8:代償
白香神は珞を見た。珞はすぐさま言葉を張り上げる。
「白香神。兄上が内政、俺が外から国を護る。さっき、吹芽神様が仰っていたのは? すべてを移譲しない方法というのは何なんだ?」
「澪蕭神様、白香神様。我儘だとは存じております。ですが私も子珞と同じことが聞きたいのです」
二人の真摯な瞳に澪蕭神は苦笑した。この瞳をした者を過去に知っている。そして、それは彼らの先祖なのであった。血は争えないと思った。
『アカバナーの儀の上位互換の儀式“月桃の儀”で、より危険が高まる。兄の子孝に私がうまく憑けたら、二人の片目玉を聖剣で取り出し、交換し、入れ直す。子孝の器が小さければ、私が憑けずに、即死が待っているけれどね。そして、目玉を入れ直したら、その聖水で瞳を清め、互いの体に私と白香神の神力を取り込むんだ。これには代償が付きまとう。兄弟のどちらかが死んだら、もう片方も死ぬ。兄弟の絆が確かめられる。目玉の入れ替えも相手に対して清らかな思いがなければ入らない。君たちはそれができるのかな?』
「「できます」」
子孝と珞は口を揃えて言った。二人の意思に迷いはなかった。子孝は国や愛する女性と結ばれるため、得ていた自由を手放し、一生、城の中で生涯を終える“義務”を選んだ。対する珞は、“国継ぎの皇子”の“義務”に抗い、会えるかもわからぬ好いた女性と添い遂げたいがために“自由”を求めた。
『我が兄神澪蕭神が何と言おうと、私は反対する』
白香神の無情な声がその場を支配した。
「白香神!」
珞は白香神に噛みついた。
「なんで駄目なんだ! なんでいつも俺に大切なことを教えてくれない⁉ 今回も何か隠しているんだろう?」
白香神は珞をじっと見つめた。彼の苦楽を傍で見てきたからこそわかる。珞は賢王の器を持っている。確かに兄皇子の子孝にもその器はある。珞が市井で苦労している間、宮廷の闇の中でもがき、成長している。白香神はそれをわかっていても尚、この意見に賛成することができなかった。それには重要な理由があった。彼は珞に向かって、重い口を開いた。
『屍人と生ける人のアカバナーの儀ならまだしも、生ける人と生ける人同士の儀式となる月桃の儀は神々との古来の誓約を一度反故にする儀式だ。それなりの代償が付きまとう。自分たちの代の困難だけでなく、そなたたちの子らにも犠牲がいくだろう。その代償を決めるのは我々十二神ではない。祖神弁財天だ。そなたたちは自身の子らにも自身の代償を払わせたいと思うのか?』
子孝と珞は息を呑んだ。もちろん、自分自身らには代償を払わないといけないと思っていたのだ。その様子を見て、白香神は嘆息した。そして、二人を睨みつけた。
『よもや、自身らで解約できるような誓約であるとは思っていたわけではあるまいな』
「……私は、それでもいい。私の子が何かの危機に瀕したとしても、それを補佐するのが私の役割だ」
子孝はきっぱりと言い切った。珞も彼の方を見て、再度白香神の方を睨みつける。
「俺もだ。そもそも俺の子どもが何かの代償に負けるような人間に生まれるはずがない。俺と翠の子だろう? 何も心配することはない」
白香神はその言葉を聞いて呆れかえった。そして、隣に立っていた樽毘神に目配りする。樽毘神も彼と同じく呆れかえった表情をする。
『もうここまで言うなら、月桃の儀やってあげたらいいじゃないか。子どもたちがどんな代償を求められるのかはその時になってからわかるでしょ。その時に、親になった二人が手伝うことだってできるし、少しだけ十二神が加護しても祖神弁財天様は目を瞑ってくれると思うよ。最終決定は澪蕭神だ。この兄皇子は澪蕭神の神力に耐えられると思うのかい?』
澪蕭神はにこりと微笑んだ。
『それは憑いてみないとわからないよね。憑いて間違って死んでしまう覚悟はこの子はできているんじゃない?』
子孝の方を澪蕭神は閉じていた瞳を開けて見つめた。彼の瞳には、もうじき成人を迎える精悍な顔立ちの少年が立っていた。膨大な神力に耐えられた者は多くない。だが、彼ならば――。
「私は死んでもいい。それでも試してみたいのです」
子孝の確固たる信念の言葉が静寂の中を木霊した。
『わかったよ』
『澪蕭神!』
澪蕭神は弟神を見つめた。人に執着しない白香神をここまで執着させるとはどのような人生を歩んできたのだろうなと、彼は珞を見ながら思った。
『やってみればいいだろう。本人たちが望んでいるんだ。そもそも、私が兄皇子にうまく憑けなければ、彼は死に、強制的に弟皇子が王位に就くことになるのだから』
白香神はぐっと手を握り締めた。
『――わかった』
澪蕭神は霊幸十二神を見回した。
『それでは禁術月桃の儀を始める。異論のある者はいるか』
渋々の顔をする白香神も含め、澪蕭神以外の神々が旧式の最高礼を行った。それは琉城王国時代の拝礼である。それは、琉城王国の国神弁財天に代わる国神であったことに由来していた。
『異論はありません』
十二神の声が揃い、京の内の御嶽に響いた。その返事に澪蕭神は満足そうに頷いた。そして子孝の方を見る。
『皆、顔を上げなさい』
子穂を始め、蓮彗、三平等の大むしあられが顔を上げた。
『子孝皇子、覚悟はいいか』
「はい」
澪蕭神は子孝の後ろに回った。
『瞳を閉じなさい』
子孝は言われた通り、瞳を閉じる。彼は神の気配を背に感じ、冷汗が流れた。
澪蕭神は子孝の後頭部にその唇を添えた。子孝と手をつないだままの子穂の手には、彼の手が徐々に冷えていくのがわかった。それと同時に、自身に感じる十二神の神力が息子の体に芽生えていることを感じた。子穂は手を離した。子孝はこれから自身の器と澪蕭神の強大な神力を結合しなければならないのである。




