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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
肆 二人の皇子(2)剣奴と悪鬼
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14:自由を求める気持ち

 学術の試練は武術系統の試練とは違い、ある意味、師との知恵比べのため、体の疲労はなくとも脳の疲労は尋常ではないといわれている。過去に仲のよかった“先輩”たちも何が一番疲れたかと問われれば「学術の試練」と言わずには居られなかったという程である。


 朝起き、いつも通り、翠の食事を食べる。珞はこの時を至福の時と感じていた。


「ちゃんと眠れた?」と翠が心配そうに訊く。学術の試練のことについては、翠も耳にしているのである。


「翠が寝たの確認したら、俺もちゃんと寝たよ」


 事実を述べれば、翠は沈黙した。そして、「いびき、かいてなかった?」と恥ずかしそうに言う。無表情ながら、一緒に居れば居るほど、彼女の表情はわかりつつあった。


「いびきなんて聞いてない。素敵な寝息を聞いただけ」


 少しからかえば、「もう!」と怒ってくる。「素敵じゃないから」


「素敵だよ。それは本当」


 真剣な表情と声音でそれを言えば、彼女は深い碧の瞳で珞を見つめ、ふいと視線を逸らした。彼女の耳朶が赤くなっているのを見て、珞は嬉しくなった。


 珞は立ち上がった。


「さて、行こうか。陶苑師との勝負だ」


 小演舞場の様子は今までのとは様子が違っていた。水が流れており、上からは微かな隙間から太陽(ティーラ)の光が入っている。明るい印象を受けた。演舞場の中心にはゴザと座布団が置かれており、(シュク)の上には巻物、筆、硯、墨、水差しがおいてある。その後方には、翠が座る用のゴザと座布団が置いてあった。昨年、珞が守り手だった時はゴザのみであったことから、守り手が女であることへの配慮であろうか。女性は下半身を冷やしてはいけないと、学術の授業で学んでいることから、周知のことであった。


「珞、翠、よく来たのう」


 気配に気づかず、珞は声のする方へ顔を上げた。陶苑師である。白髭を蓄え、大師と同じようにゆったりとした長衣に身を包んでいる。


「双方、座りなさい。荷物は置くようにな。不正は許されぬ」


 陶苑師は二人が各場所に座ると、自身も椅子に座った。老年の陶苑師には試練中に床に坐するのは厳しいとの判断ゆえであろう。


 珞は唾を飲み込み、大きく息を吐いた。巻物の表紙には、「珞“学術の試練”」と題が付けられている。


「試練は六ノ時分、では始めるがよろしい」


 陶苑師の言葉で、珞は自身の前に置かれた巻物の紐をほどき、表紙を開ける。


『試験ではな、まず問われているものを全て目を通し、そして墨を摺っている間にわかる問いのものから考えていくのじゃ』


 県土島に来たばかりの頃、初めての試験の前に陶苑師が言っていた言葉が脳裏に反復する。陶苑師はすべての者の状況にあった問いを試験に出し、単に頭を使わずに解けるような問いは決して出さなかった。今回もきっとそうであろうと思い、書かれた問いに目を通す。


 二つは論述の問いであった。珞はすべての問いに目を通すと、墨を摺り、解答にとりかかった。最後の二問以外は簡単であるものの、知識がしっかりと持っていないと解けない問いである。最後の二問は自身の考えについて書かせるもので、正解も不正解もない。これは自身の理念を師に見せる唯一の機会であることに、珞は気が付いた。


 時間は刻一刻と迫ってくる。墨がなくなっては摺り、書く。六刻はみるみるうちに過ぎていった。一刻が経てば、その数に応じて、陶苑師が銅鑼を鳴らす。


「辞め」と師の声が聞こえ、珞は顔を上げた。半刻分、見直しに費やすことができた。余裕をもって回答することができたと思う。


 陶苑師によって、巻物が回収されていく。


「今日で三日が過ぎたな。保存食の交換と食事をふるまおう」


 師が出口付近の岩を押せば、別のところから保存食が入った棚が出てきた。また、師が手を叩けば、二人が入ってきた入り口から二つの弁当を持った給仕係が入ってくる。


「昼食と夕食の分さ。あと、四日間頑張るんだよぉ」


 幼い頃から見知った給仕係の者が珞の頭をかき回す。


「わかってますって」と珞は迷惑そうな顔をしつつも、嬉しそうに笑った。


 試練の三日目が終わりを告げた。




 陶苑師の計らいか、食事の後は布団が敷かれていた。翠も保存食の交換と予備を袋に入れており、明日の準備は万全だ。明日はもう一人の剣術の師である圓朝(えんちょう)との試練がある。圓朝師は李国から伝来した剣の師である。力を持ってはじき返すような剣は、珞の持つ刀とは相性が少々悪かった。刀の根元で抑えるしか方法はない。剣と真正面からぶつかり合うことによって、刀が折れてしまうこともあるからだ。母を介して父から貰った刀をわざわざ折るような真似はしたくない、と珞は思っていた。


 圓朝師は見るからにして「剣奴」という名が似合うような体格をしている。筋骨隆々の体に体中についた歴戦の傷跡。そして、耳が片方なくなっていた。


『剣奴というものは甘いものではない。俺のように耳が片方えぐられた者も、鼻がなくなった者も、腕や足がもげた者もいる。それでも戦い続けなければならない。それが剣奴の誇りだからだ。命を落とす可能性は極めて高いが、誇りと信念、それを忘れず戦い、死んだらいつでもここへと戻ってこい』


 やたらと精神論が多かった師ではあったが、その考えが間違っているとは思えなかった。彼の闘志が彼を生き残らせ、その考えを学ばせてくれているのだと知っていたからだ。刀の剣術の師である郎結師も、若かりし頃の圓朝師に学んだという。


「一太刀、圓朝師の体に俺も傷をつけたい」と呟く。すると翠が間髪入れずに返事を返した。

「いや、さすがに無理でしょう。圓朝師って、剣奴時代に千人切りと呼ばれていたし、ここに赴任してくるまで宮廷入りを断り続けていたという猛者なわけよ。前向きになってはほしいけど、さすがに厳しい戦いになると思う」


 その考えは正しい。しかしながら、珞のように前向きに考えるのも時には必要なことではある。圓朝師と珞は武器としての相性は悪かったが、その精神論にひたむきに向き合ってきた珞を圓朝師は可愛がっていた。その様子を翠は見ていない。


「無理と決めるのはまだ早い。別に勝とうとは思っていない……さすがに厳しいだろうから。でも、一太刀だけなら浴びせられるかもしれないんだ」


 珞は腰に差した刀を撫でた。最初の一刀で勝負が決まる。そう考えておかしくなかった。剣同士ならば、何度も打ち合い、どちらかの力尽きるまで戦えるだろう。しかし、珞はわざわざ剣に変えてまでも挑みたいとは思わなかった。……と言うよりも、珞は剣があまり得意ではないのだ。


「怖く、ないの?」と翠がこちらを向いたのが分かった。珞は翠の眠る方に顔を向かせた。


「そりゃ怖いさ。それに俺は剣も暗器も、翠や三太みたいに得意中の得意って程じゃないからな。器用貧乏ってやつ。最低限なんでもできるけど、ずば抜けてうまいのがあるわけじゃないんだ。だから、圓朝師と戦うのはもっと怖い。でも俺はやるよ。俺は剣奴になって自由を手に入れる。そのためには、この試練は乗り越えなくてはならないから」


 翠の瞳は薄暗い灯りの中で、煌々と輝いて見えた。彼女の唇から、かすれた言葉が漏れた。


「なぜ、それほどまでに自由を手に入れたいの?」


 その問いに、珞は三太の言葉を思い出した。そして、何も考えずに目を閉じ、自分の考えを述べる。目を開けて言ったら、言った時の彼女の顔がわかってしまうからである。


「翠の隣にいる、最低限の権利が、俺は欲しいんだ」


 沈黙がその場を支配する。珞はまぶたをよりきつく閉じた。失敗したと悟る。ただでさえ、一度失敗しているのだ。


 その時、冷たいがしっとりと湿った手に頬を包まれる。そして、額に柔らかいものが押し付けられた。


「自由は簡単に得られるものではないのよ。でも、嬉しい。おやすみ」


 彼女の声色は柔らかく、気持ちの良いものであった。手が離れていく。気配が傍から消えるのがわかり、珞は咄嗟とっさに目を開けた。しかし、翠は既に珞とは反対の方向を向き、安らかな寝息をたてていた。

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