2:少女
「珞、お前がおらんと始まらんというのに、どこで油を売っておったのだ」
暗器術の眞田師が説教を始める。少し小うるさい、唯一の女性の師である。
「三太が喋りに誘いました」
「俺ぇぇ⁉」
三太は勝手に自分のせいにされているのを憤慨しつつも、いつものことだと冗談らしく笑っている。師はため息をつくと、新参者たちに言葉をかけた。
「今から、お前たちの今の力がどうかをみる。今の状況で、今後生き残れるかどうかは関係なくはないが、死ぬだろうと思われていたものが今では最年長者になっているから、確認させてもらうだけと考えておいてもらおう」
眞田氏はちらりと三太を見た。三太が肩をすくめる。
「さて、年少者からいこうか。自身の刀剣を持っていない者はそこに置いてある木刀か真剣を使うように」
師は並べられた木刀や刀剣、暗器を指さした。そして、師たちの言葉で、暗い顔の幼年者が前に出る。今年の最小年齢は六歳のようだ。自ら借り物の木刀を手に、震えながら、三太に構えを見せた。
「やああああああああああああ!!!!」
暗い顔に対して、威勢のいい声を発しながら、三太の方に向かって走り出す。そして、勢いよく木刀を振り上げた。しかしその切っ先が届く前に、三太の木刀にあしらわれ、木刀はカランカランと音をたて、床に倒れた。
珞は、先ほど三太が書いた名簿の一番初めに△を書いた。
見込みがありそうなものには〇、指導次第では生き残りそうなものには△、早急に死にそうなものには×を付けると決まっている。
時折、自分の刀剣を持っている者がおり、珞も相手をしてみるのだが、見込みがありそうな者は中々現れなかった。
そして、翠の番になった。翠は刃先が短くも長くもない刀を二本、着物の内側から取り出した。もちろん真剣である。珞は筆と紙を三太に託し、自分の刀をすらりと抜いた。
翠の眼がキラリと輝いた気がした。
ビュッと足音せずに、二振りの刀が目の前に来た。珞は咄嗟に刀を前に振り出し、相手の刀を受け止めた。九歳の女児の身体なのに、押せどもびくともしない。ぐっと体全体で押せば、翠は軽やかに後ろに飛び上がり、音もなく、着地した。
「やめ」
師の声が響いた。しかし、翠の瞳は珞を捉えている。珞も目を離さなかった。いつ刃を突き付けられるか、わかったものではない。
「二人とも、やめるのだ」
師の中でも特に格が高い大師が仲裁に入った。目線を外され、大師を見る。
「もうこの娘の実力はわかった。珞、ご苦労であった」
「はい」と、珞は大師の指示通りに動く。大師が怒ると怖いことは、五歳の頃から嫌というほど知っている。
大師は翠の方を見た。翠は刀を持った腕をだらりと下げ、大師を見つめている。
「娘よ、そなたは刀剣の修行の際は、珞と一緒に組むがよい。暗器は使ったことがあるか?」
「……はい。暗器は、一通りは」
「ならば、暗器の時は三太と組んでみなさい。自分の癖を三太は的確に伝えてくれる」
「……はい」
翠はスッと自分の席に下がっていった。その後も、身体能力の評価は続けられ、最後の一人が終わった。今年の〇は一人、翠だけであった。
大師が声を挙げる。
「皆の者ご苦労であった。元々いたものは新しく来た者に対し、粗雑に扱うことがないように気をつけよ。新しく来た者たちは、明日から刀剣・暗器・組み手などの武術、兵法などの学術を学ぶように。では、皆、宿舎の方に向かうよう」
その日は、宿舎の利用についてや食堂の利用について、自由時間についてなどを三太が説明して回り、皆割り当てられた部屋で眠りについた。
新参者が入ってくる当日と二日目は年齢の最も高い者が見回りすることになっている。逃亡者を見つけるためだ。実際、皆疲れ果てて、新参者らも寝ていることが多いのだが、数年に1度は逃亡者が出る。
逃亡がわかった場合、師からのむち打ちが行われ、見回りをしていたものも反省を要求されるのだ。その反省は鞭打ちではなく、その者がしてほしくないことや苦手なものだ。珞にとっては差し詰め、お披露目の日程延長だろうと本人は思っていた。
宿舎は高い塀で囲われており、そこを乗り越えることはできない。塀の頂点には、無数の鈎針が潜んでおり、逃亡するその者の肉を抉り出す。そして、なんと言っても最悪なのが、この鈎針が毒針であることなのだ。もちろん、解毒剤は医務官が持っており、鞭打ちの罰を食らう前に解毒剤の軟膏を塗られる。これがまた滲みるのだ。珞も興味本位で八歳の時にやったことがある。もう二度とやりたくないと思っていた。
宿舎の鈎針に逃亡者の対応は任せることにして、珞は宿舎の唯一の入り口にたどり着いた。逃亡者は大体ここから外に出ようとする。半円形型の門は銅でできているが、海の向こうにある西の国々からやってきた物を引きつけやすい石を使っており、閉じられている。最年長者の珞でさえ、その力を無効にする石を使わなければ開けることは不可能に近い。もちろん、その石は大師しか持っていない。
珞は門にもたれかかって座り込んだ。春の夜であるため、冬ほど寒々しくないが、それでも若干の寒さを感じる。
コンコン
門の外から音がした。外に誰かいる。珞は逃亡者の可能性を察知し、背中に担いでいた刀の柄に手をか
けた。
「入れなくなってしまったんだけど、開けてくれない?」
あの透き通るような声が門の外側から聞こえた。
「どこから外に出たんだよ」
「どこって、塀。あの塀、ザルだわ。私でさえ、通れたんだからさ」
私でさえ、という言葉になぜか珞は気分が悪くなった。自分ができなかったことを相手ができたという、悔しさである。
「ねえ、貴方。今日私と手合わせしてくれた人でしょう? 手合わせしたよしみで開けて頂戴よ。鍵、持っているんでしょう?」
「なんで持っているってわかるんだよ」
珞が鍵を持っているという確信を得たような言葉に、珞は眉を寄せた。
「鍵を持っていなかったらそんな反応示さないでしょうに」
翠が門の向こうで、ふふんと鼻を鳴らした。
「開けてやらないぞ。そんな物言いしていいのか」
「いいよ、体力温存のために開けてって言ったんだから」
トンと頭の上から音がして、珞は上を見上げた。そして、目を見開いた。
翠は塀の頂点にある細かな無数の鈎針の“その間”に指一本を立てて体を支えていた。そして、弧を描くようにして、こちら側に足から降ってきた。
「あ、ぶな」
塀の高さは約五間ある。そこから真っすぐ落ちてくる。着地したときに、骨が折れるかもしれない。
珞は咄嗟に動いて、着地する寸でのところで、翠を受け止めた。翠の全体重と上から降ってきた重みで、腕がきしむ。珞は翠を抱いたまま立ち上がった。