秋7
夕日に染まる教室にただ独り残っている勝喜は窓を叩いて、苦しそうに顔を歪めていた。
※
住所を見ながら十五分。鈴峰が送って来た住所に辿り着く。公園でいつも練習しているだけあって、あまり公園から離れていなかった。綾人の家も近くのため、何度かこの道を通った事があり迷うことなく辿り着く。
インターホンを鳴らして少し。静かに扉が開くと雪のように真っ白な肌をした妖精のような少女が姿を見せる。
「富田さん?」
部屋着で、髪を結んで、そんな千早が新鮮で。勝喜の言葉を思い出して少し苦しくなったけどそれ以上に嬉しくてつい抱きしめたくなった。そんな事しないけれど。
「あ、おはよう。千早さん。お見舞いに来たよ」
「……美空ですね。どうぞ上がってください」
どうやら先に鈴峰が伝えていたようだ。どんなやり取りをしたかは知らないけど、鈴峰が強引に千早を押し切ったと想像がつく。
部屋に上がった綾人は、落ち着かない様子でキョロキョロと首を動かして階段を上る。甘くて優しい匂いが鼻を刺激して思わず深呼吸したくなった。
千早の部屋に入ると一言で言うなら質素というのがピッタリな景色が目に入る。特に何かを飾る事も無く、失礼だが女の子らしさは何一つない。引っ越してきて最低限のモノを置いた。という部屋だ。
一つ気になったのは無表情の壁を彩る一枚の大きな赤い布みたいなやつだ。
壁に飾られている赤い布は、どこか懐かしい感じがして、しばらく吸い込まれるように意識が一点に集中してしまっていた。
「お茶を入れてきます」
「あ、いいよ。千早さん。すぐ帰るから。それよりも大丈夫なの? 体調は」
千早の言葉で我に返った綾人。壁に飾ってあるモノを訪ねるか考えたけど、女子の部屋だし、そう言ったマナーみたいなのをあまり知らない綾人は下手なことをしない為、口を結ぶ。
綾人の言葉に千早はゆっくりとベッドに座った。口元にはマスクをしており、時折ゴホンと咳をしていた。
「はい。もう落ち着きました。お見舞いに来てくれてありがとうございます」
「いいよ。全然」
どうやら事件に巻き込まれることなく、体調もだいぶ回復したようだ。我ながら深読みし過ぎたと馬鹿らしくなる。
「あと、これ。プリン買って来たから食べてよ」
ここに来る途中にコンビニに寄って買ったプリンを千早に渡す。
「はぁ。また美空が言ったんですね。すいません。お金を」
「あああ、大丈夫だから。ね? たまには奢らせてよ」
財布を取ろうと立ち上がろうとしたモノだから綾人がそれを静止する。綾人の言葉に「すいません」と一言謝罪をして咳き込んでまた座る。
千早は変わり始めている。その影響に一番貢献しているのは多分鈴峰だ。彼女と再会してから長年凍り付いた氷が少しずつ溶けるように、千早は壊れた破片を戻しつつあった。
「どうかしましたか、富田さん」
千早が伺うように尋ねる。ふい過ぎて戸惑ってしまう綾人。きっと勝喜の言葉が引っかかって顔に出ていたんだろう。
「ううん。何でもない」
首を振って苦笑いする。
聞くなら今だ――けれど綾人は聞けなかった。口を開く事が出来なかった。もし千早の口から勝喜と同じ言葉が出てしまったらきっと綾人は立ち直れなくて、将来の夢とか以前に、何もかもに絶望してしまい、膝をついてしまいそうだったから。そう、怖かった。現実を見るのが。
ピンポーン。インターホンが部屋に響いた。
「きっと鈴峰さんだね」
「では見てきます」
「ああ、いいよ! 俺が行くよ。あんまり長居しても悪いから鈴峰さんと入れ違いで帰るよ」
「そう、ですか。あの、今日はありがとうございました」
千早がポツリと呟く。
「うん。早く体調治してね」今の綾人に言える精一杯の言葉だ。
綾人が帰ろうと立ち上がって、扉を開ける。そんな綾人の背中に千早は、
「最近物騒な事件が多いですので、気を付けて下さい」
感情の無い言葉だったけど、綾人の気持ちを晴らすには十分すぎて、背中越しに「ありがとう」と言った。顔はニヤニヤの止まらない我ながら気持ち悪い顔であっただろう。
もう一度インターホンが鳴ると同時に綾人が扉を開けて鈴峰と顔を合わせる。
「あれ、もう帰っちゃうの?」
「うん。あんまり長居しても良くないかなって」
「そうなんだ。あれ、仙田君は?」
「あいつは知らない」
「あいつ?」
「じゃ、俺帰るから。ちゃんとプリンは買ったからさ。またね」
言い逃げるように鈴峰の隣を通って綾人は帰って行く。
そんな綾人を見守りながら「あいつ?」と疑問を呟く鈴峰。
※
ウゼェ、キモイ、ズリィ。バカ。クソッタレ!
今までの自分は、自分を信じて前を向いて自分で言うのも変だけど太陽のように眩しかった気がする。けどそれは過去話で、そんな太陽のような自分はもう既にどこかに行ってしまった。
今の自分は陰湿な湿気のようで、沼のように暗くて、そんな自分が大っ嫌いだ。
自分を罵倒する言葉が無限に出て来てその度に自分を照らす輝きが曇っていく。
そんな時にたまたま鈴峰から連絡があって、勝喜はいつものファミレスに向かう。
木葉が風に乗って空を飛んでいる。寒さが本格的になってファミレス内の客も厚着を着ている者が多い。メニューも既に冬限定のデザートが記載されており、冬の始まりを感じる。
勝喜が席に着いてテキトーに注文を済ませる。数分後に鈴峰が来て反対側に座った。
「うい」「ほーい」テキトーに挨拶を交わす二人。
「で、何の用」
勝喜がポテトを摘まんで退屈そうな顔で鈴峰に目をやる。鈴峰はいつもよりも真剣というか真面目な顔で、
「富田君と何があったの?」
高校球児並みの直球ストレートにキャッチ出来ずにむせてしまう勝喜。
「は、は!? なにいきなり」
「いや、二人さ喧嘩してるでしょ?」
鈴峰の言葉に視線を外して無言になってしまう勝喜。
外の景色に逃げようとするけど、鈴峰の強い視線を感じてまた目を見た。
「なんで?」
「お見舞い来なかったじゃん。仙田君」
「用事があったから」
「へぇ。でも富田君を見れば分かるよ。君たちが喧嘩している事。ズバリ当ててあげようか、喧嘩の内容。それってさ、夏祭りの時か、その少し前からじゃない?」
的確な推理をする鈴峰の後ろで眼鏡をかけた小学生の幻覚が映る。
鈴峰の推理に勝喜はあからさまな態度が顔に出してしまい、それこそが鈴峰を確信させた。
「やっぱりね。まあ薄々気付いていたけど。お祭りの時も二人どこかギクシャクしてたし。その後も何か二人の話聞かなかったし」
鈴峰は答えを導き出して話を続ける。それも真実の為、これ以上勝喜が隠しても仕方がない。
「別にいいだろ。喧嘩ぐらい。お前もしてただろ」
「わたしたちは喧嘩とはまた違うと思うけど。あのさ、まあ二人を見ていれば夏海に対してどんな想いをもっているか判るし、それで仙田君は夏祭りの日に行動に移したんだよね? もしかしてだけど、その事言ってないの? 富田君に」
「言う必要もないだろ。俺の人生だし」
「なにそれ。まあそれは仙田君の勝手だけどさ、でも夏海の事で二人が喧嘩するのはきっと夏海も望んでないし、何よりもずっと仲が良かった二人が離れ離れになるのは、わたしは耐えられないかな。友だちとして」
少しだけ表情を緩めた鈴峰は、アイスカフェラテが入ったコップに浮かぶ氷をストローで回している。表情は少しだけ切なそうだ。
「このまま卒業したらきっと疎遠になっちゃうよ。それでもいいの仙田君は? 中学からの友だちなんでしょ?」
鈴峰の言葉が一つ一つ勝喜の胸に刺さる。その度に込み上げてくる理不尽な怒りが喉元を焼き、やがて口から漏れでた。
「あぁぁあああ!! マジなんだよ!! 俺の糞野郎!」
口から漏れ出たのは鈴峰に対しての怒りではなく、自分に対しての怒りだった。
「マジ最低だわ。いつからこんな嫌な奴になっちまったんだよ。糞。あいつは何もしてないのに勝手に嫉妬して、自分を責めて、惨めになって。それであいつを困らせようって思って」
テーブルの下で拳に力を込めて太ももを一度叩く。
最初から勝喜は気付いていた。綾人が何も悪くない事に。勝手に綾人と千早の仲に嫉妬して、自分のモノでもないのに独占欲を抱いて、綾人の立ち位置が羨ましくて。
きっと心のどこかで思っていたんだ。自分の方が人間的に上だ、って。
クラスの中心人物で強豪サッカー部のエース。それに対して綾人は特に目立つモノはなく、クラスの立ち位置も地味だ。
そこに特別な考えを持ったことは無かったけど、きっと人間の本性というか心のどこかで自分が上で綾人が下と見下していたのだ。
だからこそ、下だと思っていた奴が自分よりも千早を知ってて、自分よりも仲が良くて、それに嫉妬してしまい、糞つまらないことで綾人を苦しめてしまった。
綾人は優しい奴。それにすげぇ。将来の夢に悩んでいるけど、必死にもがいて足掻いて、闘っている。そんな高校三年生見た事ない。気が弱くてあまり自分を出さないけど、いつも他人を想い、頑張って行動しようとしている。そんな綾人を下と決めつけていた自分は救いようのないバカだ。
薄々悟っていた綾人に対する自分の気持ちと、鈴峰の言葉が決めてとなって溜まりに溜まった勝喜の内に秘められた想いは、決壊したダムのように一気に崩れ落ちて行く。
「気付いてんじゃん。自分の事」
「ずっと気付いてたよ。けど、素直になれなかった。マジ、バカだよな」
「そんなことないよ。そう言うもんじゃない。喧嘩って」
ホッとした表情になっていた鈴峰に勝喜は苦しみながら口にする。
「でも、今更何て言えばいいんだよ。もう引き返せない所まで行っちまったよ」
勝喜は顔を沈めて消えそうな炎のように不安を煽る声音で言う。
勝喜らしくない言葉に鈴峰は大きなため息を零して、
「引き返せない時は人生に存在しない。それは己が決めた逃げ口だ」
「は、誰の言葉?」
「わたし。どっかの誰かさんの名言的な発言を借りました」ニシシっと笑う鈴峰。
そんな鈴峰を見て肩の力が抜けた。
確かにその通りだよな。
「それにさ、わたしも経験してるから。わたしは運が良かったからまた夏海と一緒になれた。けどそれは本当に運が良かったから。でも、幸運何てそんな起きる事じゃないからさ、だから仙田君と富田君を見ているとわたしと夏海を見ているようで、離れ離れになるかも知れないのを放っておくと思う?」
「ごめん。色々気を使わせてたんだな」
「ううん。いいの。まあすぐに謝れないとは思うから自分のタイミングでお願いね。夏海のことで嫌になるぐらい理解した。目の前の現実が当たり前であって当り前じゃない事に。だからまた夏海を入れて四人でどこか行こう、ね?」
鈴峰の優しさが傷ついた勝喜を包むようで歯を食いしばっていなければもしかしたら涙が出ていたかも知れない。そんな姿を見せたく無かったから勝喜は一気にドリンクを飲み干して、
「復活!!! 仙田勝喜、元気百倍。勝パンマン! ありがとう鈴峰。やるわ、俺」
ニコッと笑った勝喜はまるで太陽のようできっと誰よりも輝いていただろう。




