3:謁見の間への乱入
「国王陛下のおな~り~」
国王の来訪を告げる声が御内原に響いた。子孝と珞は目を見合わせ、どちらともなく頷いた。
「父上が謁見の間に入って、座る衣擦れがしたら、乱入するぞ」
「はい、兄上」
乱入とは物騒な、と徹は内心思った。しかしながら、二人にとっては父と継母の謁見に入っていくことは乱入と同じことであるとわかっていた。
国王の袍の衣擦れが子孝の部屋まで聞こえてくる。二人は息をひそめ、見守った。
「待たせたな」と子穂の声が向かいの部屋から聞こえた。御内原に入れる男は国王、未婚の皇子、皇子の未成年の侍従のみである。そのため、子穂は一人で御内原にやってきている。
「行くぞ」
子孝の覚悟の決まった声が聞こえ、珞は子孝と共に立ち上がった。そろりそろりと動いていくと思いきや、子孝はばさりと自身の部屋のすだれを上げた。そして、謁見の間の前に拝礼する。
「父上、継母上、子孝でございます。少々お時間いただけますでしょうか」
部屋の中から、「急用か」と父 子穂の声が聞こえた。子孝は「急用でございます」と言う。急用かどうかなど、彼にとって問題ではなかった。今を逃せば、次の朝議の時になってしまう。それでは遅いと彼は考えていた。
「入れ」と子穂が言うと、「失礼いたします」と子孝は珞に目配せをし、すだれの隅から入り、拝礼した。続いて、珞も拝礼しながら、すだれの中に入る。
「顔を上げよ。子孝、そちらの者は?」
「我が異母弟、子珞でございます。ようやく見つけました」
その言葉を聞いても子穂の表情は変わらなかった。逆に、下座に座っていた蓮彗が目を丸くする。
「ほほう、よう見つけたな。その袍の下、昨日の医務官科の受験者か。まさか医務官の弟子をしていたとはな。わらわはてっきり、国外に逃亡していたと思うておうたぞ」
子孝は内心ムッとした。蓮彗であれば、珞の動向は把握していただろう。“あの”照子の母親なのだ。
「本当に、子珞なのか?」
ひやりとした声が面白がる蓮彗の笑い声を遮って、珞を貫いた。子穂である。子穂は、表情を全く変えずに、氷のような瞳で二人を見つめていた。
「子珞ではないと疑っているのですか?」
「問うているのは私だ。子孝、子珞が行方不明になってから、幾人もの者たちが自身が子珞であるとやってきたであろう?今回もそれではないかと危惧しているのだ」
子孝は拳を握り締めた。もっともの反応である。しかし、“国継ぎの皇子”の証を蓮彗がいる前で見せてよいものなのか、彼は考えあぐねていた。
「子珞皇子である証を示せばよいのではありませぬか?」
香を焚き染めた扇を広げ、蓮彗が口元を隠して、その瞳を子孝に向けた。その瞳はいつも彼に見せるような、面白がるような様子はなく、真剣な様を表していた。
そこで、彼は気が付いた。“書蓮彗は国継ぎの皇子について知っている”ということを。当然と言えば当然のことである。彼女は王妃であり、聞得大君であるからだ。
「子珞、見せられるか?」
何を、と伝えなくとも、珞には子孝が何を言いたいのかがわかった。背にある龍の鱗を見せるのだ。
「はい、俺は大丈夫です」
珞は子穂と蓮彗の方を見た。そしてゆっくりと再拝礼する。
「お見苦しいものをお見せいたします」
袍を脱ぎ、衿元に手をかける。手が震えていた。子孝は知っていた。三太も勘づいていた。しかし、人前で自分から自身の背を見せることは一度もしたことがない。
珞は長嘆息し、腰紐を解き、衿元をくつろがせ、上着を脱いだ。均整の取れた筋肉が露わになるが、その肌にある無数の傷跡に子穂の眉が微かに動いた。そして、珞はゆっくりと後ろを向いた。
珞以外の、その場にいる全員が息を呑んだ。彼の背には煌めく鱗と共に、刺青のように背に縫い留められているようになっている鱗があった。
「本物の澪子珞だ」
子孝は子穂の声にそちらを見る。そして、驚愕した。子穂は涙を流していた。狭良の遺体にすがりつきながら泣いている彼の姿を最後に、子穂は涙を流していなかった。子穂は自身が涙を流していることに気が付いたのか、手ぬぐいで目元を拭いた。
「戻してよいぞ。――それで、そなたらは何が目的だ。子珞を我らに紹介することが目的ではあるまい」
珞は上着を着て、腰ひもを締めた。一応、袍も着ておく。その間、子孝は子穂と蓮彗に対し、自身らが考えたことを真摯に伝えた。
「私たちは“国継ぎの皇子”を入れ替えたいのです。私が国を内政から支えたいと思っています」
「俺は、もっと自由に生きたいんです。医務官として、民を支えるお役目につきたいと考えたいと思っています」
「その方法が、あるのですよね? 父上と継母上はご存じなのでしょう?」
子穂と蓮彗は呆然としている。蓮彗は「陛下……」と助言を求めた。子穂はしばらくの間黙っていた。謁見の間が静寂に支配される。彼は口を開いた。
「ならん」
その一言は珞と子孝の肩を落とさせるに足るものであった。
「子孝がそのような甘言を言うとは思えないが? どちらの入れ知恵だ?」
「恐れながら申し上げます。甘言ではありません」
「そうです。兄上とは考えが一致したのです。どちらの入れ知恵でもありません」
二人の悲痛な言葉が木霊した。子穂は悩ましいとでも言うように、眉間にしわを寄せ、片手で顔を抱えた。その様子を見て、蓮彗が助け舟を出した。
「どうしてそのような考えに至ったのか一人ずつ話してみればよろしいのじゃ。特に子珞殿下とは幾年ものの間、どのような者たちと出会い、どのような環境で育ち、どのように考えを持っているのかを陛下は知らぬ。双方の意見を聞いても良いのではないのかの。わらわも陛下が片方と話している間、もう片方と歓談しておこうかの」
子穂はその言葉を聞き、素直に「わかった」と頷いた。子孝は蓮彗に初めてありがたみを感じた。