5:企み
「前は琉城花織だったけど、今日は紅型なんだ。前回は清楚でとても素敵だったけれど、今日はより可愛さが際立っている。そなたにとても似合う」
困っているのを見るのもいいが、もっと話してみたいと思い、彼は彼女の召し物を話題に話しかけた。紗鶴は突然話しかけられたことに戸惑っている様子であったが、静かに話し出した。
「前回、紅型で来られた方が多かったので、今回は私も紅型にしたのです。琉城花織の方が控えめな感じがして、私は好きなのですが……」
琉城花織が好きなのか。好きな織りを教えてもらい、嬉しくなった私は、思わずいつもはつかない冗談を使った。
「私が壱ノ夫人にしてあげたら、もしかしたら花倉織の着物、着せてあげられるかもしれないよ」
王妃しか着られない花倉織の召し物は彼女も気になっているに違いない。だが、冗談と捉えられなかったのか、彼女はむせこんだ。さすがに心配になり、言葉をかける。
「大丈夫?」
紗鶴はむせこみが落ち着いた後、怪訝な顔をした。
「最終試験は運試しなのでしょう? それならば、私が壱ノ夫人に選ばれる保証なんてありません」
最終試験は確かに運試しの要素が強いが、いくらでも工作可能である。でもそもそも、子孝はこの夫人の選び方自体に反対だった。実母もこのような夫人選びで選ばれているが、最終的には人の道を踏み外した。壱ノ夫人が王妃に近い存在であったとしても、運試しで選ばれた壱ノ夫人が王妃に適当な人物であるとは限らない。それに、彼は父や狭良のように愛し合う者と結ばれることが理想に思っていた。
「まぁ、そのことは知っているが、私としては、好いた者同士が一緒にいたほうがいいと思う。子ども同士の無駄な争いも避けられるしね」
彼の雰囲気の変化を察知したのか、紗鶴が心配そうに顔を見てくる。身長差から彼女の上目遣いが自然でとても愛くるしい。このように表情の変わる彼女を毎日見ていれば、癒されるだろうなと思ったら、あの言葉は自然に自分の口から出ていた。自分が女嫌いなんて嘘だ、この媛に限って言えば。彼はその言葉を口にした。
「ねえ、私の奥さんになって」
朗らかに笑う子孝に対して、彼女の顔が無に帰し、その場が凍り付いた。
「子孝殿下」
彼女は真面目な顔をしていった。彼は紗鶴の胸の内を察しつつ、冗談なんて言っていないから、と開き直った。
「なんのためのご夫人選びかわかっていらっしゃるでしょうに」
その挑戦的な瞳が、彼を見つめた。だが、子孝にとってこの夫人選びに関していえば、士族・按司や女官たちを黙らせるためのごっこ遊びでしかない。
「でも、私が『君に決めた』と言えば、誰も逆らえはしない。特に父上はこの件に関しては、私に一任してくれているし、継母上は君が一番のお気に入りだ。宰相の孫で、見るからに賢さがにじみ出ている、と今日も絶賛していたよ」
さぁて、外から囲いを付けた。彼女の悪あがきしているところも見てみたい。
「それに、最近は伯山一族から王妃に上がった者は少ない。最近は生まれてくる子に男が多かったからね。優秀だからこそ、私が生まれた同じ年に伯山から女児が生まれたと聞いて、喜んだ女官や官吏は数知れずさ。これで馬鹿なら私も皆も諦めたけれど、媛は見るからに賢妃になりそうなんだから」
彼が一歩近づくと、紗鶴は逃げるように一歩後ろへと下がった。後ろに大きな木の幹があることに気づいていないのだろう。見るからに焦っている彼女に、私は近づいて行った。彼女は一瞬、子孝の顔を見て、そして顔を背ける。耳が真っ赤になっているのがわかり、頬を見れば、そこも紅色に染まっている。
子孝は心が熱するのを感じた。思わず、彼女の真っ赤に染まって耳に唇を寄せた。このままここで子作りしたいくらいである。さすがに無理であるが、それくらい可愛かったのだ。
「もうここで既成事実作ってしまおうか」
彼女は呼吸のできない魚のように口をぱくぱくとしている。目も見開いて、何を言っているのかわからない様子だ。
彼はプッと吹き出すと笑い転げてしまった。こんなに笑い転げたのはいつ振りだろう、と彼は思った。
「そんなの、するわけないじゃん。私たちの齢考えてもみなよ。君の体受け入れらんないでしょう」
そこまで言っても何を言っているのかわからないようだ。しかし、次の瞬間、彼女は何か思い至ったものがあるようで、一瞬でゆでだこのようになった。汗までかいている。
常に冷静沈着、話しかけても極端に会話を嫌うことで有名な“語らずの媛”が、自分にだけこのような表情を見せることに夢中になる。
「あはは、ゆでだこみたいだな。本当。食べてしまいたい」
子孝がこの媛のことを好きだと自覚したのはこの時が初めてだった。この娘のすべてを見てみたい、そう思った。
彼女はどこかに逃げようと画策しているようだった。ついお膳立てをして、逃げ道を示してあげると、その方向に逃げようとして、足元の石ころに蹴躓いた。小指の先くらいの小石に、だ。姿勢を崩す彼女の右腕を咄嗟に引っ張り、そして、自分の胸の中に引き込んだ。
「捕まえた」
もう一度耳元でささやくと、キッと目元を吊り上げ、睨みつけてくる。
「捕まえたでは、ございません!」
脱出を試みようとしていたため、腕を引き締めて逃げ道をなくせば、顔だけ彼の方に向けた。
「うん。君って賢いけど、たまにド直球なことをするよねぇ。それって狙ってやっていないでしょう?」
「なんのことだかわかりかねます」
彼の心に意地の悪い思い付きをみつけた。挑発的であるから、お仕置きしても大丈夫だろうか。この娘の初めてを、一生記憶に刻み付けたい欲求が彼の中で生まれた。
子孝がにこりと微笑むと、彼女の中で本能が働きかけたのか、また逃げようと企む。しかし、彼が年齢にしては上背で、普段鍛錬をしていることから、彼女は手も足も出ないようだった。
「こういうこと、だよ」
彼女の髪はまとめられていたため、後頭部は手で抱えやすかった。そして上を向かせる。
猛獣に狙われた小鹿のように揺れた浅葱色の瞳は、一瞬たりとも逸らしはしなかった。そして、子孝は彼女に噛みつくように口づけた。媛はもがくように動いたが微々たるものである。
彼は口づけでは飽き足らず、彼女の下唇を舐めた。柔らかいその感触に、彼女の腰が崩れるのが分かった。彼の口づけで腰砕けとなった彼女を見て、なんとも言えない満足感が子孝の心を支配する。
腰砕けになっている様子を見ると立てないに違いない。紗鶴は嫌がったが、子孝は彼女を抱きかかえると、元居た正殿の庭先に戻った。
庭にはひれ伏す従者らしき人と、廊下には蓮彗が立っていた。彼は思わず眉をひそめる。蓮彗はあからさまに面白そうな眼をして、私を見ていた。
「子孝、わらわは冗談を言ったつもりだったのじゃがなぁ」
紗鶴は立っているのが王妃書蓮彗と知り、抱かれたまま慌てて拝礼する。
「手は出していませんから」
子孝は白を切った。すると蓮彗はすぐにでも笑いだしそうな顔をして、無理やり怒り顔を作る。後ろに控えている女官たちが震えている。
「何を言っておろうか。冗談も大概にせい。伯山の紗鶴媛、頭を上げよ」
彼女は頭を上げた。彼が蓮彗の方を見れば、白々しく憐みの顔を見せている。焚きつけたのは蓮彗であるにも関わらずだ。
「そなたも、変な皇子に好かれて苦労するであろうのう……」
彼女は何か言いたげにしていたが、その言葉は口に出されることはなく、抱かれたまま、略礼をした。
蓮彗が御内原に戻っていくのを見送り、子孝は彼女を迎えの馬車に乗せた。従者は拝礼したまま、後ろについてくる。
今度会えるのが1年後なのは非常に悲しいが、彼女が1年後成長していると考えたら、それはそれで嬉しい。それまでに一層政務に勤しむことにする。
「次の試験はまた1年後だね。もっと麗しく成長された媛の姿、楽しみにしているよ」
そう言った子孝の言葉に、媛は「今回の試験で落ちることを楽しみにしております」と捨て台詞を吐くと窓を閉めた。しかし、彼は見てしまったのだ。彼女の頬が窓を閉める瞬間、徐々に赤く染まっていくところを。
あぁ、来年はどんな可愛い姿を見せてくれるんだろう。楽しみだ。子孝は口元がにやけるのを隠せなかった。
子珞を探すのも政務の間を縫って行っていたが、今後は紗鶴のことも考えることにしようと彼は決めた。




