悲しい過去と一つの約束
子犬のように綾人の顔を覗く鈴峰は正直可愛いけど、その口からは綾人の心を犯す毒が吐か
れている。
鈴峰と顔を合わせて二回目だけど、連絡はちょくちょくしていた。一言で彼女を表すのなら、
『ビッチ』である。
もちろんビッチから連想するいやらしい事とか卑猥な事は多分してないだろうし、そこまで
軽い人間ではないはず。ただ、男を手玉に取るというか、操る力みたいなモノを持っているよ
うでちょくちょく綾人の心は弄ばれ、その度に簡単に引っかかった自分に戒めの筋トレを設け
たものだ。おかげで少しだけ筋肉が増えた……気がする。
そんな子犬のような純粋で可愛げのある顔に綾人は頬を若干染めて、視線を泳がせると、
「ちょーい待ち! 俺も仲間にいれてくりー」
世界を掴もうとするように両手を大きく広げた勝喜が、綾人と鈴峰の会話に割って入って来
た。勝喜の行動に静かに安堵の息を漏らす綾人。
「あ、ごめんね。ごめんね」
「なんてね。二人ってどういった経緯で知り合ったの? 友だちとして綾人をバカにするわけ
じゃないんだけど、綾人が他校の女子、しかもこんなかわいい子と知り合うって天と地がひっ
くり返るぐらいの驚きなんだけど。あー、だから最近暑かったのか。嵐の前の静けさ的な」
アハハ、と笑う勝喜は平気な顔で女子を褒める。鈴峰は顔色一つ変えないでそれを聞き流し
ている。何気ない褒め言葉に動じない鈴峰の様子は綾人と違ってリア充の場数を踏んでいる事
が判る。改めて自分が浮いているんじゃないかって謎の劣等感が綾人の心をプスリと刺した。
ファミレスは時間が経つにつれて店内の客が入れ替わっている。けれど最初から未だに居座
っている層がいる。それは学生たちだ。
綾人たちのようにテーブルいっぱいにノートを広げている様々な制服を着た学生。中には同
じ学校の人たちもいる。男だけの所もあれば女子だけのグループもある。もちろんその二つが
混ざったグループも存在する。
大人数グループは必然的に盛り上がりが多く、ちょくちょく大きな声が店内に響いていた。
あの学生たちも勝喜や鈴峰のように様々な場数を越えているのか。少し疑問に思うけど、そ
の答えを知ることは無いので、すぐに忘れる。
「別に大したことないけど。そうだなー」
顎にペンを当てて今度は考える鈴峰。口元にポツリとあるホクロが妙にセクシーだと今さら
気づいた綾人はしばらく視線が固定されてしまう。
鈴峰が考えている事を綾人は薄っすらと理解する。
多分、千早の事をどういう風に話すか、だろう。
最初に出会った場所は千早の元住んでいた場所だ。千早の転校先の制服を着て、多分切なく
悲しそうにしていた綾人を見かけてきっと鈴峰は声を掛けてくれたのだろう。
流れに沿って千早の話をきっかけに今に至るのだが、けど勝喜は違う。
勝喜が来る前にザっと勝喜について説明をした綾人。
千早の過去を知らない勝喜にどういう風に話すのか少し悩んでいるのだ。
「夏海の友だちなのよ、わたし。中学の時……」
「夏海?」
「そそ。千早 夏海。知ってるよね?」
「あー、千早ね。もちろん」
「まあ詳しくはわたしも覚えてないけど、夏海のことでこうして意気投合したというか」
鈴峰が導いた答えは曖昧にする。ということであった。その答えはベストだと綾人は思う。
千早の過去を千早以外が口にしていい訳が無い。しかしそれを伏せては知り合った経緯は説
明出来ない。なので覚えていないという政治家が良く使う便利な言葉を利用したのだ。きっと。
「そうなんだ。なんかモヤモヤしてんな」
背もたれに寄りかかった勝喜は天井をクルクル回るプロペラのようなモノを見ていた。
勝喜は踏み込んでこないけど、妙に感が働く時がある。
「あはは。そうだ。これ見て欲しいんだ。夏海の中学時代。興味ない?」
「え、ある! あるある!」
ジェットコースターから下るように、背もたれから一気に前のめりになった勝喜は鼻息が荒
く、その様子は散歩に行く前の犬のそれだ。
綾人は一瞬視線を鈴峰に送って鈴峰もまた綾人と一瞬視線が交わった。
興味津々の勝喜に餌をあげるように、突っかかった記憶を塗り替えようと、自らのスマホを
取り出す鈴峰。
内容は言うまでもなく以前綾人に見せてくれた千早の本来の姿だ。
一連の画像、動画を見終わった勝喜は、しばらく言葉を発せず、何かに吸い込まれるように
身体だけはそこにあった。
「これが千早?」綾人と同じ反応。
「そう。富田君からも聞いているけど、色々あってわたしと夏海は疎遠になっちゃったんだ。
それでね、もう私の知っている夏海は居なくなっちゃったんじゃないかって不安なの」
「何で急に? これ中学の時だよな? いくら何でも変わり過ぎじゃ。何か千早を変えるきっ
かけがあったんじゃないのか?」
勝喜の疑問は当然だ。その理由を勝喜以外は知っている。だけど言えない。言ってはならな
い。一瞬綾人と鈴峰に沈黙があり、空気が少し歪んだ。それを勝喜が悟ったか悟って無いかは
判断がつかないけど。
「確かにきっかけはあった。でも友だちとして言えないの。ごめんね」
「あ、別にいいんだけど。ちなみに綾人はそれを知っているのか?」
「いや……知らないよ」
飲み物を一口乾いた喉に通す綾人は、小声で答える。
勝喜はまた無表情の天井を見上げて息を零すように、ふーんと答える。
「まあ、別に他人の過去とかいいや。言えない事をしつこく聞くのはやぶだし。でも、そんな
時もあったんだな。千早」
「俺も最初は驚きが隠せなかったよ」
「それでね!」鈴峰がパンっと手を叩いて二人の意識を自分に向けた。「富田君にはもう話した
んだけど、夏海の事を気に掛けてあげて欲しいの。わたしは避けられているから……」
切なそうな眼差しで窓を一度確認する鈴峰。そんな姿を見ていると、胸がえぐられるような
感覚に陥って胸を今にも押さえたくなった。鈴峰の内に秘める苦しさが瞳を通して、綾人の心
に浸透して来たのだ。けどきっと、彼女は綾人の想像以上に心がボロボロになっているんじゃ
ないかって、勝手に綾人は心配してしまう。
「だからさ、偽善者とかって思われても良いから、初対面で馴れ馴れしいんだけど、もしよか
ったら色々と気に掛けて欲しいんだ。きっとあの頃の夏海はまだ居るはずだから」
先程まで楽しく、ずっとヒマワリのような笑顔だった鈴峰だが、今は瞳に涙をうっすらと浮
かべて、今にも泣きそうでとても脆い顔をしていた。
辛くて悲しくて切ない鈴峰の顔を直視出来なかった綾人は視線を逸らしてしまう。
「ごめんな、鈴峰。俺は鈴峰の頼みごとは聞けないな」
え、綾人は驚きを浮かべて隣に視線を動かした。
勝喜は背筋を真っ直ぐ伸ばして真剣な顔だ。見た事もない至極真面目な顔には何か強い想い
があって、そんな勝喜の表情が少しだけ怖いって思ってしまう。
一方鈴峰は、萎れてしまった花のように肩と顔を沈めていた。断られるの前提の頼み事だっ
たから仕方のないことであるが、それでもショックは隠せない。鈴峰の所だけ雨が降っている
ように綾人には見えた。
「ううん。大丈夫」
「ちょっと、かつ――」
「俺は俺で千早と仲良くなるよ!」
「「え」」綾人と鈴峰の声が一つになる。
「もちろん千早と仲良くなる予定だよ。夢を持ってる奴って俺の中ではあいつが初めてだった
し、あと何か気になるからな。でもこれは俺の意志だから。鈴峰の意見じゃない」
「え、何が違うの?」
「全然ちげぇよ! 俺はあんまり頭良くないけどさ、もし鈴峰の言う通りに動いて、千早の事
を悪い方向に変えちまったら俺たちが悪いのに、絶対責任感じるでしょ? そーゆの俺、嫌な
んだ。自分でやったことは自分で責任を持つ。だから俺は俺のやり方で仲良くなってみせる」
ニシっといつものように笑って場の空気をリセットした勝喜。
勝喜の穢れなく、真っ直ぐな表情は正真正銘の眩しさがあって、綾人は自然と視線が逸れて
しまう。胸に残るこのモヤモヤは一体何なのだろうか。
「仙田君、ありがとう。本当にありがとう!」
「何泣いてんだよ! ほら、綾人。お前のせいだぞ!」
「……」
「綾人?」
「あ、ごめん」
ボソッとそう言って勝喜と綾人はバタバタと賑やかなファミレスでより一層落ち着きが無か
っただろう。
ハンカチを鈴峰に渡しながら綾人の心は黒く染まる。
バカだ。アホだ。情けなくて、哀れで、惨めで、カッコ悪い。
この場に居るのが本当に恥ずかしくなった。
綾人を境界線に、自分の意志で動く勝喜と、友を想い行動に移す鈴峰。そんな二人が眩しく
て輝いていて、自分が場違いで疎外感を覚える。
自分は何を思って行動していた?
千早のことを自分なりに考えて行動していたつもりだ。けれどそれは、鈴峰に頼まれてから
行動したモノであり、その時の綾人は今の勝喜のように自分を主張していなかった。
いつもそうだ。何事も勝喜が見本を見せて、それになろうと綾人が模倣する。
いつもいつもいつも、綾人は誰かの後ろに居た気がする。
だから少しだけ二人に距離を感じた。
「てかさ! 今日の集まり皆さん、忘れてません?」
「あ、そっか!」
勝喜の言葉に鈴峰が気付いたようだ。
三人はテーブルの上で広げられているが、しかし存在を忘れられているモノを眺める。
「今日は仙田君の勉強会!」
「だったね」
綾人も暗い声音をかき消して、答える。
「そうだよ! このままだと千早に負けちまうよ」
本題からとんでもない距離で離れてしまったが、今日の集まりは勝喜の勉強会であった。
テスト勝負が決まった夜、綾人の家で勝喜に勉強を教えたのだが、どうしても一人では教え
られる限界がある。そこで綾人は鈴峰に連絡を取り、今日の集まりが決まった。
「まずはどちらかが勝ってもらわないと。ということで、富田君から聞いて小テスト作って来
たよ。教科書もうちの学校と同じで進んでる範囲もあまり変わらないし、普通に出来ると思う
から、とりあえず解いてどこまで出来るか知ろう!」
鈴峰が手書きの小テストを綾人と勝喜に配る。手書きであり、一文字一文字とても綺麗だ。
「ちなみに、ふっふっふ。わたしは自分で作ったとはいえ、96点を取りましたよ」
どや顔十割の少しムカつく顔で話す鈴峰にマジかよ! と一瞬だけ店員の冷たい視線が感じ
るほどの大きな声で驚く勝喜。
「じゃあ始め」
時間は十五分。そして小テストが始まった。
「嘘、でしょ」
一枚の小テストを手にぶるぶる寒さで震えているように凝視して、同じく震えた言葉で、
「どんだけ、頭いいの。富田君」
「え?」
力の入っていない手によって綾人が問いた小テストは、ひらひらと枯れ葉が散るようにテー
ブルという落下地点に着地する。
鈴峰、勝喜が幻想郷を見つけたみたいな見た事もない顔で、
「すげえな、やっぱ。綾人」
丸付けをしたのは鈴峰だが、多分自分より頭が良いとは思っていなかったのか、100点と書
かれている文字のほとんどがかすれており、震えた手で書いたのだとぱっと見で分かる。
「「やっぱりだ!!」」勝喜と鈴峰が顔を合わせて叫ぶ。「「普通って言う奴が――一番頭良いんだ!!」」
その声は店内を全速力で駆けて、店全体から冷たい視線が返って来る。
店内の状況に気づいていない二人は、「「世知辛い。世知辛い世の中だよ、全く」」とおでん屋
で聞きそうなおじさん言葉を目頭押さえて鼻を啜りながら呟くモノだから綾人は冷めた哀れみ
の目で、今にも帰りたいと心底思った。
「仙田君。頑張ろう。普通勢の二人に勝とう」
「いや、俺は敵じゃないでしょ」
テーブル越しに握手をして頑張ろう協定を組んだ二人と綾人で、勉強の特訓が始まった。




