3:拝謁と許可
子穂は自分の父親に欲しい女性がいるなどとは口が裂けても言いたくなかった。彼の御内原にいる女性は夫人が三人に、妻が二人。すべて当てがわれた女性達だ。母の親族に、従姉、どこそこの按司の娘。夫としての役目は果たし、一人の息子と二人の娘を授かった。だが、子穂には皇太子として決定的な後継者が足らなかった。
狭良の強情さに思わず舌打ちをすると、隣に歩いていた乳兄弟の葵ゐが眉をひそめて笑った。
「天下の子穂様がどうした。色恋沙汰ですか?」
図星を差され、反射的に睨むと再び笑われる。
「図星だ〜」
葵ゐの適当に切られた黒髪が風に揺れる。
「で、どんな女性なんです?」
お調子者の質問に真面目に答えようとするほど、子穂は狭良のことを考えていた。
どんな女性か。なんと言えばいいのだろう。
「恐らく混血じゃないだろうな」
あの髪と瞳では、混血を疑う方が難しい。赤い髪と碧の瞳はもともと白澪に住んでいた先住民のものであったと古文書で呼んだ。先住民であるが故に、のちに“悪鬼”と呼ばれる存在になったことも、子穂にはわかっていた。
「それと、俺を嫌っている、気がするよ」
それを聞き、葵ゐは苦笑を漏らした。
「積極的に話しかけることは当然したんですよね。というよりも、子穂様を拒む女性なんているんです? 次期国王なのに?」
子穂はムッとして、眉を寄せた。
「神女だからな。拒否された。正当法で来いとまで言われたんだ」
葵ゐは吹き出した。
「陛下に頼むなんて、子穂様には絶対に出来ない芸当ですね」
出来ない訳ではない、したくないだけなのだ。なぜ意中の女性を自分の御内原に入れるのに父親の力を借りなければならない?俺は国王のヒモではないのだ。そう、子穂は考えていた。
「今回は、父上の手を借りないと彼女を手に入れることはできない」
だから今、彼は国王の執務室に向かっているのだ。
「陛下、許して下さると思います?」
葵ゐは独り言のように呟いた。
問題はそこだった。神女を御内原に召し上げるなどということは、前代未聞だ。それに加えて、色々制約も出てくるだろう。
「まぁ、初めて言う我が儘だから、許していただけると信じたいがな」
国王の執務室のすだれが揺れた。
「執務中、失礼致します。子穂です」と拝礼してから申し立てる。
「同じく、特等医務官の劉葵ゐでございます」
葵が続いて言った。『りゅう・あおい』という、噛みそうな名前をサラリと言ってのけるのは、長年培ったものだろうか。
入れ、という言葉を聞いて、室内に入る。齢45になる国王の澪子春は子穂と同じ白髪赤眼の美丈夫である。子穂の風貌とは似ても似つかない…どちらかと言うと、子穂は母親似なのだ。
「あの神女のことか?」
そう子春は書面から顔を上げずに、子穂に問いかけた。隣で葵の気が驚いた様に揺れる。しかし、そう驚くことではない。白澪国王の情報網は大和や李国の比ではない。国内外を問わず、至る所に"耳公・目公"と呼ばれる者達がいる。
「はい」
子春は暫くの間、黙っていたが、「別に構わない」と書面から目を離さないまま、子春は言った。
子穂が目を見開いた。「え?」腑抜けた声が喉から出てくる。
「別に構わない、と言ったのだ」と言って、子春は顔を上げる。同じ色の瞳が自分を見つめた。
「神女のような異色な力を持つ女は、後宮の醜い争いとは無縁だろう。髪色や瞳の色以外にも、お前には嫌でも巻き込んでしまう理由がある」
やはり知っていたか。国王が知らぬわけがなかった。子穂は下唇を噛んだ。この秘密を知っているのは自分と国王のみ。
子穂の跡を継ぐと国中が信じている長子には、「国継ぎの皇子」になれる証がない。あの子は“祝福の子”だ。まだ真の跡継ぎは生まれていない。もし万が一、狭良が跡継ぎを産めばどうなるか。
女性は醜い。士族や按司の娘ならば尚更だ。 後見人がいない妻が跡継ぎを産めば、母親の命の保証はない。龍の血を受け継ぐ子は、命を狙われないにしても、母親は命を狙われる。そして短命であった。
長子が龍の鱗をもって生まれなかった例はあまりに少ない。少なくともここ数代は起こっていない。民衆は長子が鱗をもつ後継者だと勘違いしているのだろう。それが当たり前すぎて。
「それでもいいのか?」と父の声がする。
彼自身、母親を後宮の醜い争いで失った一人だから。十の時に毒殺されたのだという。
「……私が、守ります」
これしか言えなかった。先代の王は子春の母を守れなかった。
フッと、子春が笑んだ。
「気をつけろよ」その難しさも、すべて理解しているのだ。
「はい」
守れる自信はなかったが、手に入れたかった。自分のものにしたかった。これが神に逆らうことになろうとも。
*****
ある日の夕暮れ、狭良は上司の真壁大むしあられから呼び出しを受けた。
「……は?」
そして、彼女から発せられた言葉の内容に、一瞬理解が追いつかなかった。
「皇太子に嫁ぐ……なんの冗談ですか」
「冗談など言うか。勅命だ」
狭良は押し黙った。
「神々との誓約があるのではないのですか」
狭良の上司、真壁大むしあられは、「あぁ」と言ったきり、その話については教えてくれようとはしなかった。
「位は参ノ妻だそうだ。折りを見て、夫人に格上げすると」
あいつは馬鹿か、と狭良は心の中で呟いた。身分の低いことを知らないのか。少なくとも、御内原に入れるほどの身分を狭良は持ち合わせていない。それにこの赤髪碧眼も他の夫人や妻からしたら、なんと目障りな存在となるに違いない。迷惑にも程がある。
だが、彼女に拒否権はなかった。
「……慎んでお受け致します」
これで神に祟られて死んだら、それは自業自得に違いない。あの時、興味本位で声に釣られた彼女が悪いのだ。
「国を継ぐ子を産め」
そう、真壁大むしあられが呟いたのを狭良は聞き逃さなかった。
国を継ぐ子。すなわち皇太子となる子である。
何故? 皇太子の跡継ぎは既に在る。まさか今の次に立たれる皇太子は皇太子ではないと……そんなはずはあるまい、と彼女は疑問に思った。