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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
肆 二人の皇子(2)剣奴と悪鬼
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9:鍛錬の終わりと三太

 珞の調子が本調子に戻るまで、大きな獣が襲ってくることはほとんどなかった。むしろ、何のために森にいるのかわからなくなるほど、襲撃はなく、のんびりとした時の流れを感じた。


 森の中を歩いている間、珞と翠は今まで見てきたことをよく話した。珞のほとんどの話は県土島にやってきた五歳以降の話ばかりだったが、五歳以前のことについて、翠は疑問を投げかけることをしなかった。翠は県土島に来る前に自身に起こったことを話せるところだけ話した。途中言葉に詰まって離せなくなることもあったが、そんな時は珞が気を紛らわせるようなことを言い、二人は楽しく過ごした。


 彼の調子がもとに戻ると、また以前と同じように獣たちが襲ってくるようになった。しかしながら、珞が食べ物を探している最中に、翠が襲われるというように翠に対しての攻撃が多くなった。


「力の底上げということか?」


 戦いが終わり、後処理をしている時、珞は翠にそう告げた。


「そうだと思う。珞の力がある程度のところまで達したから、今度は私の番になったんじゃなか、と」


 そういえば、と翠は言葉を続けた。「“洞窟の試練”では七人の師と戦うんでしょう? 大師も含めて学術の師も入っているじゃない。そういう時、どうするの? まさか、学術の師とも刃を重ねるなんてことは」


「あぁ、それはない。実際に戦うのは、剣術の師二人、暗器の師二人の四人だけ。学術の師、兵法の師の時は、守り手は後ろに控えていればいいんだ。試験みたいなものだから。昨年、俺が守り手をした時の“先輩”はずっと悩んでいた。内容は明かされなかったけれど、いつもとは違う難しい試験なんだというのは想像できた。その時は何かが襲ってくることもないし。そして、最後、大師の時は作麼生(そもさん)説破(せっぱ)に真剣の勝負」


 だが、彼にはその時の記憶が欠落していた。


「実はその時の記憶を全く覚えていない。作麼生・説破という言葉と刃が打ち合う音は聞こえたんだけれど、実際にどんな風な掛け合いをしていたか、全く覚えていない。目の前の靄が晴れたらいつの間にか終わっていて、大師に帰り道を案内してもらったというわけ。まあ、守り手にばれてしまったら、試練の意味がなくなってしまうから、当然なのかもしれないけれど」


 大筋の試練の内容は知っているが、中身を全く知らなければ不安も多少なりとも出てくるものだ。珞はボソリと呟いた。


「俺さ、試練に対して若干不安みたいなものがある」

「不安……? どうして?」

「別に、負けたって、自分が死ぬわけじゃないし、誰かに怒られるわけじゃない。でも、勝たなきゃいけないんだ。師に勝たなければ死ぬ、って本能が叫んでいる気がする」


 珞にとって、『負けとは死なり』なのである。幼少期の体験や自己の弐ノ皇子としての務めが果たせない悔しさと申し訳なさ、白香神との約束の重圧の中で勝ち続けるのは尋常でない精神力が必要であった。

 彼は、負けん気が強いことで有名だった。県土島の中で、年少の者から年長の者までが戦う年に一度の武術大会の時も、負けた相手には必ず後で何で負けたのかを聞きに行き、数年後には打ち負かしていた。


「ちょっと疲れているのかもなぁ」


 目を伏せ、ため息をつく珞に、翠は近づいた。そして、彼の頬に手を添えた。珞の顔が持ち上がる。


「頑張りすぎ。もっと肩の力抜いても誰も怒らないよ。大丈夫、珞の努力は見ている人は見てくれているから」

「そうかな」

「そうだよ。私なんてとってもとっても頑張ってしまう人間だったけど、この背中の刺青入れられたら、全部諦めちゃったからさ。今でも頑張れる珞は凄いと思うけど、頑張りすぎると心も体も、目的を果たす前に壊れちゃうよ」


 その言葉は声に合わせて、すぅ……と体の中に染み渡っていった。

 俺、頑張っていたんだ、と思わず呟けば、「自覚なかったんだ、頑張っているよ」と翠は彼の頭を撫でた。




 翠との一月は珞が思っていた以上に早く過ぎていった。一人で森を駆け巡っていた一月半よりも、毎日が楽しい。珞にとって、翠の『頑張っているから、頑張りすぎなくて良い』という言葉は、随分と彼の気を楽にさせた。


  カァ…カァ……


 烏の鳴き声が頭上から鮮明に聞こえた。上を見ずともわかる、大師の烏だ。


「一月の間、いろいろとありがとう」


 感謝の言葉を述べると、翠の瞳を取り巻く瞼が微かに動いた。眼をぱちくりさせているようだ。


「もう終わりなの?」

「あぁ、上を見てみな。少し色味が変な烏が飛んでいるだろう?あれは大師の飼っている烏で、こうやって森での修行が終わる時に知らせてくれるんだ」


 翠は空を見上げて、転回している烏を眺めた。


「もっと、一緒に居たかったなあ」


 蚊の鳴くような小さな声を珞は拾うことができなかった。


「翠、今何か言ったか?」


 翠は自分の失態を自覚したのか、慌てて首を横に振る。


「ううん。何でもない。本当にもう終わりなんだ」と翠は名残惜しそうに呟いた。

「そうだな。今度は“洞窟の試練”だ」


 何かを決意したかのように話す珞に対し、翠は表情のないまま、じっと珞を見つめていた。




 大師や師への報告も終わり、部屋に帰る。残り七日間体を休めよ、とのことだ。前回の一月半の修行に比べると疲労感も少なく、高揚感さえみられるほどであった。


「ただいま、三太」


 そう呼びかけて、部屋に意気揚々と入っていく。


 おー、おかえり。いつものように三太が明るく出迎えてくれる、はずだった。


 返事はなかった。三太がいつも座っていた丸椅子もなく、布団も敷かれておらず、荷物もない。そこはがらんどうだった。珞の頭の中が真っ白になる。腕の力が抜け、ドサッと荷物が床に落ちた。


 今からでも、大師のところに行って、どういうことなのか聞きに行きたいと、彼は思った。しかし、その必要はないと悟る。布団に腰を掛け、手に触れた紙の感触に、三太が置手紙を残してくれたことに気づいたからだ。


 手紙には幾ばくかの滲みができており、涙の痕であると推察された。




『珞、おかえり。まずはそれだろうさ。なんて書いていいかわからないけれど、もし帰ってきて俺がいなかったら、きっとお前が寂しがるかな、と思って今手紙を書いている。


 お前と翠が森に入って暫くしてから、客人が多くなり、忙しくなった。いつもの剣奴以外の仕事仲介だと思う。詳しくは知らないけどな。結果的な話だ。


 そのあとくらいになるかな。俺が大師に呼び出された。また、過去の何かやらかしたのがばれて、大目玉を食らうんじゃないかって、ビビったよ。そうしたら、もっとビビるようなことを言ってきてさ。


 俺、諜報部隊に抜擢された。きっと、大師はお前に伝えてないと思う。機密事項だからな。どうも、俺の得意なところが暗器って部分で評価されたらしい。出発はその七日後だったから、珞がここに帰ってくる前ってことになるな。だから、この手紙を書くことにしたってわけだ。


 俺の出自はある貴族が他国の奴隷と召使の情事を見物したときにできた子だ。だから五歳の時までの生活は酷いものだったよ。五歳で剣奴になるために売られたとき、「ああ、死ぬために行くんだ」って思った。でも、俺の前にはお前がいたんだよ。どう見たって、良いところの坊ちゃんって、俺にもわかった。でも何か事情があって、ここに来ることになったんだろうって。大きな刀背負ってさ。凛とした立ち姿に、俺は圧倒されたよ。紐で手を縛られていても「俺は生き延びてやる」と、ずっと呟いていたのを俺だけが知っている。俺は自分が恥ずかしくなった。俺はお前に勇気をもらったんだ。


 背中のだって、お前は隠しているつもりだったけど、隠れてなかったぞ。お前、寝相悪いんだからな。最後まで教えてくれなかったってことは、きっと俺が知るべき秘密じゃないと思って、聞かなかった。こうなるんだったら、聞いておけばよかった。


 珞、俺にとって、お前は憧れであり、勇気ある者であり、努力家だ。この六年間、嫉妬もしたけれど、そのお陰で俺はここまで生き残れた。お前のお陰だよ、本当にありがとう。


 諜報官っていうのがどんな職かっていうのはなんとなくわかる。いつか、俺がお前と道ですれ違っても、話しかけられるわけじゃないってことも、わかっているつもりだ。でも、俺はずっとお前の友達だから。話せなくても、一生俺は友達だって思っているから。


 “洞窟の試練”、絶対に大師や師の鼻を明かせよ。お前ならできる、と俺は思っている。友達だからな。


 じゃあまた、いつかこの島の外で、飯でも食べに行こう。その時は他人の振りをして、一緒に酒でも飲んで明かそうぜ。


珞へ


三太より


追伸

 これは内緒の話なんだけど、貴族の若奥様の護衛も探しているらしい。もしかしたらのもしかしたら、があるかもしれない。覚悟はしとくんだぞ。


 それと、翠のことになるとデレデレするの、周りからバレバレだから。デレデレするのももう少し控えめにしたほうがいいぞ。


 じゃあ、またな。』



 三太の手紙は彼らしい最後で締めくくられていた。手紙を読みながら、「うるせえよ」と呟いたり、笑ったり、傍で三太が言ってくれているような、そんな感じがした。だが、手紙を読み終えた後、傍に吹く乾いた風に三太がいないことを実感させ、涙が滝のように溢れかえった。そして、珞は涙を拭い、自分に迫りくるであろう荒波に目を向けた。

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