6:森での一人鍛錬
「で、誰だった?守り手は」
答えをわかっているように、面白そうに笑う三太に対し、少々苛つきを覚える。
「御察しの通り、翠だ」と珞はぶっきらぼうに答えた。
「やっぱりなあ。太助は俺と相性がいいから、絶対珞には付けないと思っていたんだ。よかった、太助だったらどうしようかと。俺、朝から心臓騒いでたんだよね」
あーよかった、と何度も言っている三太を無視して、珞は森に入る準備を始めた。
「でも、よくあの頭の固い師たちが、了承したよな。俺は翠は絶対にないと思っていたよ。男女異性交遊がどうのこうのとかいって。まあ、俺らの場合は、女側が死ぬときあるからな」
背中から三太が言葉をかけてくる。珞は準備をしながら、言葉を返した。
「大師が口利きしてくれたらしい。俺も別に異性交遊しに洞窟に行くわけじゃないしな。あんなところ、そんなことやっていたら死ぬぞ。それは昨年俺らも話し合ったじゃないか」
「あー。そうだった、巨大ムカデとかヤスデとか、寝ている間に狙ってくるんだよな。七日間一睡もできなかったよ。昼間は昼間で戦っている間に動物の相手しないといけないのにさ。でも、異性交遊することになると思うぜぇ」
三太はぶつぶつと昨年の想い出を思い出したように言い始め、最後には面白そうに珞の方を向いた。しかし、珞はそんな三太を放置し、準備を整えていった。
「近々、翠にも連絡がいくだろう? それまで待たずに、森で修業を始めるのか?」
通例であれば、守り手になる相手に挨拶をしてから、修行に行く。しかし、珞には翠に挨拶するにしてもどのようにしたらいいのかわからなかった。
「どんな風に挨拶するんだよ」と三太に意見を求める。
彼は笑って「そんな深く考えなくても、俺たちがしてもらったようにすればいいじゃないか」と返事した。
確か守り手になった際には『守り手になってくれてありがとう。珞の相手として選ばれて光栄だよ。七日間一緒に頑張ろう』と言われた気がする。
「そんなの言えるわけない。恥ずかしい」
三太はずいっと珞の眼をみて、腕を掴んだ。
「俺たちはいつ死ぬかわからないんだぞ。俺が守り手をした悠さんは、お披露目会の時に、たまたま当てたクジが悪くて、李国からの猛獣にかみ殺されたんだ」
剣奴になったら、人対人ではない場合がある。クジ運悪く、猛獣と当たった者は死が待っている。その報告を聞いた日、一晩中ずっと三太は泣いていた。三太を特に可愛がってくれていた者だったからだ。
「好きって自分でわかっているなら、県土島から出る前に言っておけよ。俺はお前が死ぬとは思っていないけれど、何が起こるかわからないし。もしかしたら、彼女の方が手の届かないところに行ってしまう場合もあるんだぞ」
珞は黙った。彼の言う通りだったからである。しかし、珞は黙って三太の手を振り払った。
「そんなことわかっているさ。でも俺もこの感情をどうしたらいいかわからないんだ」
三太はそんな様子の珞を見て、嘆息した。
「そうだよな。俺たち、恋愛のことについては学んでこなかったもんな。剣術と学術ばかりで」
でも、と言葉を続ける。
「いい雰囲気になったら、ちゃんとはっきり伝えるんだぞ。そうならなきゃ、死んでも死にきれなくなる」
珞はひと呼吸おいて、「わかっている」と目をそらした。三太はもう何も言わなかった。
一月半は目まぐるしく過ぎていった。途中、今が何日目なのか数えるのをやめた。毎日繰り返される、獣たちとの戦いと空腹に耐える日々は、感覚を麻痺させるのには十分だった。服を干している間や池で湯あみをしている間に獣に襲われたこともあり、裸のままで戦いに挑んだこともある。この一月半は十分な睡眠がとれていなかった。木の上ならば安全だろうと木の上で眠れば、熊がその木に体当たりしてきた。
そんな生活をしていたある日、赤色の烏がやってきた。大師の遣いである。それを見て、一月半が過ぎたことを理解した。
それからは獣も襲ってこなかった。こんなに早く宿舎に戻りたいと思ったのは初めてだ。自分で獣をさばいて食べるのは、美味しかったが大変だった。
宿舎に戻る前に、師の宿舎の方に行き、帰ってきたことを報告しなければならない。珞は、師の宿舎の方に向かった。出発前とは違い、師たちが直々に迎えに来てくれた。
「立派になりましたね」
「筋肉もついたし、身長もだいぶ伸びたのではないか?」
剣の師と学術の師たちが口をそろえて褒めたたえてくれる。相変わらずの様子だ。
「よく頑張ったな」
ぶっきらぼうに褒めたり、肩を叩いての賞賛が多いのは暗器術の師たちの特徴だ。
「大師様がお待ちだ」と、師が言った。
出発前と同じように、部屋に入った。大師はこちらを見ることなく、外の景色を見ている。珞は以前と同じように板の間に膝をつき、首を垂れた。
「ただいま戻りました」
大師が振り向いたのが気配でわかる。そして徐々に近づいてくる。
「顔を上げなさい」
そう告げられ、その言葉通り、顔を上げる。その先には、優しい瞳を持った大師が立っていた。
「精悍な顔つきになったな。部屋から覗いていたら、毎年の者より遥かに多い獣と戦っていたように思うが。そのお陰か、筋肉が解放されている。だが、熊を素手で倒そうとするのは論外であるぞ」
そう言って、大師は大きな声で笑った。笑いすぎて、空咳も出てしまっている。
「笑いすぎですよ、大師」
珞は呆れかえった。
「あれだけの動物を毎回刀で勝負していたら、刀の方が先になまくら刀になってしまいますよ」
「そうだろうよ。五日後、翠と一緒に森に入りなさい。それまでは、久々の宿舎でゆっくりするといい」
そう言って、大師は珞の肩を叩いた。話が終わった証だ。
「ありがとうございます」
珞は立ち上がって拝礼し、踵を返した。




