秋5
丁度、体育の授業があったから体操服を持ち合わせていたのは不幸中の幸いだった。
校舎裏で千早とかいう変な奴に見張ってもらいながら佐々木は体操服に着替える。
冷たい制服から少し汗臭い体操服に着替え直すのは少しキモかったけど、それでもびしょ濡れよりかは全然いい。
校舎裏の陰がかかる段差で何とも言えない距離で座った佐々木と千早。二人の間に沈黙が居座る。
佐々木が千早を止めたけれど、佐々木は体操服をギュッと握ったまま口を開かないでいると、
「私は少なからずあなたに感謝しています」
千早が切り口を作る。その言葉に佐々木は顔を歪めた。「以前あなたは私に言いました。『自分の中で目指すヒーロー像があるのならそこなのではないか』と。その言葉が何度も何度も頭の中で囁かれて判らなくなってました。そして今も曖昧な状態です。けれどあなたのその言葉で思い出しました。私の目指すべきヒーローは絶対に人を傷つけない人だって。だから、まだ色々と暗い道を進んでいる最中ですけど、あなたの言葉で先ほどは行動出来たのだと思います」
「あっそ」
こんなにも長々と話す千早を初めて見た佐々木。とても新鮮であり、不気味に感じて、やっぱり言葉は淡々だったけど、少しだけヒーローの話をする千早が眩しく見えたのは気のせいではないはずだ。
自分から誘っといてこの態度。自分の悪い所が出ている。だからこいつが転校して来た初日も言ってしまった――
「あのさ、一つ言ってもいい?」
「はい」
「最初にあんたがヒーローを目指すって言った日さ、それを笑っちゃったけど、その時はついカッとなって言っちゃったというか、ごめん。それは」
佐々木は顔を背けてボソッと呟く。
「いえ――」千早の言葉を遮って少し早口で話す佐々木。
「別にこの状況だからとか、助けてもらったから言った訳じゃないから。まあヒーローを目指すってマジで変人とは思ったけど、なんつーの、居ないとは思ってないから。そのーえっと」佐々木は長い髪をクシャッとして、自分の顔を隠す。「わたしさ! カッとなったり、調子乗ったりすると人を馬鹿にしちゃうっつーか、傷つける言葉が出ちゃうのよ。そんであの時も……あんたが転校して来た初日も全然わたしたちの話に乗って来ないし、自分を隠すばっかりでついムカついてヒーローを目指すあんたをバカにしちゃったの。だから、そこは謝るわ。ごめん」
「いえ、別に気にしていないので」
勇気を出してというか、ここ数か月気に掛けていた事をやっと言えたと言うのに千早は一言で終わらせてしまう。
「そう言うとこ、マジで嫌い」
「知ってます。あなたが私を嫌いなのは」
「ああああ、マジでムカつく。あんたもあいつらも」
奥歯を噛みしめて込み上げてくる怒りを噛み殺す。すると怒りは少し沈静化したけど、代わりに虚しさみたいなのが込み上げてきた。
「あんたさ、友だちに裏切られたことある?」
「いえ、一人しかいないので」
「へぇー。それって富田? 仙田? それともその二人は友だちじゃないの?」
その言葉に千早は少し顔を沈めて無言を突き通した。
「まあいいわ。わたしさ、仲良くなりたい人には自分から話しかけるのよ。そんでまあ、だいたい仲よくなってグループが自然に出来るの。んでまあ大体わたしはそいつらを嫌いになる。陰でわたしが何て呼ばれているか知ってる? 『わがまま姫』だってさ。好き嫌いが激しいからそう呼ばれているらしい。ばっかみたいよね」
「何で嫌いになるのですか?」
「んなの一つしかないでしょ。陰口言う奴」きっぱりと佐々木は言う。「表では仲良しな感じ出しといて、裏では陰口を言う。そう言うのウザくない? 嫌いなら嫌いって本人に言えばいいじゃん。だからいつも「直接言えば」みたいな事を言って揉めて、嫌いになる。それが何度も繰り返すのよ、いつも」
「そうなんですか。先程の人たちも元は友だちだったんですか?」
「そうよ。さっき言った通り喧嘩して嫌いになった。あんたも経験していると思うけどさ、わたしが嫌いになると何故かみんな、その子から距離を取るようになるの。それでわたしを盾にイジメとかあるらしいのよ。まあ薄々気付いていたけど。そうすると、どうしてもわたしが黒幕って思うんだよ、皆。わたしと仲いい子たちがやっているから自然とわたしの顔が浮かぶ。それが何度も続くからもう面倒くさくなってさ、人間関係。ほんと、馬鹿馬鹿しいわ」
佐々木は最後に消えそうな炎のような弱弱しい言葉を吐いて顔を腕に沈めた。声音は震えていて、今にも壊れてしまう脆さがあった。
口では強い態度を示す佐々木であるが、毎回信用していた友だちを嫌いになるのは堪える部分があるようだ。それを何度繰り返しても慣れることは無いし、今回のように水を掛けられ、殴られ、刃物を向けられ――今まで経験したことの無い恐怖や、プライドが酷く傷ついて、一息ついたからこそ気を張っていた部分が緩み、足が震えてしまう。
千早に見られたくなかったけど、佐々木も一人の女子高生だ。未熟で心も弱い。どうしても恐怖が芽生えてしまい身体が震えてしまう。せめてもの抵抗で言葉だけは凛々しく居たいと佐々木は思っていた。
自分の弱さを吐くようなキャラではない佐々木だが、何故か千早には吐けてしまった。
きっと千早を嫌いだから出来た事なのかもしれない。
友だちじゃないからこそ、裏切られることの無い唯一の存在だからこそ、佐々木は抵抗なく自分の気持ちを言えたのかも知れない。
「一つ尋ねてもいいですか?」
静かに聞いていた千早であったが、少し興味を持っていそうな声音だ。
「なに」
「復讐とか考えていないのですか?」
千早の言葉には少し強さを感じた。まるで復讐に対して思う所があるような。けれど佐々木はそこにはあまり興味をもっていないらしく、純粋に千早の言葉を鼻で笑って、
「んなのする訳無いでしょ」
「何故ですか? こんなにも酷い事をされたのにですか?」食いつき気味の珍しい千早。
「だって、ダサいじゃん。復讐とか。そう言うのって弱い奴がやる事でしょ。そんなつまらない事をするぐらいだったら、もっと自分を磨いて、同じ過ちを繰り返さない努力をしたり、バカにした奴らを見返すぐらい大きくなったりすればいいじゃん。そっちの方が自分の為だし」
佐々木のキッパリとした真っすぐな言葉に千早はギュッと握り拳をして、何かを考えるように顎に手を当てた。
「いえ。そうですか。そうですよね」
「……何かあったの?」
珍しく感情のある表情になった千早に少しの興味を示す佐々木。
「いえ、特には」
興味を示した矢先、急に冷めたいつも通りの顔に戻る千早。
「あっそ。じゃあ、そろそろ帰るわ。バイトあるし。まああれよ。ありがとう。じゃ」
佐々木は立ち上がって、茜色に染まりつつある空を眺めた。
暖かい風が二人の髪をなびかせて、運動部の掛け声が校舎裏にまで届く。
濡れている制服をしまって、体操服のままバッグを背負った佐々木の顔は真っ赤な夕日の光で良く見えなかった。
「あの、最後に一ついいですか」
千早は座ったまま佐々木の背中に語り掛ける。「なに?」
「もしよければ、連絡先を交換してくれませんか?」
「は?」
思わず振り返ってしまう佐々木。千早の瞳から意図は読めないけれど、冗談とか言うタイプじゃないので、きっと本気なのだろう。
「ダメでしょうか?」
「急に何。そういうキャラだっけ。気持ち悪いんだけど」顔を引きつらせる佐々木。
「ダメでしょうか?」
同じトーン、声音で呟いた千早。本当に読めないというか自分を余り出さない未知さが不気味であるが、どうやらこれが千早何とかという人物であるのはここ数分で十分に理解出来た。
「まあいいわ。はい」
佐々木は一つため息を零して自分の連絡先を教える。
「ありがとうございます」
「はいはい。あんま連絡してこないでよね。メンドイから」改めて佐々木はバッグを背負い直して千早に背を向ける。「あ、そうだ。さっき助けてくれた時、少なからずヒーロー? にわたしは見えたわよ。じゃあね」
そう言うと佐々木は早々に立ち去って行く。
残された千早はムズムズと原因不明の病原菌によって胸がくすぐったかった。そして自分の手を治療してくれる時に使った巻かれたハンカチを見て心が温かくなる。
千早の口元が少し緩んでいたのを本人も含めて知る者はいなかった。




