真実の愛 2
嫌な噂が流れているというのはわかったけれど、具体的にそれを取り消すにはどうしたらいいのかわからない。
悪意ある噂は、それが真実でなかろうと勝手に広まるものだ。
エリザベスとグレイが、ここから先二人だけで仲睦まじくしていたとしても、私に一度ついた悪評は消えないだろう。皇太子であるグレイに、悪態をつくことは出来ない。だから、私には倍になって降りかかってくる。
ただ。このことは事実無根であることを、私は知っているから、何を言われても俯いたりはしない。
悔しいとか、憎いとか感じたら、心が堕ちてしまう。
それなのに、一人、食堂のいつもの席で夕飯を食べながら、いつも以上に人の視線を気にしてしまう。
一度悪いことを言われていると思うと、人が集まって話しているのを見ただけで、自分のことを言われているような錯覚を受ける。蔑んだ視線を向けられていると思うのは、勘違いだ。人はそれほど暇ではない。自意識過剰である。
それに私は悪いことは何もしていないのだ。
だから、萎縮する必要などない。
そう何度も自分に言い聞かせて、食事を口に運ぶ。全然、美味しくない。
今日はもういいかな。
残すのは非常に申し訳ないけれど、全く食欲がない。
「アリサ・トラウというのは君か」
突然、敵意のこもった口調で名を呼ばれ、顔を上げるとモスグリーンの髪をした長身の男が立っていた。
レイノルド・ナーザントだ。生徒会会計で、剣術部部長。原作ではグレイの側近だった。
実際に現実でも側近かもしれないが、そこまで私は詳しくは知らない。
「そうですが、何か?」
彼は食事のトレイを持っていなかった。ということは、わざわざ私と話すためにここに来たのかもしれない。
「前にすわっても?」
「どうぞ」
言葉遣いはともかく、随分と蔑むような目で私を見る。
文武両道で家柄もよくてとても美形だけれど、声を掛けられて少しも嬉しくなかった。
「何の御用でしょうか?」
楽しい内容でないのは、予想がつく。それでも相手は次期侯爵だ。私に拒否権はない。
「皇太子殿下に近づくのをやめてもらいたい」
ナーザントはぎろりと睨みつけた。お願いではなく、これは命令ということなのだろう。
「ひょっとして、私が殿下を誘惑しているとお考えですか?」
もちろん。彼が側近であるなら、真実の愛云々のグレイの噂は望ましくないとは思う。
ただ、それならば、グレイ本人に確かめてほしいし、何より実際のところを調べるべきではないだろうか。
「私と殿下は、ただのクラスメイト。恐れ多くも申し上げるなら、『友人』です。それ以上の関係ではありません」
「そんなはずはない。お前が殿下に取り入っているとあちこちから聞いている」
ナーザントは決めつける。
「失礼ながら、殿下ご本人から、私の話を聞かれたことはありますか?」
「貴様、殿下の威を借るつもりか?!」
ナーザントは声を荒げた。
ああ、もう、これはダメなパターンだ。この人は私の話を聞くつもりなんてないのだ。たぶんルークの言っていた『真実の愛』の話を頭から信じていて、グレイに確かめてもいないのだ。そして、グレイ本人に話を聞くことすらせず、私に命令する。顔はいいかもしれないけれど、最低だ。
私はため息をつく。
「殿下は私のことをエリザベスさまの友人と認識しているだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「何を言っているのだ?」
ナーザントは皿に目を吊り上げた。更に
「私が殿下とお話しするときは、常にエリザベスさまが一緒です。殿下と近づくなとおっしゃるなら、エリザベスさまの友人であることをやめろと言うことでしょうか?」
「お前なんかが、エリザベスさまの友人なわけはないだろう!」
かなり大声で断定されてしまった。さすがにカチンときた。
「……私の何をご存知だというのです?」
私はナーザントを睨みつける。
「私がどこで何をしているのか、常に把握なさっているのですか? 何をもって、私がエリザベスさまの友人でないと断定なさるのです?」
「何?」
「人を弾劾するなら、それなりの証拠をお持ちください。あなたさまが聞いた話のニュースソースは本当に正しいのですか? 身分の高いお友達の言うことは常に正しくて、身分の低い私の言うことは常に間違っているとお考えならば、私から何をお話しても時間の無駄ですね。あなたさまは私にご自身の考えを押し付けたいだけなのですから」
「貴様っ」
ナーザントは机に手をのせて、身を乗り出した。
「……何をしている?」
冷ややかな声がした。温かくて大きな手が私の肩にのせられる。
「ル、ルークさま」
ナーザントが驚きの声を上げた。
「俺の大事な後輩が、何をした?」
見上げると、ルークが一瞬だけ優しい目で私に頷く。荒ぶっていた心が、すうっと落ち着いていった。
ルークは食事のトレイをテーブルに置き、私の隣に座った。
「レイノルド。お前は昔から思い込みが激しい。そんなに皇太子が心配なら、殿下に聞いて場合によっては諭すべきだ。アリサに当たるのは、それをする根性がないからじゃないか?」
ルークの言葉は辛らつだが、口調は世間話みたいだ。ナーザントはルークが現れたことで、目に見えて勢いをなくしていく。
「言っておくが、エリザベスとアリサは友人同士だ。俺が証人では納得できないか?」
「……いえ」
力なくナーザントが首を振る。
「アリサと殿下が噂になっているのは事実だ。だが、アリサが言うには、殿下といるときはエリザベスと一緒だという。アリサの話が信用できないと思うなら、まず、殿下とエリザベスに確認を取るべきだ」
「……それはそうですが」
「俺の食事が終わったら、殿下とエリザベスに話を一緒に聞きに行こう。それでお前は納得するだろう?」
「え?」
ナーザントが目を丸くする。
「殿下の醜聞を側近のお前が、払拭しないでどうする。まず殿下と向き合うことだろう? それとも、アリサを学院から追い出して、お茶を濁すつもりだったのか?」
ルークの言葉にナーザントは黙り込む。
うん。結構ひどい奴だ。思い込みが激しいのかもしれないけれど、平民は悪いことしかしないとでも思っているに違いない。
「……わかりました」
ナーザントは小さく頷いた。ルークと話していると別人のように言葉遣いが丁寧だ。このひとは、自分より上のひとにとことん弱いタイプなのかもしれない。
ルークは安心したように私に目配せし、自分のトレイにのっていたデザートをひょいっと私のトレイにのせた。
「マクゼガルドさま?」
「お前、柄にもなく食事が喉に通らなかったんだろう? そういう時は甘いものでも食べておけ」
ルークは私の八割がた残っているトレイを指さす。
「でも」
「お前の噂、俺も一瞬信じかけた。その詫びだ」
優しくルークが微笑む。
「ありがとうございます」
ルークの譲ってくれたデザートは、甘いプティングだった。今世では食べたことのないもので、甘くてとろけるような美味しさで。
なんだか胸がきゅうっとなる味だった。




