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1:国継ぎの皇子の誕生

 狭良は御内原(ウーチバラ)に入内した初日に毒を盛られた。料理に混入させられたが、銀食器を使っていたため、ことなきを得た。


 彼女は、どの夫人や妻が行ったのかを社交で調べていった。すると、どうしても、壱ノ夫人である夏玉麗が怪しいという結論に行き着いた。まさに、その通りであった。


 次は白粉に毒を紛れ込まされた。

 その手口は実に巧妙で、食事で部屋を空けた狭良の部屋に侍女を忍び込ませ、密かに白粉をすり替える。しかし、狭良は化粧をしない主義を通しており、その白粉は毒入りにすり替えられたとは誰も気付かなかった。

 彼女が気がついてしまったのは、ある意味で失敗からであった。


 いつまで経っても肌が(ただ)れない狭良を不思議に思い、侍女に狭良に(おだ)てて化粧をさせろと、玉麗は命じた。その侍女はその白粉の中に肌が爛れる猛毒が入っていることを知らなかった。また、玉麗は狭良が化粧嫌いだということを知らなかった。

 その偶然が悲劇を生む。


 その侍女は言いつけ通り、狭良に「お化粧をお手伝いします」と言い出た。しかし狭良は「化粧は嫌いだからしてないのよ」と答えた。


「ですが、こんな高級な白粉を持っていらっしゃるのに、勿体無いですわ」


 侍女は身分は低いが士族の出であった自分より、地方出身で神女の出である狭良の方が高級な白粉を持っていることを、内心苦々しく思っていた。


「それならあなたにあげるわ。要らないの。誰にもらったのか忘れてしまったし、どうせ使わないから持っていって構わないわよ」


 その言葉に侍女の心が揺れた。返答に困った侍女は狭良の隣にいた、腹の子の乳母の波蘭に目線をやり、助けを求めた。


「狭良様がせっかく持っていって構わないとおっしゃられたのだから、お言葉に甘えたら?」

 期待していていなかった言葉を言われ、侍女は我を忘れた。


「波蘭もそう言っているでしょう」と狭良は屈託なく笑った。「みんなもそう思うわよね」

 彼女は他の侍女にも意見を求めた。侍女たちは問われたことを驚きもせず、思い思いのことを言い出した。

「そうですよ! こんな高級なのだから、もらっておいて損はないです」

「狭良様、いただいてから一度も使われていないから、新品と同じですよ」

「確か、その白粉は上級士族のどなたかからいただいたものですよね」


 侍女の一人の言葉に狭良は頷いた。

「そうだったわ。入宮のお祝いにどなたかから頂いたのだけれど、化粧が好きでないから、どうぞ心置きなく使って頂戴」


 そう皆から言われては、逆に断るほうが失礼だ、そう思ったのか、嬉しそうに「ありがとうございます。喜んで使わせて頂きます」と答え、その侍女は袂にそれを仕舞った。内心、いい拾い物をしたと思った。この白粉は、自分が壱ノ夫人に命じられて交換した。いわば高級品なのだ。下級士族の金ですら買えない代物だった。


 彼女の悲鳴を聞いたのは、その夜の事だった。


 ガタガタと音がして、悲鳴を聞きつけた侍女たちが、事が起こった場所に駆けつける。遅れて、狭良や波蘭も駆けつけた。


 そこは、御内原ウーチバラの中にある、侍女部屋からすぐ外の廊下だった。彼女はうつ伏せに倒れていた。手には小さな手鏡がある。


 誰も駆け寄ろうとはしない。苦悶の呻きはもう聞こえなかった。誰もが最悪の状況を想像した。血はない。


「私が見る」

 波蘭は侍女たちを押しのけて、倒れた侍女の胸に腕を通し、仰向きにさせた。その瞬間、誰もが息を呑んだ。


 美しかったその顔は見るも無惨に爛れていた。肉の腐った臭いがして、皆が顔を顰める中、偶然通った羽虫のみが美しいとでも言っているように、その顔に止まった。


「皆は部屋に戻りなさい」

 静かな、だが有無を言わさぬ声が響いた。狭良の指示に従い、誰も何も言わずに帰る。吐きたい者はその場で吐瀉した。


 その侍女に息はなかった。


「白粉だ」と波蘭は言った。


 爛れた皮膚の側に薄い白膜が残っていた。


「恐らく、サンカランカの根を百鬼草で煎じたものね。無臭だけど、触れた箇所は爛れるという劇薬…」

 狭良は、遺体に掌を合せた。


「死ぬものではないから、心臓死でしょうね…この子、美しい子だったから…」


「今晩、埋めましょう」合掌した後、波蘭は遺体を担ぎ上げて言う。


「待って。元の顔に戻して、実家に送り返します。私の責任ですから」


 死後硬直の前なら、故郷から持ってきた秘薬で、顔が元に戻る。しかし、波蘭は首を横に振った。


「この子は士族の出ですが、家は一代前に取り潰されました。このままここに埋めてやったほうがいいでしょう。それよりも、大丈夫なのですか? ここ最近よく狙われている気がします」


「大丈夫でなくなったら、皆に助けを求めるから、心配しないで」

 大丈夫でなくなった時は最期の直前だと狭良はわかっていた。自分は毒薬全てに詳しいわけではない。薬全般を知っているが、知る毒薬はその一部なのだ。


「この子が守ってくれるから大丈夫よ」


*****


 子穂は、腹の子に着せる産着を縫っている狭良を愛おしく見つめた。赤い髪は指を絡めてもすぐに解ける。特に香料を使っているわけでもないのに、彼女からは心地よい匂いがした。


「狭良」と彼は狭良の耳に囁きかけた。

「何故、お前はそんなに良い匂いがするのだろうな」


 狭良は苦笑いを浮かべた。

「良い匂いって、他のお方のように香料は使っていないわよ」


 初めて御内原(ウーチバラ)に来たときは、その禍々しく歪められた花の香りに思わず顔を顰めそうになったものだ。


 自国で作られた香よりも、外国の、特に大陸で作られた香油は高級ではあったが匂いがきつい。民は香を好むが、自国で作られたものしか使用しなかったし、それでさえ祭りの時にしか使用されない。彼らにとっては一級品だった。


 幼少期から神殿で暮らし、青春期も御嶽うたきにいた狭良は、その清貧たる生活に慣れてしまい、あまり香を好まなかった。とはいえ、薬を作ることもあったので、練り香を作ることはできた。香りは確かに強くないが、優しい香りがする。それを子穂に作ってやることは度々あった。常に緊縛した政に携わっている彼に一時の安らぎを与えたいと思って始めたのだが、本人はとても気に入っていた。


「お前がいない人生なんてもう考えられない」


 子穂は狭良の持っていた針を針山に突き刺すと、机の上に作りかけの産着を置いて、裁縫用具の入った桐箱の蓋を閉じた。そして、狭良の首の後ろに手を差し入れ、頬にもう片方の手を添えて、口付けた。


「私があなたより早く死んでも、この子を残していくから大丈夫」


 子穂の瞳が不安で揺れた。


「その子も何処かに行ってしまったら? 俺はまた一人だ」


「大丈夫。この子は神様が守ってくれる。一時、あなたの手を離れてもきっと繋がっているわ。あなたを一人ぼっちになんてさせない。いつか誰かを残していってくれると思うの」


 子穂は無言で、今度は深く口付けた。

 狭良は子穂が淋しがりやだと思っていた。早い時分に母がなくなり、守ってくれるのは父だけだった。それだけに信頼出来る人が欲しいと思っているのだろう。自分を残して死んでいくのはもう嫌なのだと思っているに違いなかった。


「子はたくさん欲しい。女がいいな。そうしたら」


 無用な争いには巻き込まれない。呟かれた内容に愛を感じた。だが、腹の子は恐らく男児だ。


「男の子だったら、きっとあなたにそっくりよ。“祝福の子”だといいんだけど」


 だが、二人ともわかっていた。恐らく、この子は神が憑く。神が憑く"国継ぎの皇子"が国を統べることはお互い知っていた。もちろん、子穂にも憑き神はいる。豊穣の神だという。


 子穂に次ぐ皇位継承権を持つと言われている、子穂の壱ノ皇子は国継ぎの皇子ではなかった。



 かくして、子珞はこの世に生を受けた。


 誰がこの子の不幸を喜んだろう。誰がこの子を"国継ぎの皇子"だと思ったろう。だがしかし、見るものが見ればわかった。


 冷たい印象を受ける異母兄に対して、柔和な顔をたたえていた。賢さは母に、王に必要な要素は父に、それぞれ似た。

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