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風をよぶ君〜国を継ぎし双璧の皇子〜  作者: 栗木麻衣
肆 二人の皇子(2)剣奴と悪鬼
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8:互いの秘密

 珞と翠は森の奥へと進んだ。


 出てくる動物たちも、前回の熊や虎などの大型のものから、現実に存在するのかわからない牙の鋭い兎や鼠、猿などが多くなった。たまに熊や虎などの大型の獣が出ては戦う。大体熊か虎と一緒に、何か別の獣も襲ってくるため、その対応を翠は行っていた。


 翠の身体能力は今まで見たどの者たちよりも群を抜いていた。


 猿に襲われる際は群生された木の上に上り、同じような姿勢で狩っていった。また、飛び掛かってくる兎や鼠に対しては、姿勢を低くして相手の牙に立ち向かっている。中刀を両手に持ち、鎌のように相手に向かって立ち向かう姿はまるで舞っているようであった。


「熊相手に戦っているのに、私の方を見る余裕があるなんて素敵ね」


 珞が熊をさばく間、翠は彼を見つめて言った。


「別に余裕があるわけじゃない。眼の端に入るだけ」

「それはこっちの台詞だからね」


 翠は立ち上がり野営の準備をし始めた。すぐ近くに池がある。浅瀬の池ではあったが、服を洗い、体の汚れを落とすには十分な池だった。


「私、体洗っていていい?さっきの凶暴な兎や鼠の血で体がべとべと。気持ち悪いわ」

「俺も熊の解体終わったら入るから先に入ってて」


 珞はそう言うと熊の解体の続きにかかった。持ってきた小さなまな板の上に必要な分だけの肉を置く。そして薄く切り分けた。一晩おいて保存食にするためだ。翠の知っている知識量は予想する以上のものであった。


「どこであんな知識身に着けたんだろう」と、彼は木々が茂る空を見上げて呟いた。その時だった。

「!! いっつ……」


 左足に激痛が走る。眼を下に向けると、男の太い腕ほどの大蛇が左足にかみついていた。咄嗟に右手で腰に差していた短刀を抜き、大蛇の頭を突き、蛇自体は絶命した。そっと大蛇の歯を引き抜いていく。


 蛇の体の模様からしてアカマタのため、毒性はない。だが、痛みが激しく、洗浄のため、替えの着物をひっつかみ、足を引きずりながら、池の方へ進む。


 痛みが強すぎて、声を出そうにも引きつるような音が喉から漏れる。水浴びをしている異性がいるのに、声をかけるのが正常の判断であろうが、それは叶わなかった。痛みが強すぎて、涙が出そうになる。池までたどり着いた時には左足は動かせなくなっていた。


 池の縁まで痛みに耐えながらゆっくりと行くと、翠の姿は見当たらなかった。


 ボシャンと水が跳ね、池の中にいた翠が姿を現した。朦朧としかかる意識の中で、翠の背中に、何か青い文字のようなものが書かれているのが見えた。


 『奴隷』と書かれたその文字に朦朧としていた目が一気に覚める。


「翠……」と声をかけると、彼女は今その存在に気付いたかのように後ろを振り返った。


「……見たの?」


 何を見たかと言わずとも、その絶望した瞳とかすれる彼女の声に、秘密に触れてしまったのだと、珞は悟った。翠の瞳が揺れ、ぽろりと真珠のような涙が零れ落ちた。


「泣く……な」


 珞は必死で、翠のところまで歩いた。冷たい水が気持ちよかった。そして、自身の止血のために持ってきた着物を彼女の肩にかけ、優しく包み込んだ。珞は彼女の肩に頭を預けると帯を解き始めた。


「珞……?」と頭上から困惑する声が聞こえる。

「秘密は、共有するもんだろ……」


 珞は痛みに耐えながら上着と肌襦袢を脱いだ。龍の鱗が背中一帯に広がっている。


「なに、これ」

「これで、お相子だろ。なあ……翠……左足、アカマタに…か…まれ…た……」


 翠は左足を見て、そして、水面に広がる赤い色に声色を変えた。


「馬鹿! 先に言いなさいよ」


 そんなの、あんな雰囲気で言えるわけないだろう、と珞は思ったが言えなかった。翠の引きずられるようにして、池の縁に寝かされる。そして、自身の着替えの傍に置いてあった短刀を持ってくると、傷のあたりの細袴(ズボン)を切り裂いた。


「後でちゃんと縫ってあげるから」とそんな声が珞の耳に入ってきた。


 再び朦朧としてきた意識の中で、傷口のあたりで翠が泣いているのを目にした。


「また、泣かせて……」しまったな、と口が動き、珞は意識を手放した。




 珞が目覚めたとき、翠は直ぐ傍で熊の肉を切っていた。


「おはよう」と、目覚めた珞に気付いて声をかけられる。

「おはよう。どれくらい時間が経った?」

「日は沈みかけているかな。少し熱が出始めているから、野営地、こっちに移したよ」


 確かに池から若干離れていた野営地は池の傍に移されており、炎がチラチラと燃えるかまどもできていた。


 体が怠く、熱がありそうだ。起き上るのにも、時間を要する。


「寝ていたほうがいい」と翠は言うが、珞は左足が痛まないことがどうしても気になって仕方がなかった。


 細袴(ズボン)はまだ縫われていなかった。だからこそ、その下にある傷をはっきりと見ることができた。――傷はなかった。綺麗さっぱり消えてなくなっていた。


「翠、噛まれた傷ないんだけど……どうして?」


 翠は肉を切るのをやめ、こちらを向いた。もう泣いてはいなかったが、目の周りが赤く腫れあがっていた。


「俺のためにそんなに泣いてくれたの?」


 そう疑問を呈す珞に対し、翠は真剣な眼差しでこう言った。


「傷を癒すために、泣く必要があったのよ。……五歳以降、泣けたの初めてなんだけど」


 無言で促せば、翠は「昔はね」と言葉を紡いだ。


「昔は、泣けば傷を癒すことができたの。まだ私が表情のあったころの話。でも親が殺されて、表情が作れなくなった。感情が表に出なくなった。さっき見たでしょう? 私の背中にある文字の刺青」


 珞は無言で頷き返した。


「あれはここに来る前にいたところで入れられたもの。嫌がらせでね。でも、涙すらでなかった……それも面白がって嗤われた」

「酷いな」

「全員が酷かったわけじゃないの。私を買ってくれた人は優しくて、両中刀の使い方や学術を教えてくれた。でもその息子がね……嗜虐的だったわけ。今はもう傷のこと気にしてない」


 翠は目線の先を熊肉に落とした。


「嘘だろ。わかるよ、それくらい。俺に見られて泣いていたじゃんか」


 珞は、翠の方に近づくと頭に手を持っていき、後頭部を優しく撫でた。


「それは! なんでか、わからない。貴方には見られたくなかった!」

「うん」


 さすがにアレは誰しも見られたくないだろう。自分であっても他の人であっても、と珞は納得した。


「貴方は私に見せてよかったの? 秘密だったんでしょう?」

「翠の秘密を偶然でも見てしまったのだから、俺も見せなきゃいけないって思ったんだ」


 揺らめく炎に、翠の碧色の瞳がまるで宝石のように輝いて見えた。翠の頬が赤くなっているのは炎が赤く照らしているせいであろうか。


「ありがとう、秘密を見せてくれて」

「お互いの秘密だから、俺たち二人だけの秘密にしよう」

「もちろん」


 二人の秘密はまるで、粉砂糖でできた菓子のように甘美であった。

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