気付いた夢
後半四十四分。点差は二対一。勝喜たちのチームが一点を追う展開である。
天気も悪化していき、大雨がグラウンドに降り、土の臭いが充満している。
前半、味方のクロスにうまく合わせた勝喜が先制点を決めたのだが、後半になると相手チー
ムの空気が一変して開始早々に同点弾を決められた。更に勢いづいた相手と切り替えようとす
る勝喜のチームであったが、相手の勢いに呑み込まれて、同点弾から僅か二分で勝ち越しのゴ
ールを許してしまう。
それから幾度となく怒涛の攻めを見せるが、相手の鉄壁な守りを突破する事は出来なかった。
ピっとホイッスルが鳴った。
皆が足を緩める。
相手側のパスミスで白線を割り、一時試合が中断する。
ボールの行方を何となく追っていた勝喜は、
「え」
勝喜は足を止めてボールの行方、違う。人がいない客席に驚き、足が止まったのだ。
誰も居ない禿げた白色のベンチの前で傘を差して立っている一人の少女。
少女は試合の行方に一切の感情を示さず、ただジッと冷めた瞳で勝喜を見ていた。
「千早!」
試合展開と天候で勝喜の顔は曇っていたが、視線の先にいる勝喜にとって太陽のような存在
を目にして勝喜の顔も晴れた。
勢いで手を振るが、千早は微動だにせずただ見つめていた。
「残り一分。決めたら俺、最高にかっけえじゃん!」
今にも消えそうな心の炎が千早によってまた勢いを取り戻す。
※
結局会場に来てしまった千早。
来たくて来たわけじゃない。
ただ、千早の日常生活を変えるきっかけを作り続けているあの二人が、頭から離れなくてモ
ヤモヤするのも嫌だったから、とりあえず身体を動かしたのだ。
そう千早は思っているし、間違っていないと確信している。
雨が強くなって土の臭いが鼻の奥に広がる。少し離れた所で多分我が校の保護者たちが精一
杯の声で応援している。
客席を横目で捉えて、千早はグラウンドに視線を戻す。
サッカーは授業でしかやった事ないが、ある程度のルールは把握しているつもりだ。どうや
ら仙田たちのチームが一点を追う展開のようだ。
千早がいつもの感情を持たない瞳で試合を見ているとボールが白線を超えて千早の隣を通過
していく。
何人かの選手がボールの行方を追っていたようで、そのうちの一人と目が合う。
仙田だ。仙田と千早の目が合った。
目が合うなり、何故か仙田は顔を晴らして笑顔で手を振って来る。
負けている状況でよくあのような行動が出来るな。と疑問に思う千早であるが、特に何か行
動に移す気はないので、何もしない。
仙田たちのスローインから試合が再開する。
一人の選手がボールを投げて味方がそれを受け取る。
時間も時間でグラウンドに立つ選手たち全員が顔を苦しめてその足取りは重い。
パスを受け取った選手が、襲い来る相手校の選手たちからボールを死守して前線にボールを
送った。
観客席がワァーッと盛り上がる。
どうやらパスを受け取った選手は期待されている凄い選手らしい。ちなみに同じ高校の千早
はその選手を知らない。見た事も無い。
その選手は広い視野で全体を把握する。選手の一人が大きな声で叫ぶとボールが宙を舞った。
味方も敵もボールの行方を見ていると一人の選手の足元にピッタリと着地した。
ボールを受け取ったのは仙田だ。
仙田がニヤリと一瞬笑みを零して、弾丸の如くドリブルで敵陣営を突破していく。
一人、二人、三人。仙田を止められる者は居ない。
左サイドを割って進んでいった仙田は、見た事も無い顔つきで睨むようにゴールを見据える。
仙田が足を上げた。雨で濡れてしまった土がビショッっと跳ね上がって仙田の足に絡みつき
ながらもボールを蹴り飛ばす。
大きく飛んだボールは弧を描いて逆サイドに飛んでいく。速度、正確さにキーパーは反応出
来ていない。
「いっけええええ!!!!」仙田が狼のように吠えた。
ボールはゴールネットに一直線に飛んでいく。
――カンッ。
鈍い音がグラウンドに響き渡った。
ボールは勢いを無くしてゴール横の白線に転がっていく。
仙田が放った渾身の一撃はゴールネットではなく、ポストに阻まれてしまったのだ。
跳ね返ったボールは白線を超えて――同時に長いホイッスルが鳴り響いた。
試合終了のホイッスル。
長くとても長いホイッスルはこの場に居る全員の胸深くまで響き渡っただろう。
オォォオオ!!!! ホイッスルの大きな音さえも消してしまう歓声がグラウンドを激しく揺ら
した。ベンチで待機していた選手や顧問が勝ち取った勝利に喜び、戦場で戦った選手たちに近
づいて行く。
抱き合って、喜び、泣いている。勝者にのみ許された光景だ。
そしてもう片方。
仙田たちのチームは誰も声を発していない。天を仰ぐことも、ベンチに向かう事もなく、た
だその場で膝をついて泣いている。雨のように瞳から涙を流していた。
ただ一人を除いて。
十番を背負って腕章を腕に巻いた男、仙田 勝喜は、雨に打たれながらも膝を着くことは無
く、立ち尽くしていた。
仙田の後姿を千早はただジッと見つめた。
「負けちまった」
試合が終わって一通りの事を済ました仙田が、チームメイトと別れて千早の元にやって来た。
顔を泥で汚している仙田は千早の前で白い歯で笑って見せた。
「お疲れ様です」
「おう、サンキュー。でもまさか来てくれるとは思わなかったよ。だから千早が目に入った時
は、うっしゃあ!! と思って勝てるって思ったんだけど、あーくそ。あそこで決めとけばカッ
コよかったんだけどな。くぅ!」
仙田はいつものようなテンションで、自分の心境を語り、笑いながら悔やんでいる。
「何故負けたのにそんな明るいのですか。みんなが泣いている時に何故泣かなかったのですか」
千早の素朴な疑問にまたしても笑った仙田は、
「そりゃあ悔しいよ。何となく始めたサッカーだったけど、あと少しで全国だったんだからな。
まあでも、俺はマシな方だよ。多分俺以外の奴は俺以上にサッカーに熱あったと思うし、だか
ら俺以上に何倍も悔しかったと思う。だから泣けたんだよ、きっと。それに比べて俺は何とな
く野郎だから――」
「嘘ですね」千早はバッサリと仙田の言葉を両断する。「何となくの人ではあんな真剣な顔は出
来ないと思います。それにキャプテンになるってことはチーム全員から認められている証拠で
はないのでしょうか。あまり詳しくはないので大きな事は言えませんが、けれど今まで頑張っ
て来たから今の立ち位置に居るのではないでしょうか」
千早は前を見据えたまま、淡々と言う。
「以前、仙田さんは私に言いましたよね。自分にはやりたい事がないから、私の事がカッコい
い、と。けど、あるじゃないですか。あなたが全力で取り組んでいる事」
「いや、千早」仙田の声音が震えている。
「いつもより笑っているのは強がっている風に見えます。私が言えた義理ではないですが、あ
なたは自分を守っている風にしか見えません。別にいいのではないでしょうか。感情を抑えな
くても。悔しいなら悔しいって感情をさらけ出すのは恥ずかしい事ではないと思いますよ」
自分で言っていて、まるで自分自身に言っているようで複雑な気持ちを覚える。本当は言う
権利も言える立場でも無いのに、何故か千早はそんな言葉が零れ落ちた。
「――ッ!!?」
千早の身体が急に引っ張られて持っていた傘が手元から落ちる。
雨が空から千早に降り注ぐけど、だけど温もりという温かさが千早を雨から守った。
「ごめん、千早。少しだけこうさせてくれ」
ボソッと耳元で囁いた仙田の声は震えていてとても脆かった。
仙田が千早を抱き寄せて強く包み込む。
雨に濡れている二人。涙の匂いを千早は感じ取る。
「俺、サッカー好きだわ」




