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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
陸 二人の皇子(4)医務官と少年
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9:白継島別れの前夜

 香月が家に帰ってきたのはその日の夜のことであった。茫然とし、意気消沈していた様子は全く見られず、穏やかな表情をしている。そして駆け寄る二人を呼び止めた。


「珞、文修、二人とも一週間後にこの島から出て、僕の師匠である緋澄師匠の下で、内科医学と外科医学を学びなさい」


 珞はなんとなくそんな気がしていたと思っていた。しかし、文修はその提案が受け入れられないようで、香月に噛みついた。


(せんせい)!おれはもっと師の下で学ぶことがたくさんあります。ですから、おれを他所(よそ)にやらないでください。お願いします」


 文修の瞳から涙が零れ落ちた。香月は慈愛に満ちた瞳で、文修を見、彼の頭を優しく撫でる。

「僕は君を捨てるわけではないさ。でもここにずっと居ては、君の成長を阻害することになってしまう。だからこそ、本土で外科医学を学んで、医務官になってほしいんだ」


 香月は珞の方へ目を向ける。

「出立までの一週間の間に、前に伝えていた舞を教えてくれないかな」

「いいですよ」


「……舞?」

 文修が怪訝な顔をして、香月を見る。珞はどのように説明すればよいのか答えあぐねた。すると文修は何事もないかのように答えた。


「彼の母君は元々白継島にいて、舞を舞っていたんだよ。それを彼が引き継いでいてね。私もご教授してもらおうかと思って」


「そうなのですね。ぼくはその間、師の持っている冊子を写させてもらってもいいですか? 師の冊子や書物は残しておきたいんです」


 文修の依頼に香月は視線を珞に移す。香月は「いいですよ」と返事をした。


「そういえば」と文修は香月の方にあることを問うた。

「松留さんとの娘さんはこれからどうなるのでしょう」


 香月は「松留」という言葉に表情をこわばらせた。しかし、息を吐いて、平常心を保っているようだった。


「松留との子どもは五歳までは産婆所で、五歳以降は僕が育てることになったよ。授乳や離乳食については産婆たちの方が詳しいからね。僕は会いに行って養育費を産婆たちに渡すことになりそうだ。僕が父親であることも、きちんと伝えていくことになっている。あぁ……そういえば、名前も決まったんだよ。眞月(まつき)にしたんだ。僕と松留の名前を掛け合わせた。いいでしょ」


 その顔は微かな悲しみが溢れていた。


「いいですね~。眞月ちゃんか、絶対可愛いだろうなあ。今は生まれたばかりでしわくちゃだけど」


 文修は香月の様子に気付くことなく、能天気に眞月のことについて話している。いつもは気を張っていることが多い文修だが、その時の能天気ぶりは香月にとっても珞にとっても非常にありがたかった。

 香月はふふふと笑った。その笑みは悲しみをたたえておらず、心の底から笑っているようだった。


「医務官になったらまた来てよ。眞月に会いに」

「そうします!」


 その明るさが今の三人には必要だった。

 次の日から、珞は香月の診察の合間を縫いながら、神降ろしの女舞を香月に伝え、香月は男舞を珞に伝えた。その間、文修は黙々と冊子を模写する作業を続けた。


 男舞は剣舞であった。使用する剣は持っているもので良いとのことであったため、珞は母から受け継いだ刀を使用することにした。父親の子穂(しすい)から譲り受けたと思っていたが、香月に詳しく聞けば、御子が与えられる神器だという。香月は神殿を出るときに返納していたが、母親の狭良は御子から宮の神殿に迎えられたため、神器を持ったまま島を出たということだった。


「神器だから今までも君を守ってくれたんじゃないかな」


 この際、県土島の時にはあまり役に立っていなかったということは黙っていようと珞は思った。父母の記憶は歳を重ねるごとに薄れていき、今は「義を貫け」という父の言葉、母から見せられた女舞、兄と遊んだ記憶が微かに残る程度であった。


 「国を背負わなければならない」という使命感は依然と胸の内に残されていながらも、珞は国を背負うのは自分ではないのではないかと思うようになっていった。民草と共に生きていくのも国を守る方法の一つではないかと。そして、珞は翠の顔を思い浮かべることが多かった。今はどこに居るかもわからない翠を探し出し、娶るには国を背負っていてはできないことである。


 翠と出会う前、珞にとっての一番すべきことは国を背負い、皇位を継ぐことであった。しかし、彼女と出会い、彼のすべてが翠に注がれたことにより、彼の最も優先すべきことは国ではなく、翠になったのである。


「香月さん、国を継ぐ皇子が他の皇子に国継ぎを譲る場合、どうすればいいんですか?」


 ある日の夕闇の中で、珞は香月に聞いた。過去には国継の皇子でない者が即位した例もあるが、彼はそのことを知らない。これは王になった者だけが知る最重要機密なのである。


 香月は(しば)しの間、思案した。そして口を開く。


「"国継ぎの皇子"は神が憑く。私はそう神殿の書物で読んだんだ。国継の皇子が皇位に付かない場合、その時代は害悪に見舞われると言われている。けれども、兄弟神の澪蕭神(れいしょうしん)様と白香神(はくこうしん)様のどちらかが憑いた場合は別だ。特に白香神様が憑いた皇子は基本的に夭折(ようせつ)が多かったから、国が荒れないように何かの方法で国継ぎの皇子を変える儀式を行っていると見たことがあるんだ。ただ、その内容については書かれていなくて、恐らくそれを知っているのは、今の聞得大君(きこえおおきみ)――王妃殿下だけだろうね」


 香月は知っていることを全て珞に話した。珞がその『国継ぎの皇子』であることも彼は知らない。

 珞は目を見開いた。聞得大君の王妃に会えば、"国継ぎの皇子"としての役割を終えることができる。そう思ったのだ。


『そう都合よく行くわけがなかろうに』


 珞の短絡的な考えを読み取って、白香神が一人ごちた。

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