冬4
水族館当日。学校が冬休みに入り、平日と言う事もあってあまり混んではいなかった。
綾人たちはもちろん私服で集合したのだけれど、久しぶりの私服ガールズに綾人も勝喜もしばらく見惚れてしまう。
水族館内に入ると鈴峰が千早の手を取って駆け足で先を進んでいく。
ガラス越しに見える蒼き世界。本来は無限に続く蒼き世界をギュッと凝縮した水槽の中で、そんな事に気付いているのか、いないのか。魚たちは自分の進みたい世界を自由に泳いでいる。
自由な魚には受験の重荷とかプレッシャーとか感じないのだろうな。と少しだけマヌケ面の魚が羨ましくなる。
蟹が居るエリアに到着すると千早が先行してそれに続くように鈴峰が後をついていた。
千早は感情の無い瞳に北極星のような星を宿して静かにワクワクを表している。
千早のそんな後姿を少し離れた所で見ていた綾人は、
「前の話だけどさ、やっぱり俺、気持ちを伝えるよ。勝喜」
「そっか。まあ壮大に振られて来いよ。な?」
アハハと笑いながら綾人の背中を叩いた勝喜。その行動には友だちを応援する真っ直ぐな想いが宿っており、それをしっかり綾人は受け取る。
イルカショーで誰よりも盛り上がった勝喜は、イルカショーの助手に選ばれたのだけれど壮大に失敗して綾人たちに笑いをお届けしてくれた。
最後までペンギンは発見出来ず、意気消沈していた鈴峰だが、最後に何のために作られたのか分からないペンギンの顔抜きパネルがあったので、皆で写真を撮って何とか鈴峰は満足したようだ。
四人で撮った写真。今日は最後の思い出作りだからたくさん撮った。以前回転寿司で撮った時は千早の不意をついて何とか撮ったけど、今は違う。笑顔こそないけどその表情は優しくて柔らかくて。本当にこの一年間が楽しくていつまでもこの平和な時間が続く事を祈って綾人は最後に四人で撮った写真を待ち受けにする。
水族館の閉店時間を迎えて綾人たちは一つの悔いなく解散が出来た。
彼ら彼女らは今日という日を忘れることは無いだろう。
年が明けてそろそろ受験が目の前にやって来た。冬の寒さも本格的になって外に出るたびに肩に力が入って身体が縮こまる。
吐く息が白くてコンビニとかに売っている商品には受験生を応援するエールとかメッセージとかがいっぱい書いてあり、すっかりと受験シーズンになってしまった。
時折無邪気な小学生が、「滑った!」「落ちるぞ!」とか何とか。
悪意のない言葉の刃はガラス玉のような繊細な受験生の心に刺さってただ歩いているだけなのに警戒心と心の傷の治癒で凄く疲れる。
焦っても仕方がないけど、時期と綾人の遅れてしまった分を考えるとどうしても焦るしか無くて。ここ最近は学校の後に千早と共に勉強したり、助言をもらったり。今できる全てをぶつけていた。
最初に会った頃の千早とはまさに別人であり、今の綾人と千早の関係も当時の誰もが予想出来ないぐらい縮まって。綾人が生きてきた十八年間の中で間違いなく変化のあった一年であり、何よりも奇跡が重なったとても大切な日々であった。
二人は勉強を終えて図書館を後にする。
今日はやけに冷え込んでいた。刃のように鋭い寒さが身体を刺すように芯まで冷やしていく。
鼻の奥が痛くて、無意識に歩幅が狭まっていく。
空は闇が覆っていてとても不安を煽っていたけど、まるで神様が世界に色を付けるように穢れの無い真っ白で美しい雪が闇の空から舞い降りて来る。
「あ」千早が空を仰いで手を開く。その手に乗る小さな雪。
「初雪だね」
小さくて見えない雪たちは時間の経過と共に大きな粒へと変化を遂げている。
帰り道に通るイルミネーションは何色にも変わる力を持っていて、白い世界でも目立つ主役のように周りの人たちの視線を奪っていた。
受験まであと僅か。
伝えるならその後の方が良いのかも知れない。だけど閉じ込められた想いを宿したまま受験に臨むのはモヤモヤしてて嫌だ。
千早はどうかな。もし綾人の行動によって動揺が生まれてしまい、その結果受験に影響を及ぼしてしまったら綾人はきっと立ち直れないほど、ショックを受けてしまうだろう。
だけどどうかな。千早はその程度で揺らぐ人とは思えない。
勝喜が告白した時も一切動揺しなかったし、結局千早からそれ関連の話を聞かなかった。
「どうしましたか。富田さん」
雪が徐々に強くなる中、綾人は無意識にも足を止めてしまっていた。
「あ、いや――」
「何か思う事があるのですか。言えるものなら今のうちに言っといた方が良いと思います。もう受験は目の前なのですから。それにいつまでもこの日々が続くかは判りませんよ?」
綾人の複雑な心境を知ってか知らずか。千早の優しい言葉が妙に心に刺さって。
「あのさ、今から俺が言う事に動揺とかしない?」
「はい?」
「いや、だから。何と言うか」
「しませんよ。私は例え明日世界が滅亡する……というの少し言い過ぎましたが、実は富田さんが宇宙人と言ってその証拠を見せたとしても、動揺はしないと思います。なので、思う事があるのなら言って下さい。それがあなたの受験に響くのなら尚更」
綾人は顔を上げた。
言う事を決めたのだ。
きっとこのまま言わなかったら綾人じゃなくて千早が気にするかも知れない。それにもう気持ちは喉まで迫って来ていた。
閉じ込めたくても牢の中で暴れるこの名前の分からない気持ちを伝えないと。
「千早さん――俺、千早さんの事好きです。ずっとモヤモヤしてて苦しくて。何の気持ちか判らなかったけど最近分かったんだ。俺、千早さんの事がずっと好きでした。きっとこれからも」
雪が降る夜道。オレンジ色の花のように輝くイルミネーションを背景に綾人は顔を染め、頭を下げて精一杯の言葉を、想いを、気持ちを伝える。
一秒が永遠に感じる。
日常の音が溢れているかも知れないけど、今の綾人には聞こえなかった。世界に独りで残された時、きっとこんな感じなんだろうか。
ドクン、ドクンと脈を打つ音が身体を揺らす。内側からマグマが溢れ出るぐらい暑くて苦しくて。ゆっくりとした時の流れが地獄のようで早く飛びだしたかった。
「っ」千早が口元を緩めて少しだけ笑う。
耳の奥、脳の奥までその吐息が聴こえて、脈打つ音が数倍に跳ね上がる。
今にも世界が壊れてしまうぐらい綾人は緊張でいっぱいだった。
「とても嬉しいです。とても」千早は胸に手を当ててまた優しく微笑む。「だけど今は答えが出せません。私はまだその感情を知りませんし、まだ手にしておりません。なので少しだけ時間をくれませんか。いつか失ってしまったモノを手にして、昔の自分に向き合えた時に、私の想いを伝えるというのではダメでしょうか」
「是非。待ってます!」
一瞬だった。先程まで体感していた一秒の永遠さが嘘のように、脈拍が早くなるのに合わせて時の流れは元に戻っていく。音が、視界が、嗅覚がいつも以上に大きく広く。
茜色に染めた頬で綾人は目の前の千早を見つめる。
マフラーの下で少し笑みを零している千早は、寒さからなのかそれとも――とにかく頬が少し茜色に染まっていて二人はしばらく沈黙の世界に暮らしていた。
自分の気持ちに気付いて、そしてようやく言えた。
綾人と千早の人生できっと歴史に刻まれた瞬間であろう。
そして最後にもう一度、受験という絶壁を超えるため綾人は向き合うのであった。
センター試験当日。
綾人と千早は共に待ち合わせして、数日前に用意された招待状の場所に向かう。
受験番号をもらい、時計の無い部屋で試験を行う。
綾人たち以外にも受験生は居た。
しばらくすると担当の教師らしき人がやって来てテスト用紙を配布していく。
ヒーロー学校だからてっきりヒーローが出て来ると思ったが、そう言う訳では無いらしい。
高校受験を思い出させるぐらい普通の試験であった。
試験が始まる。
テスト用紙をひっくり返して目に入ったのは未知の世界。一問一問が迷路のように果てのない道が続いていて、だけどその先には明確な答えがある。
それが正解なのか、不正解なのか。現状知ることの出来ない綾人は、それでも今まで培ってきた全ての知恵を振り絞って一つ一つ大迷宮の問題に立ち向かうのだ。




