嫌な空気
隣に座った少女。
未だにクラスは動揺とか、異物を見るような視線が交差して何だか居心地が悪い。
ふと視線の端っこに勝喜が映る。勝喜は少し楽しそうに口角を釣り上げて、話してみれば?
みたいなジェスチャーをしている。
そんな勝喜にため息を零した綾人はそれを無視することに。けれど周りの空気もあってか、
自然と隣に座った転校生、千早 夏海に視線が行ってしまう。
綺麗なロングヘアーから薄っすらといい香りがする。顔は綺麗で気付くと吸い込まれてしま
うぐらい何か魅力を感じる。でも何でだろう。どこか寂しそう、と綾人は思った。
氷の女王という言葉が似合うとても冷めた人間に見える。色々な違和感があるけれどその正
体を今すぐ知る事は出来ない。ただ、何か冷たい人。と言う事しか綾人には解らなかった。
「っ、なにか?」
ジッと前を見ていた千早が、隣で不審者臭い眼差しを送っていた綾人に気づいて綾人をジッ
と見つめる。そしてポツリと呟かれたその言葉に感情は見えない。
「あ、え、あ」
まさか声を掛けられるとは。アドリブの利かない綾人はあたふた視線を忙しく泳がせて、手
をグチャグチャさせてまさにその様子は不審者のそれだ。
クラスも謎の転校生の第一声にざわついたが、相手が綾人だ。あまり期待はされていない様
子。これがもし勝喜とかだったらもっとクラス内は盛り上がっただろうに。
結局、綾人は小声で、本当に風の音で消えそうな小さな弱弱しい声で、「何でもないです」と
ボソリとだけ言えた。
その言葉を聞くなり千早は、何事もなかったかのように正面に顔を戻す。
綾人は背中にびっしょりと嫌な汗を掻いて、静かにため息を零した。
――ヒーローを目指すと言った少女 千早。彼女は謎の少女だ。
午前の授業が終わり、未だクラスは謎の転校生、千早 夏海の話題で持ち切りである。それ
は他クラスにまで伝染しており、気づけば教室の扉には顔も知らない生徒が千早を探していて
視線に落ち着きが無かった。
可愛いとか、褒める言葉も多数あったけど、『ヒーローを目指す変わり者』として広まったよ
うでクスクスバカにしたような声の方が目立っている。
そして昼休み。クラスの雰囲気を気にするよりも疲労感が身体に纏わりついていて、そんな
疲れを身体から出そうと一息着くと同時に、一人の騒がしい客が綾人の前に姿を現した。
正確に言うと肩を組まれて無理やり連れていかれたが。
「なあ、なあなあ、綾人! どうだった? どうだった!?」
「な、何が」
まさに陰と陽。希望に満ちたルンルン笑顔で話す勝喜と、勝喜のテンションについて行けず、
苦虫を噛んだみたいに歪んだ顔の綾人。
綾人の顔色なんて知らないと言わんばかりに勝喜は口を開ける。
「何がって、転校生だよ! 千早さん」
勝喜に連れられて自分の席から離されたのはそう言う理由か。勝喜の行動に納得がいく。
どうやら勝喜は転校生の千早に興味をもっている様子だ。
「そんなの俺に聞かないでくれよ。分からないし」
「え、そうなのか。消しゴムとか借りなかったの?」
「借りないよ。そんな度胸もない!」
勝喜と話す時は中々口を開く綾人だけど、そもそも友達の少ない綾人にとって自らそう言っ
た行動を取るのは苦手分野である。
「キッパリ言うな、オイ」
「なに、好きになったの?」
何となく綾人は勝喜に尋ねた。
「いや、なんつーか気になったみたいな。だって、朝話していた事を堂々と発言したんだぜ?
しかも一切恥じずに。何か一周回ってかっけぇみたいに思ってさ」
勝喜は活き活きとしている。確かに解らない訳でもない。実際綾人が生きてきた人生で『ヒ
ーローを目指している』という事を言った人を見た事がなかったから。
だからこそ、真っ直ぐに言った千早に興味というか、関心を持つのは良し悪しを除いても仕
方がない事だ。
「ふーん、そう」
「反応薄。てかお前は――あっ!」
何かを言おうとした勝喜が綾人の後ろの方を見て時が止まったように固まる。そんな勝喜に
釣られて綾人もそちらの方を見た。
視線の先は千早の席だ。静かにお弁当を食べている千早を囲うようにクラスの女子が三人、
千早に何かを話している。
「ねえねえ千早さん。千早さんはこの学校に来る前は何してたの?」
女子の一人が千早に尋ねる。興味深そうな瞳で。
「それは」
千早は静かに下唇を噛みしめて、
「言いたくありません」
少しの間の後にポツリと冷めた言葉が吐かれる。
「てかさ、千早さん面白すぎるよ。ぱっと見クールな感じだけど、あんな真面目な感じで『ヒ
ーローを目指す』とか言っちゃうんだもん。センスあるよ、本当に!」
あははは、と話ながら別の女子が口にする。それに釣られて千早以外は悪気の無い笑みを零
していて、三人組の女子は楽し気な雰囲気だ。
「はい?」
そんな楽し気な雰囲気にナイフを刺すように感情の無い言葉が千早から漏れる。
「ギャップを狙っているなら大成功だよね!」
「うんうん。本当にヒーローを目指すとか言ってないよね? あれ、冗談だよね?」
「いえ、私はヒーローを目指してますよ。それが何か?」
女子たちの疑問に表情一つ変えず千早はキッパリと言う。
千早の言葉の後、一瞬だが空気がピリついた気がした。しかし一人の女子がクラスに悟られ
ないように笑った為、気が付いた人も少ないだろう。
「何か、気悪いな、あれ」
しかし気付く人は気付いたようだ。綾人と一緒に千早たちを見ていた勝喜が少し顔を歪めて
ボソッと口にする。
綾人は小さな声で「だね」とだけ呟いてその光景を眺める事しか出来なかった。
しばらく、女子たちの感じの悪い空気とそんな空気を物ともしない千早の会話がしばらく続
き、気付けばクラスの半分以上がそんな千早たちに興味を示していた。
「まじ、何なの、お前!!!」
突然、世界がひっくり返ったように空気がガラッと変化する。
千早に話しかけていたグループの女子の一人が突然鬼の形相で千早に怒鳴り散らしたのだ。
その一言でクラスの雰囲気が悪い意味で引き締まり、気付けば劇を見ているように全員が言
葉を止めて注目している。
「さっきから聞いてれば人を馬鹿にした態度取ってさ。何? 少し注目されているからって気
取っている訳!?」
「いえ、そんな事は」
女子三人が怒りのオーラを纏って刃物のような言葉を見せても千早は一切動じない。まるで
機械のように尋ねられた事に淡々と答えている。
もちろん言うまでもないが、千早は一切悪い事をしていないし、調子に乗っている様子もな
い。ただ、千早の素っ気ない態度が気に入らなかったのだ。女子たちは。
それに相手も悪い。現在千早に噛みついているのはクラスの女子を仕切る女・佐々木志穂梨
だ。彼女は好き嫌いが、超が付く程明確であり、嫌いな人には理不尽なことでも噛みつく女。
更にたちが悪いのはその好き嫌いもしょっちゅう変わるため女子たちは佐々木の機嫌取りに
青春の時間を費やしているのだ。
一部メンバーは彼女を『わがまま姫』とまで呼んでいる始末。
だからこそ、彼女の理不尽な怒りにクラスの誰も口を開ける事が出来ないでいた。
「てかさ、ヒーローを目指すとか馬鹿じゃないの? まじウケるわ。少し見た目が良いからっ
てそんな不思議ちゃんアピとかマジキモイからね?」
佐々木がまたしても理不尽な怒りをぶつける。けれど千早は、
「別に私が何をしようがあなたには関係ないと思うのですが。私がヒーローを目指すに当たっ
て何か問題でも?」
冷静な態度で一切声のトーンを変えずに淡々と話を返していく。
煽りに対して一般的に言えばイレギュラーな態度を取る千早に佐々木の怒りは頂点に達した
ようで、千早の机をバンッと叩いて尖った低い音がクラスを駆ける。
「もう、我慢できねぇ」
グッと拳に力を入れ、見た事も無い怒りの顔をした勝喜が、千早たちの元に歩もうとするが、
その時、全てをリセットするように学校のチャイムが鳴り響く。
チャイムが最悪ムードのクラスに水を差した事で変な緊迫が薄くなる。
「あーあ。シラケた。まあいいや。わたしあんたの事嫌いだわ」
ギロッと、草食動物を睨むライオンのような恐ろしい瞳を千早に送った佐々木は、収まらな
い怒りを纏った背中で自分の席に戻っていく。
つるんでいる女子を引き連れて、周りの女子はあたかも日常のように佐々木が通る道を静か
に開けていた。
「マジで佐々木の奴。いつか痛い目見るぞ」
隣で一部始終を眺め、多分クラスで一番正当な理由で怒りを持った勝喜はボソッとだけ呟い
て自分の席に戻っていく。
綾人も心を曇らせていた。けれど勝喜のように行動をしようともせず、心の中で可哀想とし
か思えなかった自分が情けなくて何だか色々な意味で気持ちが沈んだ。