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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
陸 二人の皇子(4)医務官と少年
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2:白黒の熊

 子孝(しこう)は闘技場の王族特別室で苛立っていた。


 なんだって、こんな野蛮なものの見物に来なくてはならないのだろう、と。しかし、今回のお披露目会では彼の弟である子珞が出る可能性が高いという。入り口の官吏の話では、少なくとも白髪赤目の“祝福の子”であるが、右側に一房の金髪が混じっているとのことであった。早く弟であるかを確かめたい欲求が焦りとなっていた。


 隣では国王の側近であり、特等医務官の劉葵ゐが話しかけるが、彼の耳に届いている様子はない。


 民衆は闘技場に詰め掛けており、今日は誰が勝つのか、どんな剣奴なのかを今か今かと待ち構えている。そして、なんと言っても今日の闘技場はいつもとは違う雰囲気に包まれていた。


 今日は年に数度しかない、県土島から剣奴になるべくして育てられた若々しい剣奴がやってくる日なのである。そして、まず県土島の剣奴から順番に戦いが始まるのだということも、民衆はわかっていた。


 子孝は何度かこの闘技場で剣奴たちの闘技を見る機会があったが、生々しく、見ていたくないものであった。この闘技場によって、民衆の日頃の鬱憤を晴らす機会でもあり、犯罪を犯した罪人を処刑する場としても有用であった。


 県土島の存在も、この国を支える要の一つであることも、子孝は王から聞いていた。しかしながら、近年県土島からの若人の剣奴たちで生き残っている者は少なく、ほとんどの剣奴が犯罪者や傭兵上がりの者ばかりであった。その戦い方は美徳に反し、嬲り殺しも良いところであった。


 県土島出身の剣奴がやってくる年に数度の闘技場は多くの金が賭けられる。王族が見に来るのもこの数度だけであったため、一目見ようと闘技場には多くの人が押し寄せてくる。賭けられた金は優勝者への褒美となる。そして、今は李国の猛獣にも金が賭けられており、殺せたものの褒美となった。また、国王からも猛獣を殺せたものは借金、罪、すべてが帳消しにされる褒美が与えられている。


 今日もまた、またあの猛獣に殺される者が出てくるのか、と子孝がため息をついた時、入場の銅鑼が鳴った。


 大声自慢の男が実況中継を行う。


「県土島~出身~~、ら~く~~」


 入場してくるその少年を見た瞬間、子孝は思わず立ち上がった。


「子珞っ!」


 子孝は自分の諜報機関を使って、五歳の頃から六年間探し続けていた。しかしながら、いつまで経っても見つからず、無事が確認できなかった。県土島にいたとなれば納得がいく。県土島に渡るには、送ることはできても、戻ってくるときは買われる時か剣奴になる時だけである。それが密約であった。子孝はそのように考えつつも、立ち上がったまま、目の前にある子珞の顔を見つめた。


 記憶に残る彼の顔の面影を残しつつ、少年の凛々しい顔に変わっていた。


「殿下、お座りになってください。お披露目会が始まりません」

 葵ゐの声が聞こえ、子孝はひとまず椅子に座った。

 子珞のここからの命が心配になり、子孝は冷汗が垂れた。


「辞めさせることはできぬよな」

「できません。あの少年が弟君である証もありません」


 葵ゐの言葉が無情にも響いた。


*****


 珞が入場すると、民衆の歓声に紛れて、名前を呼ばれたような気がして、珞は声のする方向を見た。

そこには六年前に生き別れた兄、子孝がいた。


「兄上……」


 久々に見る兄の姿は、父の面影を宿しており、疲れがその顔からはみえていた。しかし、珞は子孝を一瞬見た後、すぐに前を向く。今は今の状況に集中するときだと珞は判断した。


 連勝中の剣奴、顔中に傷のある郡塔(ぐんとう)、しなやかな体つきの丈月(じょうげつ)が入場し、先に入場していた珞を観て、下品な笑いを浮かべた。あまり良いことは考えてなさそうだな、と彼は嘆息する。


 罪人の剣奴、晩六(ばんろく)陸列(りくれつ)は犯罪者であるためか、醜悪な顔色を浮かべていたが、その瞳には怯えた表情が張り付いていた。


「い~ち~の~み~こ~に~は~い~れ~い~」の合図の下、民衆がその場に立ち、一斉に子孝の方を観た。そして、額を地面につけ、最敬礼を取る。珞も皆に倣って、少し遅れて同じことを行った。


「一年ぶりのお披露目会だ。楽しんでくれ。剣奴たちの健闘を祈る」


 絞り出すような低い声が耳に届く。兄が大人になるための声変わりが終わっていることに時の流れを感じた。


「か~お~を~あ~げ~よ~」と中継者の声がし、顔を上げた。


「で~は~、く~じ~び~き~」


 闘技場では剣奴たちの組み合わせを決めるために、くじ引きが行われる。くじを引くために、五人の剣奴が闘技場の中心に集まった。


「俺はそこのお坊ちゃんとがいいな」と郡塔が言ってきたため、珞は一瞥した。


「その顔にもう一つ傷ができなけりゃいいですけれどね」


 郡塔は顔を真っ赤にして唸った。


「この餓鬼!」


 騒いでいる郡塔を尻目に、珞は目の前にある竹に入った木の棒を見つめた。


「このうちの一本がその獣なんだな……」と珞が呟くと、その場の空気が凍った。


 剣奴それぞれの顔を見てみると、先程まで勇んでいた郡塔までその顔に脂汗を浮かばせていた。中継係によって、竹が振られ、目の前に差し出される。


 全員が自分の目の前に刺さった棒を手に取った。珞は躊躇いなく棒を引き抜いた。珞の引いた棒は黒い染料で染められていた。他の剣奴のものを見ると、郡塔と陸列、丈月と晩六が同じ染料で染められた棒を持っている。ということは必然的に――。


「結果が出ました。郡塔と陸列、丈月と晩六、珞が獣と戦うことになりました!」


 さすがの珞も「まさかの、か」と思った。三太の言葉を思い出す。昨年、三太が守り手をした悠もその獣に喰われたのだろう。


 珞は長嘆息し、棒を元に戻した。ちらりと子孝の方を見ると、今にも卒倒しそうなほど、青白い顔をしている。そりゃあそうだわな、と思いながら、珞はいつも行っている準備体操を始めた。


 その様子を見ていた丈月が驚いた顔をして、珞に尋ねた。

「お前は怖くないのか?剣奴を喰っている猛獣だぞ」

 珞は準備運動をぴたりと止め、その目だけを丈月に向ける。

「どんな獣だったとしても俺は勝つ。生き残るために」


 そして、もう一度筋肉をほぐし始めた。お披露目会の珞が一番初めに戦うことは決まっている。だからこそ、早めに筋肉を温めておきたかった。


「それでは、剣奴珞以外は控え場所の位置に着くように。私も所定の位置に着きます」


 剣奴や中継係が散っていく中、去り際の丈月は「言ったからには絶対勝てよ」と言葉を残した。珞はそれを聞き、頷いたが、「こういう人が県土島で師になっていくんだろうな」となんとなく思った。


 珞が準備体操をし、円形の闘技場を走っている間に、珞の紹介が始まる。そして、珞が民衆の前を通るたびに歓声が沸き起こった。王族特別室は上の方にあったことから、走っている間、敢えてそちらの方は見なかった。


「今回、獣と戦う勇気ある剣奴珞についてご紹介いたしましょう。五歳の時に県土島に売られ、仲間と共に切磋琢磨し、剣奴になるためにやってきました。県土島の師の方々からは稀代の逸材と言われております。さて、今まで多くの剣奴を喰い殺してきた獣を、この珞は戦い、殺し、生き残ることができるのでしょうか⁉」


 民衆が叫び声、歓声を上げる中、珞はその紹介を聞いて眉をひそめた。何が「稀代の逸材」だよ、とあからさまな大師からの嫌味に気づく。


 体も温まったところに「獣が入場します。剣奴珞は定位置についてください」と中継係の声がする。珞はそれを聞き、定位置に立った。大きな鉄格子の扉が、定位置から見えた。


  ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛


 獣の鳴き声が遠く離れた珞のほうまで聞こえた。その声は聞いたことのある声だった。息を抜いた珞を

再び緊張感に導いたのは、その獣の姿を見た時だった。


「何だあれは」


 大きな鉄格子の扉が開けられ、のそりのそりと歩いてきたその獣。

「なんなんだ、あれは」


 その“獣”は人の肉を喰らい、そのために瞳に狂気をもっていた。その姿は熊に似て非なる、白黒の熊であり、その体の大きさは珞の二倍以上はあるに違いなかった。


 後々、李国の者に聞いてみたところ、その熊は本来ゆっくり歩き、笹を食べて生活していると聞いた。しかし、珞が今目の前にしているその熊は人肉の旨味を堪能し、獲物に向かって突進することができる俊敏性に優れた熊であった。


 珞は突進してくる熊に対し、「これは他の獣とはわけが違うな」と一人呟く。彼はひと呼吸おき、すぅ……と目を細めた。周りの観衆が消え、自分と相手、そして円形となっている壁だけがその場にある。誰かと一緒に戦っている時はできていなかったが、今なら自分だけを考えればいい。


 白黒の熊は右手を振り上げ、珞の体を引き裂こうとした。その素早さと言ったら、人のそれを遥かに超えていた。珞は右によけ、そのまま熊の後ろに回り込んだ。熊はそれを追って、ついてくる。案の定、熊の方が走る速さが速く、彼は追いつかれてしまう。すぐ後ろで唸り声が聞こえた瞬間、彼は即座に後ろを振り返り、熊の腹に滑り込んだ。それと同時に、李国刀を右手に持ち、滑り込むと共に李国刀を熊の腹に差し込み、切り裂いた。


 熊の、得も言われぬ慟哭が周囲に木霊する。珞は熊の血でまみれた顔を服で拭った。熊はその腹が裂かれていることに対して動揺が隠せないのか、出血を止めようとしているのか、腹を地面に押さえつけている。


 珞はその瞬間を逃さず、走り込み、熊の背中へと飛び乗った。熊は背に重みを感じ、獲物が自身の背中にいることを認識した。そして、立ち上がり、体を左右に震わせ、珞を引きずり降ろそうと躍起になった。


 彼は振り回されながらも落ちないように、その熊の長い毛を掴み、振り落とされないように体を熊の動きに合わせて揺らした。しかし、熊も賢さを持っていたようで、頭を前にし、珞が地面へ転がり落ちるのを待つ。当然珞は振り切られ、地面に叩きつけられた。咄嗟に受け身を取れたことから、内臓も破裂しておらず、骨も折れてはいない。だが、その衝撃により、口の中を歯で切ってしまい、血の味が口の中に広がった。その気持ち悪さに思わず唾を吐けば、それは赤く濁っていた。


「ふう……」と思わず息が漏れる。

「勝つのは、俺だ」

 自分を奮い立たせるように一言呟いた。


 李国刀を左手に持ち換え、熊に向かって走っていく。そして、立ち上がり襲い掛かる熊の眼の前で、珞は助走をつけて飛び上がった。


 ズブッという濁った音と、熊の悲鳴が響き渡った。珞は熊の左目に李国刀を突き刺し、すぐさま右手で刀を持ち、熊の頸動脈をえぐった。


 多量の血が吹き出、辺りは一面血の海と化す。


 熊は最後の力を振り絞り、目の前にあった珞の左足に噛みついた。珞は左足が熱くなるのを感じた。右足は熊の顔に押し当てていたが、左足はぶら下げたままだったのだ。


 熊は珞の左足に噛みついた後、もう一度噛みつこうとして足から歯を引き抜くと、こと切れた。そしてそのまま、前のめりに倒れ込む。珞は熊がこと切れたとわかった瞬間、左目の李国刀を軸に、その背中に飛び乗った。そして、自身も意識を手放した。

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