彼女が消えた日
九日後の話。
(――――)
花宮結という少女は、僕が高校で初めて出会った時から『完璧』だった。本当に、表面的な欠点が見つからないぐらい。……まぁ、性格はアレだが。
そんな彼女が人生に飽きていたのは、最初から予想がついたことではあった。誰よりも優秀、何をしても大成。どんなに誰かと肩を並べようと努力しても、結局のところ才能がそれを上書きしてしまう。
「私は『普通』を楽しめない」
そう結が零したのはいつ頃だっただろうか。僕が小学生で馬鹿面している間も、彼女はずっとそれに悩まされていたのだろう。だからこそ今、結は天性の才能があるにも関わらずこんな平均校に進学し、帰宅部に所属して毎日を怠惰にグダグダと過ごしているのだ。――それこそ、いつか世界に飽きて、自ら命を絶ってしまいそうなほどに。
結局、つまるところ、彼女は自分の人生を達観しすぎているのだと思う。「何をやってもおもしろくない」という前提で、自分の人生を他人の視点で見てしまっているのだろう。無理もない話だけれど、それだと生きていても楽しいはずがない。かといって、自分で考えうる「楽しそうなこと」なんて数が限られているのも事実だ。
だからこそ、僕は手伝おうと思った。彼女と楽しさを共有することで少しは助けになれると思ったから。誰かと幸せを分かち合う大切さを知ってほしかったから
自分のことは棚に上げて人の心配をしている僕だけど、これはたぶん、間違った選択ではないと思う。彼女といることで僕も何か見つけられそうな気がするから。
――話は逸れるけれど、ここで一つ、ある少女について語ろうと思う。僕たちの物語を理解してもらうためには、彼女のことを知ってもらった方がいいだろうから。
秋園泉。
結と真逆の人間のことを。才能を求めてずっと足掻いていた少女のことを。
(7/23 08:15)
僕は正直なところ彼女が苦手だった。
秋園泉。女子テニス部に所属している元同級生。中学校からの知り合いで、結と同じく、何かあると所構わず僕を呼び出すことが多い。……僕の周りには人使いの荒い人が多い気がするが、気のせいか?
彼女の何が苦手かというと、
「あぁ、ムカつく。何で結果がでないんだよ。あいつは努力してねぇのに」
こういうところだ。
彼女には昔から突出した才能がなかった。どんなに努力してもせいぜい二番。どうしても一位になることができないというジレンマを抱えている。……平凡な僕からしたら、二番でも三番でもすごいと思うのだが、彼女には理解されないだろう。秋園は頂点を取るという妄執に取りつかれているから。僕が何を言っても彼女は変わらない。……けどまぁ、それでもこうやって話を聞いてしまうのだが。
テニスコートに備え付けられたベンチに座って、彼女は憎々しげに呟く。日光がやけに眩しかった。
「いつまで経っても結果は出ねぇし、どうやっても誰にも認められない……くそっ、あいつのこと考えるとムカついてしょうがない」
秋園の考えていることは簡単に言えば逆恨みに近いだろう。一時期だけテニス部に所属していた結の残した成績を追いかけると同時に、今を怠惰に過ごして才能を無駄にしていることへ怒りを持っている。
ほんと、面倒な人だ。才能を使わないのは実際もったいない話ではあるけれど、使う使わないは人次第だ。それを放っとけばいいのに勝手に恨んで、自分の実力が低いことに苛立ちを覚えている彼女は、正直無駄なことを考えているとしか言いようがない。心を無にした方が集中力も上がりそうなものだし。
「なぁ、葛原。私には何が足りない? あいつと何が違う?」
「才能じゃない?」
はっきりと切り捨ててやった。というかそれしか答えようがない。僕は秋園のマネージャーではないのだ。
「張り倒されるかな?」と思ったけれど、意外にも、秋園は静かに笑っていた。
「……だよなぁ。分かってんだ、そんなこと。……私に才能はないんだ」
今日はやけに殊勝だった。気味が悪いくらい。
「……で、それが分かった秋園は、ここで諦めるのか?」
僕は彼女が苦手だ。でも、努力する人は嫌いじゃない。そうじゃなきゃ、話にも付き合わないし、こんな言葉はかけないと思う。
彼女はクツクツと笑って、ベンチから立ち上がる。今日はいつにもまして気持ち悪いな。彼女には悪いが、人殺しでもするんじゃないかと思ってしまった。
「んなわけねぇだろ。私は実績を出す。才能が無くても頂点が取れるってことを証明する」
……あれ、この人昔から男勝りだったけれど、こんなに格好よかったっけ? そんな馬鹿なことを考えている僕に背を向けて、彼女はポツリと呟く。
だから、僕は彼女の表情が見えなかった。その声に混じっている暗い色に気付くことができなかった。
「……だからよ、許せねぇんだ。努力しても届かないものを掴めるのに、何もしないやつのことが」
暗い、煮え滾った声。それはまるで、抑えていた怒りが爆発する直前のようで――
この日、厭な予感みたいなものはあった。僕たちの『何か』を変えてしまうような出来事が起きていしまいそうな気がしていた。
そして――
その日、結が死んだ。