8:金の鋏の運試し
子孝は十三歳を迎え、急激に背丈が伸び、より父親に似た顔つきになっていた。しなやかな体つきは、日々の鍛錬の賜物である。ただ、成人が近づくにつれて、徐々に考え方が冷たくなっていることが問題であった。そのため、家臣たちにとっても今年に壱ノ夫人が決まるというのは非常にありがたいことであった。
「今回の最終試験は紗鶴以外受からないだろうさ」
さも紗鶴で決まったように言う子孝に対し、徹は眉を寄せた。
「そのようにおっしゃっては足元をすくわれますよ。王妃様の外戚、書一族の傍系の媛様もいらっしゃるのですから、何か対策を取られていてもおかしくありません」
「だが、王妃自身が紗鶴を気に入っているのだぞ」
「王妃様はしたたかですからね。表ではそのように仰っておりますが、裏ではどのように考えているかわかりません」
子孝は「確かに」と呟いた。考えれば、前壱ノ夫人や夏一族を弾劾する発想を得たのは照子が言ったことから始まっている。それが王妃書蓮彗の入れ知恵だと考えれば納得がいく。また、書一族は知恵の神である慶蛍照神の守護地だ。
特に琉城士族でなく、四高士族ですらないが、優秀な者が多く輩出されている。科試でも毎年上位は書一族の土地の者が占める。宰相の次の地位にある三司官も四高士族以外で輩出しているのは書一族くらいなものだ。
「だが、今回は西の国の知識も入っている。早々に解決できるものでもあるまい」
今回の試験は細工をしている。これは子穂にも蓮彗にも伝えていなかった。西の知識は門外不出とされており、国王と王太子しか入れない。しかしながら、それを翻訳したものや寓話であれば、彼の手元にも入ってきている。子孝が直接許可を取り、西の国の言葉を話せる者を雇い、翻訳させたものだ。
子孝は髪をカタカシラにし、後頭部の団子髪に簪を前と後ろに二本差した。長く白い髪は彼をより神々しく見せていたが、結わえると誰しもが忘れられない姿になった。
「カタカシラにすると将来禿げそうになるのは気のせいか?」
椿油に蝋を少し混ぜ、髪が乱れないようにするカタカシラの結びを、彼はあまり好んでいなかった。そのため、普段は髪は後ろでくくったままであることから、正式な装いの時の際には常に文句を言っていた。
「カタカシラにするのが普通ですからね。髪を下ろしていられるのは殿下の特権ですよ」
徹が嘆息する。彼も今日は正装をしている。試験には徹も同行するためである。
「わかっているさ」
子孝は小言を聞いた子どものように、素気なく返事をする。
「壱ノ皇子殿下、御時分でございます」
すだれの外から、女官の声が聞こえた。子孝は一度目を閉じ、そして開けた。
「あぁ、今行く」
すだれの外では、二人の異母妹である照子と綾子が拝礼して待っていた。その後ろには数人の女官が最敬礼している。
「「子孝兄上には息災であると共に、今日決まられる壱ノ夫人様が夜の国の丘を共に登る方となりますよう、お祈り申し上げます」」
照子と綾子が共に決まり文句を述べる。子孝も決まり文句を述べた。
「二人も息災で何よりである。私も共に夜の国の丘を登る女子と巡り合えることを願っている」
子孝は徹の先導の下、彼女らを引き連れ、正殿の食の間へと向かった。
今回の試験は食事の試験から始まる。普段、食事は一人で取ることが多いが、式典の際に粗相のないよう、食事作法の確認を行うというわけだ。
食の間には既に参の試験に合格した三人の媛たちが拝礼していた。伯山一族の紗鶴媛、書一族の瑠琵媛、そして波頼一族の豊香媛である。豊香は三司官の推薦があるため、参の試験で落とすわけにはいかず、子孝も渋々合格の許可を出した。
王族の三人が座り、それぞれの傍仕えや女官が後ろに着いた。
「楽にしてよい」
子孝がその言葉を口にすれば、三人の媛はそれぞれ自身の席に座った。
「国王陛下、王妃殿下のおな~り~」
銅鑼が鳴り響き、その場にいた者すべてが最敬礼を取る。衣擦れの音がし、上座に子穂と蓮彗が座ったことが分かった。
「楽になされよ」
子孝は顔を上げる。普段からよく見る父の顔に疲労感が見えるのは気のせいであろうか。
「朝からご苦労だったね。今回の試験は長丁場になるから、朝からになってしまった。さぁ、食事にしようか」
その言葉で、外で待っていた配膳係の女官たちが全員に配膳を行う。そして、三人の媛の後ろに座った。試験官も兼ねているというわけである。
子孝はこの時になって紗鶴の姿をまじまじと見た。昨年までの幼子のような表情は消えゆき、大人びいた表情になっている。そして体つきも女性特有の特徴を帯び始めていた。書瑠琵や波頼豊香にはまだない色香が出始めていた。月のものがきたのであろうか、と邪な想像をしてしまう。
食事はいつもと変わらず、冷めている。何度も毒見をするため仕方のないことである。しかしながら、子孝はお忍びで街に出た時の、あの熱々の食べ物も好んでいた。どちらも美味しいものである。
「スクイナタン」
ご馳走様、と神の恵みに感謝を示す。この食べ物が自身の体の血肉となり、薬となっていくのである。
彼女たちも食べ終わったようで、そこで食事の試験は終了となった。この後、彼女たちは文筆科と同等の試験を受け、その後金色の鋏の上に座る運試しとなるのである。それまでは彼も時間を持て余していた。
「随分冷たくなったではないか」
三人の媛が退席し、別の部屋に移動すると、蓮彗が子孝に話しかけた。
「この一年、手紙も贈り物も何もせんかったそうじゃな」
「不正を疑われた方が困りますからね」
「先ほどもほとんど彼女の方を見なかったではないか」
「継母上は何が仰りたいのですか」
子孝は蓮彗を人睨みすると、蓮彗は肩をすくめた。
「わらわは彼女たちを公平に見てほしいだけぞ」
「私は前壱ノ夫人の二の舞は生ませませんから」
彼はそう言うと立ち上がった。
「彼女たちの真価が問われるのは金鋏の運試しでですよ」
「そなた、なにか細工しておるな」
見えない火花が立ち昇ろうとし、周りがおろおろとし始めたところで、子穂が「やめないか」と一声かけた。
「夏玉麗の件もあり、何重にも策を施そうとしている子孝の考えには賛成できる面が大きい。それほどまでに壱ノ夫人の立場というものは両刃の剣であり、重い立場なのだ。蓮彗もわかってあげなさい」
蓮彗は何かを言いかけて、ぐっと手を握り締めた。
「わかっておりますとも」
「それでは私は先に金鋏の間に行ってまいります。徹、行くぞ」
子孝は略礼すると、さっさと食の間を出る。それに続き、徹と照子が付いてきた。綾子は武道以外興味がなく、今回のことも面倒な行事だと思っていた。
「照子、そなたは私の味方なのか、継母上の味方なのか」
照子は押し黙った。
「兄上が皇太子になれば、妾は兄上の味方じゃ」
子孝は、思わず「はっ」と笑った。「では今は継母上の味方ということで間違っていないな」
「うむ、実の母であるからな」
実母の存在を早くに捨ててきた彼にとって、実母が味方というのはあり得ない話であった。
「そうか」
金鋏の間に入った。すだれは上げられ、武官によって不正がないように守られている。
「種明かしをしようか」
子孝は照子の方を向いて、微笑んだ。
「金の鋏はすべての座布団の下に置くのだよ」
照子は目を見開いた。
「ど、どういうことじゃ。そうなれば、どの媛も壱ノ夫人になることになるぞ」
「そんな簡単なことを私がやると思うのか? 照子、私が欲しいのは国のために働ける優秀な伴侶なのだよ?」
照子は考え込むように手を顎に添えた。徹はいつものように困ったことをする主である、といったように眉を寄せた。
照子の目が見開かれ、瞬時に顔を上げた。
「兄上の意地の悪さが昔と変わっていなければ、まさか!」
その言葉に子孝は返事をしなかった。
すべての座布団に金鋏が隠されているとも知らず、三人の媛たちはやってきた。子穂と蓮彗は朝議のため、席を外しているが、代わりに子孝、照子、綾子の三人が上座に座っている。
座布団の間には不正防止のためにそれぞれ衝立が立てられていた。また、通年と違うのは、座布団の前に紙と筆が用意されていたことである。
「これまでの点数が高い順から座っていこうか。まず、伯山紗鶴媛」
紗鶴は顔を強張らせ、慎重に三つの席を眺め、その一つを選んだ。書瑠琵、波頼豊香の順に残りの席を決めていく。衝立でお互いの表情は見えていなかったが、上座からは彼女たちの表情からその気持ちが手に取るようにわかった。
座布団に硬いものが触れると、紗鶴は微かに口元を緩め、微笑んだ。瑠琵は安堵したように息を吐く。豊香はあからさまに嬉しそうな表情をした。
「さて、いつもなら、金の鋏が座布団の下にあるものが壱ノ夫人となる。しかしながら、皆も知っての通り、前壱ノ夫人は罪を犯した。そのようなことの二の舞になってはならない。そのために私は考えた」
子孝は彼女たちの表情を見ながら、その心を折る問いを投げかけた。
「全員の座布団の下に金の鋏は置いてある。その金の鋏が本当に金かどうかを見分ける方法を目の前にある紙に書いてほしい。私が求めている答えを出せた者を壱ノ夫人とする」
紗鶴の瞳がその問いを聞いて、煌めいたのを子孝は見逃さなかった。
彼女たちの解答は三者三様であった。しかしながら、紗鶴の答えは特に秀逸であった。途中までは瑠琵と同じものであった。
『金の鋏と同じ重さの金を水の中や秤にかける』というものである。しかしながら、紗鶴の解答にはそれに加えて、『本物の金の鋏には龍の紋章が彫ってある。金の鋏ができたのは三代目国王の御代であるため、その時のお抱え細工師であった岩垂備玄の特徴と比べるとよい』と書かれていた。
この解答には子孝を始め、照子も舌を巻いた。綾子に至っては、まったくもって知らない知識である。
朝議が終わり、金鋏の間に来た子穂と蓮彗は事のあらましを聞き、後ろに控えていた女官や官吏に確認を取る。不正は行われていなかったと確認が取れた。
子穂の声が響き渡った。
「壱ノ皇子澪子孝の壱ノ夫人は伯山紗鶴とする。なお、他の二人は……」
「陛下、そのことで発言よろしいでしょうか」
子孝は子穂の言葉を遮った。
「許す」
「ありがたき幸せ。私の夫人は伯山紗鶴媛ただ一人とさせていただきたく存じます」
その場が騒めいた。しかし、本人は飄々としている。
「それは子が成せた場合であろう?」
「私は紗鶴媛以外と契りを結ぶつもりはございません」
子穂はその言葉に、あることを思い出した。自分の息子が子穂と狭良の姿を見て、それを理想として育っていることを。
子穂は暫く考えると、「相分かった。だが、子が成せなかった場合はもう一度協議することを忘れるな」と言葉を発する。
「承知しております」
子孝は喜びで今にも頬がほころびそうであった。
「殿下が次に出席される、この県土島の剣奴のお披露目会のことで、少し気になることがあるのですが」
子孝が徹からそのように言われたのは壱ノ夫人が決まった次の日であった。
「どうかしたか?」
「子珞殿下と同じ字が使われている『珞』という少年なのです。年齢も子珞殿下と同じです。もしや同一人物かもしれません」
まさか、と子孝は思った。しかし、その可能性はなきにしもあらずである。
「県土島は生と地の神である樽毘神の守護地だ。そう簡単に入れるものでもない。本土に来る日取りを押さえ、そこから急ぎ情報を集めよ」
「は」と徹は返事をする。
子孝は小さな手掛かりに狂喜した。五年間全くなかった弟の行方に光が差しかけているのである。
「子珞、そなたに会いたい」
子孝は思わず呟いた。