冬5
――そして試験は終わりを迎えた。
全てが終わった時、綾人は深いため息を零して安堵と不安の渦の中に居た。
果ての無い山を登るように途方も無く、海の中で一粒の砂を見つけるぐらい絶望的で、それでも終わる頃には散歩に行く時の犬のような解放感が綾人の中に残った。
とにかくそれらをまとめると難しかった。
綾人は渋い顔を浮かべて千早は無口だが自信満々な雰囲気を感じた。
合格発表まであと少し。綾人の受験番号は『142』、千早は、『130』だ。
100、101、103、104、105、106、110、112、113、114、115、117.118、120、123、125、127、128、129、130、133、134、135、137、138、139、141、144、147、148、149、151、152、153、155、158、159――――
受験番号がずらーッと公表された。
二人は隣合わせで自分の番号を握りしめて目で追う。
「あった」
最初に口にしたのは千早だ。手元に残った番号と壁に張り出された番号を二回、三回と見直して、希望が確信に変わり、喜びの声が聴こえる。
次に綾人が口にした。
「無い」
その言葉に感情はなく、ポロっと零れ落ちるような言葉だった。
何度も何度も見返したけど、それでも目の前の現実は変わることの無い残酷な景色であり、綾人はそれを受け止められず呆然としていた。
隣の千早は何も言わない。
綾人は自分の世界に入り浸っていた。何度も何度も繰り返し問う。これは夢だ、と。
だけどそんな事で変わる訳が無い。綾人はどこにでもいる一般人であり、アニメや映画の特別な力を持つ主人公ではないのだから。
「良かったじゃん。千早さん! おめでとう!」
自分の世界から無理やり出て、隣の千早にお祝いの言葉を贈る。
千早は何とも言えない表情で、でも今の千早に言えることは無くて、そんな時間が続いていると合格者が呼ばれる。
千早に「頑張って。俺は先に帰るよ」とだけ言って綾人は先に帰った。
家に着いて自分の部屋にまっすぐ向かう。
真っ暗な部屋のままベッドに飛びこむ。いつもは嫌いだけど今日はこの暗闇が有難い。
「うぅ、くそくそくそ! クッソ!!!」
シーツを握りしめて、掛布で身体を覆って、枕に顔を沈めて、何度も何度も吐き出して、悔しさを拳に宿して何度も殴った。
何度『夢だったら』って考えたか。途方もない絶望が綾人を包んだ。
やり直したい。何度も願った。受験日の朝に。夢を決めた日に。秋に、夏に、春に。
もっと早く答えに辿り着いていたら。もっとやれることをやっていたら。
泣いて泣いて。苦しんでまた泣いて。
走馬灯のように今までの思い出が浮かんで、戻れない時間を何度も悔やんで。
こんなに泣いたのは多分この先ないんじゃないかな。そのくらい泣いた。
寝てしまったのか、それともずっと起きていたのか。それすらも曖昧なぐらい精神が不安定だったけど、気付くと太陽の光が闇の部屋に差して、綾人の意識はしぼんでしまった花が顔を出すように少しずつ覚醒していく。
涙が枯れた時、きっと綾人の顔は酷かっただろう。
涙を枯らして、吐くものを全て吐いた綾人に残ったのは清々しい想いだった。
千早に連絡した。返信はすぐに来て一時間後に公園で会う約束をした。
仕度をして外に出ると風が気持ち良かった。太陽が暖かくて寒い気温さえも心地よくて何と言うかとても気持ちが良かった。
まるで昨日が嘘のように今の綾人は別人のように明るい顔だ。
何でこんなにも清々しいんだろうって少し考えたけど、それは考える必要なく頭によぎった。
――全力でやるってこう言う事なんだ。
今までの綾人は何も無かった。何一つ本気になることは無く『いつか』起きる事を未来の自分に任せっきりだった。
だからこそ、綾人は将来の夢に悩み、苦しんだのだ。
結果、やりたい事が見つかり、綾人は初めて自分の気持ちに気付いた。
全力で取り組んで、これでもかってぐらい合格したくて頑張った。
けれどダメだった。
味わったことの無い悔しさと悲しさが押し寄せて来て、危うく千早の前で泣きそうになった。
こんな感情初めてだ。
だから今、綾人は気持ちが良いのかも知れない。
身体の中の全てを吐き出したからこそ、綾人は改めて自分の想いに気付けて、それが空っぽの自分に残った唯一の形となったのだから。
「富田さん」
「昨日はごめんね。先に帰っちゃって」
「いえ、それは別に構いませんけど……何か良い事があったのですか?」
千早は心配そうな表情で尋ねる。
「うん。すっごく悔しかった。今までに無いほど。でもそれが嬉しかった。こんなにも悔しい想いをさせてくれるモノに出会えたことに。千早さんのおかげだよ。やっと自分の中で整理出来たよ。だから改めて言わせて欲しいんだ。おめでとう千早さん!」
綾人は笑った。今度は純粋に、気持ちの良い笑みで。
そんな綾人を見て千早も笑みを零す。強がりとかじゃないって気付いたのだ。
「ありがとうございます。先に行ってますね。次の舞台に。そして待ってます。また同じ舞台で、同じ視線で会えることを」
千早は手を差し伸ばす。
綾人も笑って暖かくて優しい、決意に満ちた手で握手を交わす。




