2:呉徹の誓い
こそこそと今までの経緯や三太、翠の話をしていると、「失礼します」と外から声がした。びくりとする珞に対し、子孝は「私の右腕の者だ。紹介しよう」と珞に伝え、外にいる人物に「入れ」と命じた。
軽く一礼した外の人物はすだれを上げ、顔を部屋の中へと見やった。そして、硬直する。
「呉徹だ。徹、私の異母弟の子珞だ。ようやく見つけた」
徹はきょろきょろと周りを見渡すと、そろそろと中に入った。片眼鏡の飾りが彼の心を写したように、しゃらりと揺れた。
「失礼いたします」
そう言うと、彼は子孝の傍に寄り、珞を見つめた。
「本物の子珞皇子殿下なのですよね?」
「私が嘘を言うとでも?」
「にわかに信じがたきことですから」
徹はしばらく珞を見続けた後、嘆息した。
「あれだけ、ねちっこく調べていた殿下が見つけた方ですから、嘘ではないのでしょう。ですが、そのお方は袍の下に、昨日の医務官科に来ていた医務官の弟子たちの服と同じですが」
「子珞は剣奴から解放された後、医務官の弟子をして、昨日の医務官科を受けに来ていたんだ」
「あのぅ……」
子孝と徹はさりげなさげに声を挙げた方を向いた。二人の視線の先には恥ずかしそうに二人を見る珞の姿があった。
「俺のこと、自分で紹介させてもらってもいいでしょうか?」
それを聞き、子孝は目をぱちくりとさせた。そして、思わず吹き出してしまう。
「すまん、すまん。私が話しすぎたな」
「兄上、お話を遮ってしまってすみません」
子孝は珞と話していると、昔の自分に戻っていることに気づいていた。あの安寧とした離宮での日々を思い出す。そして、頬が緩みやすくなるのである。
珞は徹の方向に改めて向き直った。
「初めまして。五歳の時に行方をくらましていた、澪子珞です。城を出てからは“珞”という名で通しています。どうぞよろしくお願いします」
徹は驚いた。五歳から琉城を出ている皇子が、このように丁寧な言葉を話すとは考えられなかったからだ。しかしながら、なにか訳があるのだろうと自身を納得させた。
珞はなるべく丁寧な言葉を遣おうと心がけていた。呉徹は兄の右腕である。将来的に宰相となる可能性が高い。その場合を考えて、心証が悪くならないように言葉遣いを正したのだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。琉城四高士族が呉一族の長男、呉徹と申します。気軽に徹とお呼びください。子珞殿下がここにいらっしゃるのは理由がございますね?」
「それは私から説明させてくれ。子珞、徹には伝えてもいいな」
珞は子孝の言っていることが何の話かわかった。珞は真剣な瞳で頷いた。それを見て、子孝も頷く。
「徹、心して聞いてほしい。——世の理に則るならば、子珞が“国継ぎの皇子”であり、次の皇太子になる」
徹の愕然とした様子が瞳から伺える。その様子を見て、珞と子孝はやはり四高士族の長子であっても“国継ぎの皇子”については知らなかったようだと察した。
「……どういうことでしょうか」
徹の声がかすれる。彼の心の中では、次期皇太子であり、次期国王は子孝だと思っていたから当然のことである。
「“国継ぎの皇子”になるための証が私にはない。歴代の皇太子はすべて長子ではないってことだよ」
子孝は珞を見た。珞も彼を見つめている。
「そして、その証を持っているのは子珞だ」
徹は何も言わなかった。彼はうつむき、何かをこらえているようであった。しかし、しばらくの後、子孝を見返す。
「そうですか、わかりました。ですが、私は子孝殿下に一生を捧げる想いで仕えて参りました。今ここで、子珞殿下に変えることなどできません」
その真剣な瞳に子孝は安堵を得た。その想いは子孝の心に響き、徹は彼から以前にも増して絶大な信頼を得ることになる。
子孝はフッと息を吐き、目を閉じた。「安心してくれ」と徹に伝える。
「私は紗鶴と結ばれたいし、内政から国を護りたい」
「俺は好きな人を探したいし、もっと外から国を護っていきたいんです。それに俺は、医務官としても国に貢献していきたいのです」
「だから、“国継ぎの皇子”を交代する儀式を行いたい。それを知っているのは、陛下と聞得大君の王妃だけだ。そのために、陛下が朝議の前日に行う王妃との会合に乱入する手筈なんだ」
徹は息を吐いた。そして、自然に笑みがこぼれる。
「それはようございました。私の急いた失言でございました。申し訳ありません」
「あぁ。でも、そんな嬉しそうな顔は久々に見たな」
「それでも、あの両陛下がそう簡単に賛成するでしょうか」
その問いに、子孝の顔が固まる。その様子を見て、珞は心配そうに子孝に問うた。
「父上や王妃様は反対されるかもしれないのですか」
「そうだな……確実にどちらかは反対されるだろう」
子孝は確信していた。反対する相手は父であるということは確かである。愛した相手との子をわざわざ手元から離すことを彼はしないに違いない。狭良が亡くなって、その表情や思考を改めた父王を知っているからこそ、子珞はそう考えていた。しかし、それを今ここで弟の前で言うべきことではないと、彼はわかっていた。
「継母上とは、ほとんど初めて会うだろう。少し変わったお方だが、当時、狭良様と仲良くされていた方だ。きっと、子珞のことも気に入ってくださるだろう」
珞は子孝の話の変化の違和感から、自分の耳に入れたくないことなのだろうと考え、素直に頷いた。
「楽しみです。照子姉上の母君なのですよね?」
「あぁ、あの娘にして、この母親ありだぞ」
珞は遥か昔の思い出を脳裏に浮かべて、思わず苦笑を漏らした。
「それは楽しみです」
その時、奥の部屋から、ばさりとすだれが揺れる音がした。
二人の間に緊張が走った。——王妃 書蓮彗が謁見の間に移動していた。




