夜空の下で
最終日の話。
(7/23 23:10)
結と約束してからというもの、僕と彼女は毎日のように外へと出かけていた。……さすがに学校はサボらなかったけれど。
カラオケ、ボーリング、海、ツーリング、遊園地、動物園、映画館、他にも色々。とにかくできることは何でもやった。休日は勉強も宿題も全部放り投げて、二人きりで様々なところを巡った。
正直なところ、僕は楽しかった。海は季節で入れなかったし、カラオケは結だけが上手くて肩身が狭かったし、バンジージャンプに至っては残機がひとつ減った気がした。
でも、それでも僕は楽しかった。何一つとしてこれまでの人生に興味のなかった自分が、少しだけ笑えた気がした。これも結と知りあえたからかもしれないな、なんて思うと少しばかり気恥ずかしくもなる。そんな心情は僕のキャラじゃない。
……この七日間の中で一番印象に残ったのは、何をした時だろう。彼女は何か見つけられただろうか。
「ねぇ、見て悠斗。星が綺麗だよ!」
珍しくはしゃぐ結の横で僕は、そんなことをぼんやりと考える。
僕は今、満天の星空の下にいる。静かな夜の闇を煌々と照らす光の粒が目前には広がっていた。
結はそんな星たちに目を輝かせながら、少し悪戯そうな顔をして、
「やっぱり屋上に忍び込んどいてよかったね。ここは周りにビルもないし、星を見るのにはうってつけだったよ」
驚くなかれ、現時刻は夜の十一時を回っている。そして僕らは、そんな夜中に学校に忍び込んで、星空を観察しているのだ。完全に不良である。
「僕はいつ守衛さんに見つかるかって考えてヒヤヒヤしてるよ。見つかったらただじゃ済まないだろうなぁ」
「そのときはそのときよ。気にしないの。……でも、本当に綺麗だね。なんか、あれ見てるみたい」
「プラネタリウム?」
「そう、それ! 私さ、昔っから何でも才能があったから、友達出来にくかったんだよね」
「何気に腹立つ言い方だね。可哀そうではあるけど」
「気にしないで。で、プラネタリウムとかあんまり行ったことないんだ。あぁいうのって、独りじゃ入りづらいじゃない?」
「まぁ、分からなくもないな。遊園地に独りで行くのと同じぐらいきついかも」
「でしょ? ……だからさ、私、今この空が見れてすごく嬉しいんだ」
「…………」
ずっと昔から、彼女は孤独に耐えてきたのだろう。周りからは才能だけで評価され、皆本当の自分とは違う『自分』を尊敬し、一歩退いて接する。……辛いことだと思う。僕が理解できることではないけれど、それはとても苦しいはずだ。
……だから、僕の選んだ行動は間違ってないと思う。微量でも力になろうと思ったことは、僕の心からの言葉だと思う。
そう思っていると、夜空を眺めていた結が、静かに呟いたのが聞こえた。それはすぐに夜の闇に消えてしまうものだったけれど。
「……私の友達でいてくれて、ありがとね」
「…………」
僕は、何も言えなかった。何か言おうとしたけれど、言葉は何も出てこなかった。それをどうにか誤魔化そうとして笑おうとしても、僕の顔はうまく動いてくれない。作り笑いすらできないなんて、僕はどうしてしまったのだろう?
結は何も言わない僕の顔を覗き込んで、何故か少し楽しそうに笑って言う。
「……泣いてるの、悠斗?」
「……え?」
指摘されて初めて気づいた。本当に気付けば僕は、涙を零していた。小さな水の粒が、頬を伝って流れていくのを感じる。
おかしいな、悲しいことなんて何もないはずなのに。何で僕は泣いているのだろう?
「…………」
彼女はそれを茶化すことなく、ただ静かに僕が泣き止むのを待っていた。
沈黙が二人の間に流れる。けれど、それは寂しいものではなくて、静寂に包まれるような暖かいものだった。
短い沈黙の後、僕は、星を眺める彼女に声を掛ける。
「……結だって、泣いてるじゃないか……」
声を上げていなくても、顔が見えていなくても、小さく震える肩を見逃すことはなかった。彼女もまた、泣いていた。
「……うっさい」
彼女がそうぶっきらぼうに言って、二人の会話は再び途切れる。
静寂の中、どこかで蝉の声がする。もう、夏だ。今年の僕は、結と海水浴にでも行くのだろうか。夏祭りに二人で花火を見に行けるだろうか。恋人でも何でもないのにそんな考えが頭を過っては消えていく。彼女も僕と同じことを考えているだろうか。そうであるなら、少しは嬉しいかもしれない。
自分の気持ちが何なのかを理解しないままに、僕は静かに口を開く。言葉なんて探さなくても、自然と声は出ていた。
「僕は、君が好きだ」
結の顔は見れなかった。まだ泣いているかもしれないし、僕に言葉に驚いているかもしれない。どっちであってもいい。どっちであっても、僕は彼女のことを愛してしまっているみたいだった。
おかしな話だ。何一つも欲しくなかった僕が、何も好きじゃない君のことを好きになるなんて。「自分にはないものを異性に求める」なんていうけれど、僕にはそれが当てはまらなかったみたいだ。細かい理由なんて何でもいい。ただ、結といる時間が楽しかった。彼女の笑顔が好きになった。それだけ。
結は結局、僕の顔を見ずに、まだ少し震える声でこう呟いただけだった。
「……そっか」
一年前の僕たちと変わらないやり取り。短い言葉と静寂の繰り返し。でも、それも悪くないと思った。悔しくも、悲しくもあったけれど、何故か僕の顔は笑っていた。
……本当に、今日の僕はおかしいみたいだ。泣きたい時に笑って、笑いたい時に泣いている。
「結は、何か見つけられた?」
それが僕の言える最後の言葉だった。これ以上何か言えば、僕はまた泣いてしまうだろうから。
「……うん」
夜の闇の中、その時だけは少し、彼女が笑っているような気がした。
僕の好きな、あの笑顔を浮かべていた。
「今、生きることが楽しいんだ」
――これが、僕の覚えている限りの『僕ら』の話。
そして、彼女はこの日、自殺した。
僕の世界から、彼女は消えた。