千早と勝喜
心臓バクバク状態が未だに収まらずに数日が経っている。
あまりにもバクバクで脳の回路がショートした結果、綾人は少し気持ち悪くなっていた。
勝喜をきっかけに苗字で呼ばれることになった。学校生活の中、三回ほど苗字で呼ばれてそ
の度に何故だか心臓が嬉し気に鼓動を爆発させようとしている。
自分でも分からないけど、何故か呼ばれた直後は何でも出来る気がしてならなかった。
無意識に千早の事を考えて、学校帰りの公園で少しだけ話すようになった千早との時間を早
く迎えたい。そんな事を考えながら学校に来る事も多くなってきた現在。
相変わらず自分の将来が見えずに立ち止まっている綾人は未だ『進路希望調査書』を白紙の
ままにしているが、最近は何だか少しだけ明るくなった気がする。
それが将来の不安と結びつくわけではないけど、でも何故かこの時間を大事にしたいという
考えが脳の中で生まれていた。
綾人は反対側の席に視線を向ける。
この授業が終われば今日の学校が終わると言う事で集中力を切らした生徒がちらほら。空は
晴天でめちゃくちゃ暑いけど、クラスで冷房使用が許可されて今は快適だ。窓の外から聴こえ
るセミの鳴き声によって眠たい生徒が寝れないのは良い事なのか、悪い事なのか。
クラスの半分以上が集中していない授業の中で、いつも同じようにしている勝喜はどこか真
剣な表情で黒板を見据えていた。
授業に集中。とはまた違う気がする。そわそわしたり、ノートは開いているけど何も書いて
無かったり。言ってしまえば、うわの空と言う言葉がピッタリな状況だ。
ショッピングモール後から勝喜は変わった気がする。
何て言えばいいのかな。少し綾人に対して冷たくなったというか、どこか壁が出来たような。
それに――
あの日を境に勝喜が千早に話しかける回数が減り、話しかけたとしても妙に視線を泳がせた
り、顔を赤くしたり。
違和感が綾人の心に残るけど、その正体を突く事は出来なかった。
※
妙な緊張感がここ数日、あの日からずっと心の中でざわついている。
今日の天気のように曇り空の胸を握りしめて一度勝喜は深呼吸をする。
今日は日曜日。全国大会出場が掛かった勝喜たち三年生にとって最後の大会だ。負ければ終
わり。勝てば次の舞台。だから緊張があるのか――いいや、違う。
きっとあいつが来てくれるか。それこそが緊張の正体であろう。
人生初めての告白から一週間。あの日以来千早を意識し過ぎて会話もメールさえも全然出来
なかった。顔を見れば心臓がうるさくて、とにかく初めてだらけで今週はバタバタ疲れた。
色々と初めてだらけだが、今の自分は嫌いじゃない。今まで勝喜は何も本気で物事に対して
取り組んだことがなかった。部活も勉強も人間関係も。
綾人のように将来に本気で悩んだことも無い。言ってしまえば勝喜は空っぽなのだ。
千早と出会うまでは。
千早と知り合って、綾人を通して色々と解ってから次第に勝喜の中が千早で満たされて、気
づいたら千早に対して全力になっていた。
だからそんな自分が、今は好きだ。
けれど、勝喜は一つ悩んでいる。
それは綾人だ。綾人を見ると妙に胸の奥が突かれて痛くなり、距離を置いてしまう。
千早と話している綾人。自分よりも何かを知っている綾人。そんな綾人をいつの日からか、
見るのが嫌で、気付くと勝喜は距離を取るようになっていた。
パンっと勝喜は自分の頬を叩いて、首を左右に振る。
「今は集中しねぇと」
試合時間が迫っている。今日は曇りのち雨。天候はあまり良くないけど、それは相手校も同
じだ。勝喜の背負う十番がピッチに現れた。
相手校は前回の大会で全国ベスト2。超が付く強豪校。勝喜たちの学校も強豪校であるが、
果たして勝てるのか。
弱気の自分の太ももを思いっきりつねった勝喜は曇天を仰いで客席に目を通す。
全国が掛かっているだけあって、観客も多い。親に友だちに教師に。
一通り目を通して――千早は居なかった。
千早のことだから客席の人が少ない所にいるだろうと、そこを中心に探してみたけど、やは
り見当たらない。
「ダメだったか」
ボソッと呟くと試合開始のホイッスルが鳴り響く。
※
千早は鏡の前に居た。最近こうして自分を見つめる事が多くなっていると自覚している。見
えない答えを探すように、迷走している自分にいつも問いかけているのだ。
今日は日曜日。仙田に誘われたサッカーの試合日。
行くべきか、行かないべきか。
今までの千早なら考える必要は無かっただろう。
即答で本人の前で断れたはずだ。だけど断る事が出来なかった。
その答えが自分でも分からない。最近の自分の行動や言動が分からない。
ただ一つ自分の中で分かっているのは『ヒーローとは』である。
その疑問だってあのクラスメイトに言われてから気付いた。本当のヒーローって何だろう。
って。考え始めたら連鎖するように疑問が増え続けて結果前が見えなくなっていた。
今の学校に来てから千早は色々と悩まされ、変わりつつあるのだが、本人はまだその事に気
づいておらず、変化する自分に戸惑っているのだ。
「あの二人は一体何者なの」
返って来ない答えを求めて千早は呟く。
「私はどうするのが正解なんだろうか」
千早はボソッと呟いて自室に戻った。




