感情の変化
学校がある日は三十六時間ぐらいに感じるのに、何も無い土日は十五時間ぐらいのペースで
時間が経過している気がしてならない。
何もせず、気付けばあっという間に時は流れて目を覚ましたら月曜日の朝になっていた。
「絶望だ」
と呟いてみるが、だからって日曜日や土曜日に戻る訳はなく、今日もまた学生生活が始まる。
しいて言えば日曜日に買い出しであの公園を通った時に、千早がいつもながら素振りをして
いた事ぐらいが変化であった。
その時は絶対にバレない事を胸にして通り過ぎたので多分、大丈夫のはず。
一度クラスを見渡してみる。土日を挟んだこともあり、少しはクラスの雰囲気が回復したよ
うに見える。
金曜日に千早と会話をしたことで接点が出来た。なので挨拶をするべきなのか、否か。悩む。
判らなかった綾人は顔を合わせる事も無く静かに席に座ってしまう。
ふぅー、と情けない自分にため息を零すと、隣から一つの綺麗な声が聴こえた。
「おはようございます」
最初、どこかで誰かが挨拶をしたモノだと思っていたけど、その声は何度も近くで聴こえた
モノだから綾人は気になり、隣に顔を向けた。
――!!!
あまりにも驚き過ぎて顔のパーツがグッと上を向き、目の奥の血管が驚き過ぎて痛みを訴え
かけてきた。
だって、仕方ないだろう。自分の身体に綾人は言い聞かせる。何しろ隣で静かな千早さんが
こちら、つまり綾人の目を見て挨拶をしているのだから。
驚かないなんて出来ないし状況から考えて今の綾人のリアクションは間違っていないはず。
「え、あ、おはよう」
またしても上手く言葉が発せずに口の中でこんがらがったまま零れ落ちる。
けれど何とか千早は読み取ってくれたみたいで、
「昨日、公園の前を通りましたよね?」
ば、バレてた!!!
ヤカンが沸騰するみたく顔が赤くなる。何の為にコソコソしたのか。気付かれなかったこと
に対して微生物ぐらいの大きさの誇りを持っていたが、どうやら無駄だったようだ。単なる自
己満で終わってしまってただただ恥ずかしかった。
「あーー、そっか。声をかければ良かった、かな?」
「どちらでも。ただ見かけたのでその報告を」
「あ、はい。ありがとうございます……?」
業務連絡のように無駄のない言葉に何故か礼を言ってしまった綾人。
心の中で何故礼を言ってしまったのか、自問自答をしていると一つの事に気づく。
どこかでざわざわしていると思って視界を広げて見ると、それはクラスメイトたちの声だ。
一部のメンバーが目配せをして時折こちらを見て何かを話していた。
四方八方から見られている事に気づくと、何と言うか居心地が悪い。何か間違った行動はし
てないか、自分の言動は大丈夫か。普段気にしていない事にも配慮しないと行けない気がして
正直今にもこの場を立ち去りたかった。けれどこれから授業が始まるのでそんな逃げが実行で
きる訳が無い。
その後、会話する事も無く授業が始まったのは綾人にコミュ力が無かったからだ。
「おい、おいおい! ちょっと来い!!」
昼休憩になると真逆の位置にいる勝喜が、明るい声音で綾人を呼ぶ。
勝喜の勢いある言葉には綾人の有無は関係ないようで、無理やり連れていかれた。
「なんだよ勝喜。昼、食べたいんだけど」
「いやいやいや、それどころじゃないって。お前、千早といつの間に仲良くなったんだよ!?」
それどころじゃないって。そんな勝喜の意志は正直どうだっていい。こちらは静かに弁当が
食べたいのだ。と心の中で思うが口には出さない。どうせ無駄なので。
「別に仲良くないよ。ただ、近くの公園でよく会うからそこで少し話しただけ」
「本当か!?」
「本当だよっ。なに、やっぱり好きなの、勝喜」
綾人は自分の弁当を一度見てから歪めた顔で勝喜を睨んだ。
綾人の言葉に勝喜は慌てふためき、バッと自分の手でもう喋るな、と言わんばかりに綾人の
口元を押さえる。
危うく窒息死しそうになった時に、勝喜はやっと手を離してくれた。
「バカ。勘違いされたらどうすんだよ! 前にも言ったけど、何かすげぇなって思ったんだよ。
日にちが経つにつれて、あ、マジで目指してんだって言うのが伝わって来てさ。俺さ、サッカ
ーとか好きでやっている訳じゃなくてただ何となく小さい頃から続けているから今もやってい
るんだ。まあ今の環境には満足してんだけどさ、何つーの、自分が居ないって言うか、意志が
無いって言うか、何となく今いる状況になったみたいなさ。だから進路もテキトーな大学行こ
うと思っているし。でも、千早見てるとマジで生きてんだなって、本当にやりたい事ある人っ
て何かかっけぇなって思ったんだ。お前だって俺の気持ち判るだろ? 進路希望調査書まだ白
紙なんだしよ」
「まあ」
確かに進路希望調査書は未だに白紙だ。何をどういう風に考えてもやっぱり『自分がやりた
い事』は見つからなかった。
両親に相談した時の答えは、『時間が経てばやりたいことが見つかる』というのであった。
それじゃダメなんだ。残り一年で高校生活が終わる。もう目の前なのだ。学生時代の終わり
は。きっと見つかるとかそんな希望的観測で納得する程綾人は抜けていない。
けど、だからって考えても見つからなかった。そんな日々を送っていると自然と考える時間
が減り、最終的には現実逃避というどうしようもない答えに辿り着いてしまい、現在綾人は目
の前の壁から背を向けて逃げてしまっている。
勝喜はそれを察している。考える深さは違えども、勝喜も綾人も『本当にやりたい事』が無
い者同士、通じる事があるのだろう。なので千早を気にすると言う事は解らなくも無かった。
「好きとかっていうのは今のところないよ、多分な。何となく気になるだけ。周りにもいない
からさ、夢とか持ってる奴。だから夢を持ってる奴の近くにいたら何か変われるかなって考え
てさ。だからお前と千早が仲良くなってて、何かあったかなーって」
「そう言う事ね。でも、本当に少し話しただけで、特に何か仲良くなったとかは無いかな」
「まあお前、コミュ症だしな!」
「うるさいな!」
「アハハ! 嘘だよ。嘘。よしっ、俺も千早と話せるように頑張って見るか。何かお前だけ先
に行かれるのも嫌だし」
どこか晴れたような顔を浮かべた勝喜は、ニシシと嫌味の無い綺麗な笑顔で笑って見せた。
やりたいこと、か。口ではあまり悩んでないような言葉を並べていた勝喜も色々と考えてい
るんだな、と少しだけ勝喜を見る目が変わった気がする。