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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
陸 二人の皇子(4)医務官と少年
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8:生と死と

 一月の間に二十人ほどが生まれたであろうか。二人は約十人の分娩介助を行った。実施後は産婆所に帰り、至らなかった点について担当した産婆から補足説明が入る。出産というものは千差万別であったが、珞と文修は双方ともに自分の成長の歩幅に合うよう指導された。


 松留の出産も近づいている。いつ産気づいてもおかしくない状況であった。香月は気になるのか、産婆所に常駐していることが多い。


「師匠、松留さんのこと好きなんですね。おくびにも出していなかったのに、いつの間にお子さん授かっていて」


 文修は呆れたように香月を見た。文修から見ても香月は足が浮いているような感覚であるように見えた。


「言っておきますけど、松留さんの分娩介助は俺がやらせてもらいますからね」


 自分が率先して分娩介助しそうな勢いの香月に、珞は釘を刺しておく。香月が松留と出会い、どのような流れでそのような関係にまで発展したのか、珞は気になっていた。しかし、そのような野暮な内容は聞くまい。そんなことは胎児が赤ん坊として生まれ、その後でもいいのだ。


 そのような戯言を男三人で笑い合いながら言っていた日の明朝、松留が産気づいた。松留の分娩は予想以上に早く進んだ。産婆仲間が周りにいることで、松留が安楽に出来たことや、彼女自身が出産しにくい体にならないよう、気を付けて生活していたからだろうか。香月は分娩介助のことは珞と文修に任せ、松留の世話を甲斐甲斐しく行っている。もちろん、なにかあるといけないために、彼自身の道具は産婆所に常備してある。


 甲斐甲斐しく世話をする香月を横目に、珞は文修と最終確認を行った。二人で組んで行うのは初めてのことである。直ぐ傍に熟練の産婆たちや香月が居るとはいえ、二人の間には嫌でも緊張感が増した。


「俺が胎児を取り上げたら、すぐに胎盤側に結んでくれ。それを胎児が外に出たら、上の紐をしてもらってもいいか。俺は下の紐を結ぶ」


 珞の指示に文修は頷いた。珞が直接胎児を取り上げる直接介助の係、文修は珞が産後の胎盤処理を行っている最中、赤ん坊の体を清潔にし、松留の胸に抱かせる間接介助の係と決めていた。


「あ、臍帯切断は香月さんにやらせてあげて。私、お父さんにやってもらえるなら、やってもらいたいと思っていたの」


 普段、分娩の際には外部からの病を入れないためにも、父親や親族は家の外か別の部屋で待って貰っていることが多い。もしくは、本土からの人間と子を成し、父親は他の女のところに通っているために、父親すら待たずに産む。基本的には分娩には医務官と産婆が立ち会うことになっているため、産婆が臍帯切断をすることが多い。今回は珞が行うつもりだったのだが、「どうしても香月さんにしてほしい」という想いを受け止め、珞は香月にお願いすることにした。


 会陰が切れないように会陰をほぐしていると松留は普段からよく言っていた。そのためか早い分娩時間でも会陰は児頭の圧に合わせてゆるゆると柔らかく伸びていく。


 児頭が陣痛に合わせて産道から見え隠れしている。


「排臨ありました」

 そして、児頭が下がってきたことにより、横を向いていた松留は上を向きたいと言い始めた。

「だって、まだ仰臥位分娩の介助したことないでしょう?私で練習しときなさいよ。仰臥位分娩は中々みられるものではないから」


 本土では医務官や産婆主体の分娩が多いために仰臥位分娩が主流のようだが、少なくともこの島では仰臥位分娩は見たことがなかった。産婦本人が分娩する際に楽な姿勢ではないからであろう。二人は松留の厚意を素直に受けることにした。


 そして、陣痛間隔が短くなっていき、児頭が常に外部に出た状態になった。


「発露しました」

 その言葉から、松留のいきむ声が聞こえ始めた。いきみに合わせ、胎児は徐々に外に出てくる。児頭が出たため、文修はぎこちないながらも慣れた手つきで、胎児の顔を拭いた。その後、回旋に合わせて、胎児の介助を行っていく。そして、胎児は赤ん坊として生まれた。


「おめでとうございます。元気な女の子です」

 松留の顔が明るくなる。その間に文修は糸でしっかり臍帯を結ぶ。

 その赤ん坊はこの島では珍しくない白髪をしていた。白継島で生まれる子はたいてい、母親か父親のどちらかの影響を強く受けることが多い。白髪ならば、父親の影響を受けたのだろう。


「胸に抱かせて」

 そう言って、松留は手を伸ばす。文修は珞から赤ん坊を引き受け、松留の胸の上にのせると、その場で児の体に付いた羊水を手ぬぐいで拭き始めた。


「香月さん、臍帯切断お願いします」

 珞の言葉に、香月は嬉しそうに「そうするよ」と言うと、珞から受け取った臍帯剪刀(さいたいせんとう)で臍帯を切断した。その様子を見ていた松留は嬉しそうに香月と話している。


 文修は臍帯剪刀を受け取ると、珞の方に戻ってきた。珞は青ざめていた。

「どうした?」

 文修は珞が黙って指を差すところを見て、気づいた。結んだ胎盤側の臍帯が全く下に下がってきていないのである。


 胎盤は胎児の娩出を終えるとその役目を終え、勝手にはがれるように出来ている。それによって、胎盤側の臍帯の結び目が下がってくるようになっている。胎盤がはがれなければ、それは子宮や子宮を取り囲む筋に癒着した癒着胎盤となる。


「恥骨結合上縁は推したのか?」

「あぁ、恥骨結合上縁を押したら、臍帯が引っ張られる様子があった」

 珞と文修は目を見合わせた。そして香月の方を見る。


(せんせい)、癒着胎盤です」


 幸せの絶頂を味わっていた香月や産婆たち、そして産婦の松留が一斉に青ざめた。香月は冷静を装い、二人が行ったことと同じ確認をする。子宮収縮を促しても、全く胎盤が下りてくる様子はなかった。そして、周りにいる産婆たちに命じた。


「今から用手剥離を行う」


 産婆たちは松留が動かないように肩を床に押し付けた。赤ん坊をのけようとすると、松留はそれをあがなった。


「やだ! やだ! 香月さんは私の傍にいて。お願い。赤ちゃんも私の胸に置かせて。お願いだから。――珞、用手剥離、香月さんの代わりにやってちょうだい」


 香月は戸惑い、そして松留の傍にふらふらと寄る。

「珞、やってくれるね」

 その言葉に力はない。珞も文修もわかっていた。この場にいる全員がわかっていた。そして、最後まで行うのは珞の役目でもあるのだ。一番残酷な役割である。


 胎盤を剥がさなくても、子宮収縮できず大量出血や感染によって死ぬ可能性がある。しかし、胎盤の用手剥離をしても、癒着胎盤の状態によっては大量出血で死ぬことになるのだ。


 文修は子宮底の横に座り、子宮底に手を差し込んだ。その子宮底はまるで沼のように柔らかい。

 珞は息を吸った。やってもやらなくても最悪の事態は起きる。ならば、最善を尽くすのが医務官の弟子としての役割だった。


「今から始めます。皆さんお願いします」


 松留を押さえる産婆の体に力がこもる。珞は産道から子宮内部に向かって、ズプリと手を差し入れた。

 松留が絶叫した。それに合わせ、驚いたように赤ん坊も泣きだす。香月は松留の涙を手ぬぐいで拭き、赤ん坊が落ちないように支えている。


 珞は自分の手のひらより圧倒的大きい胎盤を見つけ、そして、文修に合図し、それを引きはがした。

 胎盤は一つも組織を落とすことなく引きはがすことができ、胎盤はずるりと産道から引き出された。皆がとりあえずと一安心した瞬間、多量の血液が珞の顔や胸にかかった。


 文修や多恵が子宮底を動かし、子宮収縮を促す。他の産婆は用意していた冷たく濡れた手ぬぐいで子宮底を冷やす。珞は内側から、手ぬぐいで圧迫止血しようともう一度産道に手を居れた。


「松留! 松留! 起きろ!」


 香月の声が響いた。松留の意識が朦朧とし始めていた。松留がその手を香月に伸ばしながら言った。香月は松留の手を取る。


「か……つき……さん、あい……して…くれて……ありが……」


 最後の言葉が言えず、松留の手から力が抜け、香月の手から滑り落ちた。そして、彼が愛したその深い紫色の瞳にはもう光が宿っていなかった。


 珞はその直後不思議な光景を目にした。時間が止まっている。自分以外のすべての人々の時間が止まっていた。いつの間にか彼の隣に白香神が立っていることに気が付いた。そして、松留の体から無数の光が浮かび上がり、光が小さな球体となって集まり、白香神の胸元に吸い込まれていった。


「もう、元には戻らないのか」と珞は聞いた。

 白香神は抑揚のない言葉を紡ぐ。


『彼女は既に、我らが祖神であり、命の女神弁財天の下へ召された。その母親の運命はその子どもの父親と出会ったことから決まっていたことだ』


 珞は怒りを覚えた。珞は白香神を睨んだ。


「違う! 香月さんと松留さんは幸せそうだった。こんな不幸な運命は望んでいなかった」

『しかし、それはひとえに運命の女神である丹生凛神(にゅうりんしん)が決めたことだ。その母親はその子が生きる上での代償だ』

「人が生きることに代償なんてない。だったら、なぜ俺は用手剥離で胎盤を取り出した? 松留さんが生きる望みがあるから取り出したんだ。俺がやったことは彼女のためになったのか?」


『どちらにしろ、その母親は死する運命にあった。お前が何をしようがそれは変わらん』

「だったら俺は、その運命に抗うことさえ不可能だったということなのか⁉」


 白香神は返事をしないまま、珞の体に戻っていった。止まっていた時間が再び動き出す。


 香月の松留を求める泣き叫ぶ声と産婆たちや文修のすすり泣く声と共に、赤ん坊の声が産婆所に響いていた。珞は血塗られた両手を茫然と見つめていた。


 松留の死亡報告を受けた祝女ノロが荷馬車を引いて、やってきた。白く美しい着物を着た祝女は部屋の中に充満する血の臭いに眉をひそめる。


 松留は産婆たちによって、死化粧や死装束を着て、眠っているような姿で布団に横たわっていた。その隣には茫然としている香月が力なく座っている。赤ん坊は多恵が出産したばかりの褥婦のところに連れていき、初乳を飲ませに行っていた。産まれたばかりの赤ん坊にとって、初乳は非常に大切なものなのである。


「香月」


 祝女は茫然としている香月に言葉をかけた。香月は生気のない瞳を祝女に向けた。


瑠偉(るい)……」

「御子に選ばれながら、神殿を飛び出したそなたが、この様とはな……医務官として、この島に少しでも役立つために戻ってきたのではなかったのか?」


 何も返さない香月に瑠偉は眉を寄せた。


(せんせい)だって、意味なくして、そうなっているわけじゃない」


 黙ってその場に立っていた文修は、瑠偉に掴みかかった。


「文修、やめろ」

 珞は文修を瑠偉から引きはがすと、頭を下げた。


「申し訳ありません。ですが、愛する者の死を嘆く者はそれを乗り越える試練を神から与えられた者だと私は思います。それを乗り越えてこそ、医務官として香月殿はより白継島に貢献されるお方になられると存じます」


 瑠偉は一瞬黙った後、フンと鼻を鳴らした。

「そなた、名は何という」

「珞、と存じます」


 ふむ……と瑠偉は思案しているように見えた。澪子珞と結び付けたかと、珞はその様子を感じ、冷汗を垂らした。瑠偉は白継島の祝女であるため、弐ノ皇子が白継島出身の狭良から産まれたことは知っているだろう。そのことを思案してもおかしくない。しかし、深読みのし過ぎだと思ったのか、瑠偉は珞の方から目を離す。


「この娘は既に白香神様の下に召された。神殿の墓地に埋葬する。このままこの場に置いておくわけにはいかんのだ。肉体が腐っていく。それはお前もわかるだろう」

「あぁ……」

「お前に今必要なのは何なのか考えろ。あの赤ん坊は白髪だったが、瞳は濃い紫色だった。母親の血も受け継いだのだろう。そのために、神殿は彼女を受け入れるわけにはいかない。規則であることはお前もわかっているだろう」


 瑠偉以外の三人が瑠偉の方を見る。止まっていた涙が香月の頬を伝う。それを見て、瑠偉は鬱陶しそうにため息をつく。


 神殿は白髪赤眼もしくは赤髪碧眼の子どもしか育てない。それは神殿の規則である。


「私は別にお前のことを嫌っているわけじゃない。ただ、腹立たしい私念を持っているだけだ」

「すまん……」

「別れは既に済ませたのだろう。連れて行くぞ」


 香月は頷いた。瑠偉はそれを見て、珞と文修の方を見る。


「この娘を荷台に乗せる。お前たちは見習いだろう。手伝いなさい」


 珞は表情を出さないように立ち上がる。文修は拳をぐっと握りしめて動かない。


「文修、これは俺たちが松留さんにできる最後の孝行だからさ。文修だって、孝行せずにお別れするわけにはいかないだろう?」


 その言葉に、文修だけではなく、香月もが立ち上がる。泣き疲れ、歩くのもままならない様子である。


「香月さんは無理しないでください」

 心配する珞の言葉に、香月は首を横に振り、小さく呟いた。

「いいんだ。最後まで見られなかったら、僕はきっと後悔するだろう」


 瑠偉は土間に荷台を入れ込むよう指示した。死した松留の体を三人で持ち上げようとすると、香月が文修と珞を手で制す。


「僕が一人で荷台まで連れていくよ」

 香月はふわりと笑った。彼は松留の頬を優しく撫でた。

「松留、夜国の丘を一緒に登ろう」


 珞には松留の魂が既に白香神の胸に抱えられ、祖神弁財天の夜国に向かっていることを知っていた。そのため、松留に香月の言葉は届いていない。


 松留の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。

「あぁ、僕のために泣いてくれたんだね……愛しているよ」


 静寂がその場を包んだ。瑠偉は彼らの別れの時間を長く持たせているようであった。香月は松留にそっと口づけた。


「今世でのお別れがこんなに早いと思わなかった。――さぁ、神殿が行こうか。僕が育った場所だよ」


 香月は松留の掛け布団を除けると、彼女をそっと抱きあげた。


「僕が夜国に行くまでの間、寂しい想いをさせてしまうかもしれないけれど、待っていてくれると嬉しいな」


 彼は荷台に松留を寝かせ、彼女の指同士を絡めた。香月はじっと松留を見つめると、瑠偉の方を見た。

「松留を一時預ける」


 そう言う香月の瞳には既に生気が戻っていた。瑠偉はにやりと笑う。

「それでこそ、御子だった香月だよ」


 珞と文修は荷台を見送るために外に出た。家の外には、幼少期から神殿で育てられた “神の使徒”と呼ばれる少年たちが待っていた。彼らも文修や珞と同じような容姿をしている。


「行くぞ」

 瑠偉の声掛けに対し、使徒の二人は特殊な礼をして、瑠偉の言葉に従った。一人が荷台を引き、もう一人が後ろから押す。慣れたような様子であった。


「瑠偉、私も神殿の傍まで行ってもいいかな」

 香月は駄目元で、瑠偉に伝えた。瑠偉は香月の方は見ず、「好きなようにしろ」と発する。


「瑠偉様、神殿への夜国の者の移動はご法度では……?」

 使徒の一人が瑠偉への不服を申し立てる。


麻人(あさひと)、彼は元御子だ。神殿の前までならば、行っても法度にはならぬ」

「申し訳ございません」

 麻人と呼ばれた使徒はそれ以上何も言わず、荷台を押していく。その後ろを香月は付いていった。


(せんせい)、おれたちは……」

 文修の言葉に、その存在に気付いたかのように香月は振り返った。


「ごめんごめん。君たちは一度家に戻っていなさい。産婆所に置いてある荷物もまとめておいてね」

 その笑顔が寂しさに溢れていたのを二人は気づいていた。


「お気をつけて。お帰り、お待ちしています」

 珞は叫んだ。言わなければ、香月がもう戻ってこないような気がしたからだ。香月はその言葉に手を振ることで約束した。珞と文修は神殿に向かう彼らの姿が見えなくなるまで、その姿を追い続けた。

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