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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
壱 墜ちる定めの華
3/69

2:皇太子と神女

 そう意地悪く尋ねると、彼女はたった今気がついた様に一気に赤面した。


「違うわよ!」

「可愛いな」


 くすくすと彼が笑う。その優美さに彼女は目をそらした。


「もう少し傍に寄れ。神女ノロなのだろう?」


 狭良の細い肩が揺れた。


 白澪の中央にある御嶽うたき神女ノロはすべてを国神に捧げる。恐らく例外は国王に嫁ぐ時だが、そんな玉の輿はあり得ないことであった。すべてを捧げるということは、国神に一夜の伽を命じられれば、その相手をしなければならないということである。その為にこの寝台があるのだ。


「この場に来て、嫌だなどとは言うなよ」


 彼は真剣に命令をしていた。有無を言わさぬ物言いに、狭良は唇をきつく結び、彼の方に歩み寄る。そして彼は狭良の手首を掴み、引き寄せた。


 耳元に寄せられた薄い唇から漏れるのは、夜鳴鳥の如き、なんと耽美な声であろうか。


「私が国神でないと言ったら、そなたは私にその身を預けないのだろうな」


 そして、なんと寂しげな声色だろうか。彼の腕に力がこもる。お互いの心の音が重なり合い、狭良は瞳を閉じた。


「私たち神女は国神様と国王陛下のものですから」


 独り言のように呟いたそれを男は聞き逃さなかった。


「はは。残念だったな、私は国神ではない」

 空く響く笑い声と幾ばくか悲しげに聴こえる声に、狭良は瞼を開けた。


「え……」

 彼の瞳は赤い。しかし、その奥に少しの水たまりが見えた。


「無論、国王でもない」


 彼が狭良の瞳を覗きこむ。


澪子穂(れいしすい)だ」


「澪子穂」そう呟くと、狭良は顔を歪めた。「皇太子殿下」


 子穂は身を引こうとした狭良を抱きしめた。赤髪が白髪とが絡まっていく。


「いや、だめです。離して」

「離さない」


 皇太子が神女を意のままにすることは叶わない。これは建国以来の神々との誓約なのだ。そうと知っていながら、子穂は狭良を離さなかった。


 彼にとって、初めは遊びのつもりだった。神女には美人が多いと聞き、御嶽まで見に来たのだ。王宮の隠し扉から繋がる、この祈りの間に身を潜め、神女が祈りを捧げるのを見ると、それだけで心が癒された。


 彼がこの少女に初めて会ったのはいつだったろう。長く、軽くうねりのある赤髪を編んで背中に垂らし、その瞳は他の神女には見られない輝きを放っていた。彼女はどちらかというと不謹慎な娘だった。祈りの最中に欠伸をする、船を漕ぐ。最初、他の神女のように静かに祈ることはできないのかと思った。しかし、彼女は魅力的だった。他の神女たちとは何かが違っていた。その容姿から、“悪鬼”と他の神女から罵られても、押し黙り、後で密かに唇を結んで、泣くのを我慢していたことも彼は知っていた。


 彼が毎夜、明日も会いたいと思って願えば、いつも彼女がいた。いつも不機嫌そうにしていたが、暇になるといつも隅に置かれた書物を読んで笑う。いつの間にかこの少女に惹かれていた。いつしか、この赤髪も瞳も、桃色の唇も柔らかそうな頬も、全て独り占めしたいと、そう思い始めた。子穂にとって初めての恋であった。


 彼が頬をそろりと撫でると、彼女は身を固まらせて怯えた。子穂は苦し紛れに狭良の髪を解く。今度は指に絡ませても怯えなかった。


「名は」

 名はなんというか訊いていなかった。狭良は少しの間黙ってから呟く。この胸の鼓動は嫌いではない。


「狭良」

 サラ、と子穂が呼ぶ。その声は、甘い。


「私を癒やしてくれないか」

 彼女はいけない、と思った。神女の自分が皇太子と契れば、神々との誓約に反する。それは不義と同義だ。神女は、清くなければならない。澄んだ乙女でなければならないのだ。それに、このことが人に知れれば、彼にも迷惑がかかる。最悪の場合、廃位ということもあり得るのだ。


 しかし、狭良は即座に断ることが出来なかった。喉から出かかる断りの言葉を、彼女は何かに押さえつけられるように言えなかった。


「今日会ったばかりだから、時間を、ください」


 狭良が必死になって言葉を紡げば、彼は黙って聞いていた。そして、もう一度優しく抱きしめた。


「待っている」


 子穂は運命を感じていた。彼は狭良の頬を再び撫でた。彼女はもう逃げなかった。


神女ノロは……」と狭良は呟いた。

「穢れたら最後、国神様の吐く業火にその身を焼かれる運命にあるとご存知ですか?」


 子穂はなにも言わなかった。

「貴方は自分のせいで死ぬ女を見たことはないでしょう。夫人(おきさき)様が三人もみえるのに…私は慰み物、遊び女ですか?」


 違う、と彼は言う。しかし、彼女は捨てられたら、ひとたまりもないのだ、出会ったばかりの相手に癒せと命じるとは、頭がおかしいとしか思えなかった。皇族の考え方は島出身で平民の自分には理解不能だ。三人の夫人を侍らせ、(さい)もいる。その彼が彼女に興味を持ったのは、単に珍しかっただけだろう。“悪鬼”の巫女という極めて異色な存在に興味を持っただけだ。狭良自身に興味を持ち、惹かれた訳ではないのだ。彼女には、それが無性に悲しかった。


「添い寝してくれ。それくらい構わないだろう」と彼は懇願する。

 狭良は「いけません。私はこの場にいてはいけない」と身をよじった。彼女は逃げたかった。ここにいると否応なしに流されてしまう。相手を拒まなくなってしまう。

神女は国神や国王以外の男に惹かれてはいけないのだ。頭ではそれがわかっていても、心がそれを望まなっていくだろうと危機感を覚えた。


 心が縛られ始めていた。危険だ、離れなければならないと、彼女はとっさに思った。


 彼といればいつか、私と彼双方に、国神の制裁が下るだろう。それは二人だけの問題でないかもしれない。


「今日のところは見逃してください」と、狭良ははっきりと伝えた。

「嫌だと言えば?」子穂が尋ねる。


 狭良は首を横に振った。

「そんなに私が欲しいなら、こんな回りくどいことをせずに正当法で来ればいい」


 その手がないわけではない。しかし、それを実現した者がいたのかどうか。だからこそ、彼女は賭けに出た。


「一夜の遊びを求めるならば、御内原(ウーチバラ)の方々でよろしいでしょう。私がいいなら、直球のみが有効だと思いますが?」


 ドン、と彼の肩を突き放す。


「遊びなら、もう私に話しかけないで」

 彼女の変貌に、子穂は目を細めたが、すぐに狭良の腕を掴む。

「離さないと言っている」

 その真剣な瞳に、狭良の心は揺らぎだす。その様子を赤い瞳はじっと見つめていた。


「離して」

「離さない」

「国神が見ていらっしゃいますよ」


 子穂はそれを聞いて押し黙ると、狭良の腕を引いた。彼女の体が子穂の胸に倒れ込む。背に感じる大きな手が、体を抱く。

「やめて!」

 やめないと言っている、と子穂は狭良の耳に直接囁く。彼の吐息がかかったところが、徐々に熱を帯びていく。


「馬鹿だな。ここに来た時点で、こうなることはわかっていたはずだ」

 狭良は子穂の胸を押しのけようともがくものの、それは何の抵抗にもならなかった。


「この、馬鹿皇太子! 正当法で来なさいよ。こんなやり方は卑怯だわ」

 子穂の動きが止まった。正当法、それは国王を介する、ということ。

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