告白
彼女の言葉。
(7/23 24:05)
――人気のない屋上とは、こんなにも気味悪いものだっただろうか。
零時を回った今、私は学校の屋上でそんなことを考えていた。向かい合う形で私の目前に立っているのは、私が最も憎む相手であり、今から私が殺す女、花宮結。
彼女は、どこかやつれた様子を見せながらも、今から自分の身に何が起こるかも知らないで、呑気に私の言葉を待っている。……馬鹿みたいだ。「こいつは、殺されるのを分かっていてここまで来た」なんて疑っていた私も、何も気づかない花宮も。
よく考えれば、こんな世界、馬鹿ばっかりだった。努力もしないで結果を出そうとする奴も、ノルマだけをこなして怠慢に働く教師も、まともに死ぬ気もないのに「死にたい」と嘆く奴も、「全てが退屈だ」とかぬかすあの馬鹿も。ロクな奴なんかいない。『普通』なんてどこにもない。だからこそ私たちはまともな人間になりたくて足掻いているのかもしれなかった。誰もが底辺で、一握りの真人間だけが人生を謳歌する。……皆、同じ。生きづらい世界に喘いでいるのは同じだった。
――だから私は、伝えなくてもいい言葉を口に出してしまったのかもしれない。自分とは真逆だけれど、どこか似ている彼女がそれを聞いて、どんな顔をするのか確かめてみたかったから。どこか、自分の心の中に『迷い』があったから。
「……私は、あんたを殺すよ」
(7/23 24:10)
それは、どう考えたって決定的な宣言で、どうしようもなく
――薄っぺらい言葉だった。
酷く、その響きは空虚だった。自分でも意外なほど、何の感慨も沸かない無価値な言葉だった。
憎んで、殺して、私はどうしたかったのだろう。それで何かが変わると一瞬でも思ったのだろうか。結局、自分の実力が足りなかっただけ。その上を行く彼女の才能に嫉妬していただけ。
酷く醜くて、下らない、クソみたいな考え。
私は――
「……殺してよ」
「――え?」
ありえない言葉があった。理解できない返答があった。
花宮は、何かを押し殺すような声で言葉を紡ぐ。その表情は、何もかも諦めたかのような、翳りのある顔だった。
――それは、死を受け入れた人間の顔だった。
「……私、もうすぐ死ぬんだ」
「体が動かなくなって、眠るように死ぬ病気らしくてさ」
「もう右腕もうまく動かなくなってるよ。ほら、ここまでしか曲がんない」
「はは、酷いよね。私が何したっていうんだろ。ただ普通に生きてきただけなのにね」
「……私、どうせ死ぬなら、元気なまま死にたいんだ」
「病気で弱くなって死にたくないの」
「何もできなくなるのは、たぶんつらいよ。心が痛いよ」
「……でも」
「死ぬのは怖いけど、笑えなくなるのはもっと怖い」
「症状が進めば、顔の筋肉も動かせなくなって、私は一生笑えない」
「それだけは嫌」
「あの人がくれた笑顔を失いたくないの」
「私はまだ伝えてないから。伝えないまま終わらせたいから」
「私はきっと……弱い私はきっと、あの人に気持ちを伝えてしまう」
「好きなことが辛いの。あの人と恋人になって、一緒に出掛けて、笑って、愛して、キスをして」
「……でも、私には出来ないから。もうすぐ死ぬ私に、皆と同じように人を愛することはできないから」
「……だから、私を殺して」
「あの人を巻き込みたくないの。心配させたくないの。泣かせたくないの」
「私が死ぬ瞬間を見たら、あの人は――」
「あの人は、きっと死んでしまうから」
優しくて、不器用で、真面目で……脆い。そんな人間を私は知っている。その危うさにも薄々気づいてはいた。彼が何か大切なものを見つけたのなら、それを失う重さも大きいはずだ。思いつめないはずがない。
それでも、口をついて出た言葉は、私の素直な気持ちだった。
「……どうかしてるよ、あんた」
私も他人と比べて異常だけど、こいつも大概らしい。何か理由があるのかもしれないが、愛への価値が重すぎる。それしか生きる希望がないのなら、仕方のないことかもしれないけれど。
花宮は、私の言葉に顔を顰めもせずに、ただ薄く笑って、
「知ってる。……でも、そんな私を彼は受け入れてくれた。それだけで十分だよ」
こっちまで赤面するような惚気を吐いて、彼女は大切なものを確かめるように目を閉じる。私は、何か言おうと言葉を探したけれど、結局、悪態の一つも見つからなかった。
――羨ましい。
そう思ったのだろうか。明確に、胸を張って大切なものを誇れることに羨望を感じた。大切な人を想える優しさに、美しいと少しでも思ってしまった。歪んでいて、ズレていて――
だけど、それは、紛れもなく『愛』だった。
「 」
私は、それだけを言い残して、花宮から背を向け屋上から去っていく。怒りも憎しみもとうに無くなっていた。
――心が痛むのは、ただの錯覚だと思いながら。