前に立った。
窓から差し込む光にグレイの髪がキラキラと反射する。思わず息をのむほど美しかった。
「今朝、私がトラウ嬢に愛を囁いたという『噂』を聞いた。言っておくが、事実無根だ」
しんと静まり返った中に、グレイのよく通る声が響く。
「トラウ嬢は良き友人だが、それだけだ。私の婚約者はエリザベス・マクゼガルド公爵令嬢なのだから」
グレイは大きく息を継いだ。
「私がトラウ嬢に愛を語るなどありえない。また、トラウ嬢が私に愛を語ることもない。これだけはまずはっきりさせておきたい」
クラスメイト達は、グレイの言葉に聞き入っている。
「ゆえに、今後、この件に関して私が耳にすることになったら皇室への暴言として処理する。学内は平等であり、私の権威を振りかざすのは避けたいとは思うが、人への誹謗中傷はそもそも人間として許せない」
ぎろりとグレイの目がクラスメイトを見回した。何人かの生徒の肩が震えるのが見えた。
「言っておくが、私に関してだけではなく、トラウ嬢に関してもだ。そして、私はこの卑劣な噂の出所を知りたい。今回のようなでたらめを吹聴した輩を私は許しはしない。以上だ」
グレイが言い終わると、エリザベスが私の方に振り返ってにこりと笑った。
グレイはやっぱり原作と一緒でやる時はやる皇太子だった。むろん今回の件は、彼自身の自衛のためというのもあろう。大好きなエリザベスに誤解をされたくもないだろうし。
そして。原作の私が、グレイの信用を得られず断罪された意味も分かる。
彼は、噂で人を貶めるような行為を許さない人なのだ。
これで、少なくともこの教室でこの噂を口にする者はいなくなる。
グレイはやはり、皇太子だ。
自分の席に戻ったグレイの背中を見ながら、私はしみじみと彼が敵でなくてよかったと思った。
クラス内での誤解は解けたけれど、周囲の誤解が完全になくなるのは難しい。
とはいえ、グレイがあれだけ大演説をしてくれたので、人づてに広まって、おさまっていくだろうとは思う。
三限目は移動教室。魔術薬の授業だ。
「アリサ、お前、すごいな」
荷物を持って廊下に出ると、ロバス・ラーズリに声を掛けられた。
「何がですか?」
すごいと言われるようなことの心当たりがない。
「考えてみろ。皇太子の相手と噂になるって、ある意味ものすごいことじゃないか?」
「いや、まあ、それはそうですが」
ロバスの言いたいことはわかる。けれど、全然うれしくはない。名誉でもなんでもないし。下手したらグレイに恨まれる。
「ええと。あの手の噂は、ある程度信憑性がないと広まらないものだ」
「どういう意味ですか?」
「そんな怖い顔をするな。何も悪女だと言っているわけじゃない」
ロバスは首を振った。
「つまり、アリサは皇太子に選ばれてもおかしくないほどの器量があるって証拠だ」
「……たまたまそこにいたからって気もしなくもないのですが」
グレイはモテるけれど、エリザベスに一途だから、あまり女性と接点を持とうとしない。
たまたまエリザベス以外に私がいた、ってだけなのではないだろうか。
「実際オレも信じた。すまなかったな。誹謗中傷する奴がいたら、守ってやるって言っていたのに」
「いえ。お気になさらず」
ロバスには、うわさを否定するだけの情報がなかった。それに。ロバスにただ庇ってもらっても、私の無実は証明できない。むしろ『ほかの男性』に庇われることで、さらに悪評が立っただろうなと思う。
「ところで、ラーズリさまは、どこで噂を聞かれたのですか?」
「部活の先輩が話してた。オレが同じクラスだからって、アリサはどんな女性か聞かれた」
「部活の先輩?」
「ああ。三年の先輩だ。ただ、オレが聞いたのは、殿下とアリサが一緒に食事をしているって話だけど」
そういえば、部活のヴァネッサ・レイナルも、食事のことだけ言っていた。
ひょっとしたら、『真実の愛』は、別系統から来ているのかも。
「アリサが特待生で頭がいいって話したら、先輩とかがめちゃくちゃ納得していてさ。何だろうって聞いたら、そういう話だった」
ロバスは肩をすくめる。
「つまり、その先輩たちは私をよく知らなかったってことですか?」
「まあ、そうだな。顔も知らなかったみたいだ。聞かれたのは三日前だな」
「その先輩がたが、どこから聞いてきたのか調べていただけますか? 少なくとも私を知らない以上、直接見たわけではないのでしょうし」
私は特待生だから、全く目立たないというわけではない。
ルークも貴族の嫡子は特待生に目を置いているというようなことを言っていた。だから、昼食の時、グレイといるところを見られて、名前を特定されることはそれほど不思議でもない。
ただ、エリザベスの存在を抜いて広まったことは謎だ。
「わかった。調べてみるよ」
ロバスは頷いた。
「きちんと調べたら、殿下のためにもなるしな」
「はい。むしろ私よりも殿下の名誉のためにお願いいたします」
私は頭を下げる。ルークやグレイも調べるだろうけれど、情報は多い方がいいのだ。
「そんなアリサだからこそ、変なリアリティがついてしまったんだろうな」
ロバスが何かを悟ったかのように呟いた。
お昼は一人で行こうと思い、教室を抜け出ようとした。
授業は終わったばかりで、みなはまだ教科書を片付けている。
「アリサ、そんなに急いでどこに行くの?」
「エリザベスさま」
エリザベスは私を呼び止め、にっこりと微笑んだ。
でも、目が笑っていない。ちょっと怖い。
「一人で食事に行こうとしているでしょう?」
「ええと。はい」
私は素直に頷いた。
「いろいろとご迷惑をかけますので」
そもそも食事を一緒にしていたから生まれた噂である。
「あら、殿下がいっしょでなければ、誰も何も言わないでしょ。私を避ける必要はないのではなくて?」
それはそうかもしれないけれど。
「殿下とエリザベスさまがお二人で食事をなさったほうが、変な噂は消えるのではと」
「殿下は一人でも、酷いことを言われることはないわ。でも、アリサは違う」
エリザベスは、まっすぐに私を見た。
「私はアリサを守りたいの。私と一緒なら、酷いことを言われないと思うから」
「エリザベスさま……」
確かに。エリザベスと一緒なら、面と向かって悪口を言う人間は減るだろう。
「でも」
「お願い。私にあなたを守らせて。それにあなたを守ることは、殿下や私を護ることにもなると思うの」
「……はい」
真剣なエリザベスの顔に押し切られ、私は頷いた。
食堂に入ると、あちらこちらから視線を感じた。それでも悪口らしいものは聞こえてこない。私一人なら言われたかもしれないが、エリザベスと一緒だからだろう。
いつもと同じようにテラス席に出る。遠くからの視線は感じた。ある程度のことは仕方ない。もともと、エリザベスは注目されているから、視線がゼロになることはないのだ。
「私とアリサが本当にお友達だって、みんなにわからせてやらなきゃ」
エリザベスはかなり怒っているようだ。
ナーザントは私とエリザベスが友人であるということを最初信じてはくれなかった。もっとも、そこだけじゃなくて、全面的に私を否定していたのだから、そこだけ信じなかったってわけじゃない。
あの時。
ルークが来てくれなかったら、私の心は冷え切ってしまったに違いない。
「エリザベスさまは、噂をご存知だったのでしょうか?」
「二日ほど前にね。でも、おかしいわよね。食事は私もいたわけだし、アリサも殿下もそんなそぶりはまったくないもの。私がいないところで二人で会っているって考えるにしても、アリサはとても忙しい子だし」
「エリザベスさま……」
今回の噂は、エリザベスにとって嬉しいものではなかったはずだ。全く疑わなかったことはないとは思う。それでも、私を信じてくれて。いや、信じたのはグレイの方かもしれないけれど。
どっちにせよ、それでも私を友と呼び、守ってくれる。
マクゼガルド家の兄妹を守れば、闇落ちしなくてすむかもしれないと思っていたけれど。
マクゼガルド家の兄妹がいなければ、私は堕ちていったかもしれない。
「私で出来ることであれば、何でも言ってくださいね」
「そうねえ。じゃあ、お兄さまの前で、お兄さまより私の方が好き! って言ってもらおうかな」
エリザベスがいたずらっ子のような顔をする。
「別に、構いませんけれど?」
なぜそんなことを言われたのかよくわからない。
エリザベスはそんな私を見て、くすくすと笑いだした。
「ふふっ。お兄さまは出遅れているね」
「なんのことですか?」
「そうよねー。お兄さまはいつも防戦一方だから、攻めは苦手なのね。きっと」
エリザベスは謎めいたことを言って、肩をすくめた。
そもそも、ルークよりエリザベスが好きって言って、エリザベスは何の得になるのだろう。
よくわからなかった。




