主人公には説明が必要だろう! だが説明はしない!
何時からだろうか、子供の心を失ったのは。
何時からだろうか、正義の味方に憧れる心を失ったのは。
何時からだろうか、正義ではなく力を求めるようになったのは。
正義と書いてマサヨシと読む彼は、漫画の登場人物ではあるまいし、警察に就職したりはしなかった。
正義と名付けた親が警察になれと押し付けたわけではないし、彼自身も警察という組織に就職したいと思わなかった。
『正義』と書いて警察を連想するのも、一種子供じみている。もちろん、警察が悪だとまでは言わないし、警察官が正義の心を持っているのならば、それが一番だとは思うのだが。
もちろん、正義と名付けられたこととは関係なく、マサヨシは他の子どもと同じように正義の味方に憧れていた。
子供向けの特撮番組や、子供向けのヒーローアニメを見て育ち、それのキャラクターグッズやおもちゃを親にねだり、すべてではないが多くを買ってもらっていた。
とにかく、別に気取った子供でもないし、ひねくれた子供でもなかった。
誰もがそうであるように、当然のようにヒーローを卒業して対象年齢の高いアニメを視るようになったり、そもそもテレビ自体を視なくなったりしながら成長したマサヨシは、普通に学校を卒業して普通に就職していた。
別に、だから何ということはない。少なくともマサヨシは世間から逸脱することはなかった。
彼は特に面白いことが起きたわけでもなく、特に苦労をしなかった訳でもない。
友人もそこそこいたし、『いい』と思った女性もいた。
とにかく、彼は誰に恥じることのない人生を送っていた。
その一方で、好きな小説を読んでいる時に、或いは気に入ったアニメを見ている時に、ふと思うことがある。
自分は何時から正義に憧れることがなくなったのだろうかと。
正義の味方の孤独や苦悩、或いは葛藤や挫折を格好いいと思うのではなく、一重に必殺技や性能や決め台詞などだけを憧れていたのか。
ヒーローのカタログスペックや上っ面だけを真似たいと思い、正義という思想そのものには興味がなくなっていったのか。
あるいは、最初から興味がなかったのかもしれない。
子供の頃からヒーローが格好良く敵と戦い、勝つところだけに憧れていたのかもしれない。
敵の事情とかヒーローの事情なんてものには、全く興味がなかったのかもしれない。
それはそれで、子供の頃はよかった。ヒーローが戦うところを見て、無邪気に喜ぶ分にはそれでよかった。
マサヨシが自分に対して嫌気を感じたのは、自分の読んでいる小説のラインナップを見た時だった。
それらの小説には、如何に主人公が最強で無敵で、敵が劣り無価値で無様なのか、それがあらすじの段階ではっきりとしていた。
つまりは、作者が主人公を絶対の存在として描き、彼が如何に『正義』であり『魅力的』な存在なのかを書き連ねていた。
それ自体は問題なかった。
問題があったのは、自分がそんな『作品』を馬鹿にしているという事実に気付いた時だった。
何時から自分は、他人を貶めることで楽しんでいたのだろうか。
自分から見て劣るものを探し、稚拙なものを探し、他人と一緒になってそれを貶めること。それ自体が楽しいと思うようになっていたのは。
別に、悪質な書き込みをしたわけではない。
別に、違法行為に手を染めたわけではない。
ただ、自分のやっていることを、誰かを貶めることで楽しんでいた自分が嫌になっただけだった。
そう、嫌になっただけだった。
はっきり言えばそれだけで、マサヨシはあっさりと今までの行為を自分で勝手に止めていた。ただそれだけの事で、彼の心の中以外で何かが起きたことはなかった。
しかし、それを考えていたのが良くなかったのだろう。
たわいもない交通事故によって命を落とす刹那。彼が心の中で思い描いていたのは、家族や仕事の事ではなく、自分の心の中で美化された思い出の中のヒーローたちと、それに対する申し訳ない気持ちというどうでもいい事だった。
※
「おい、マサ! さっさと皿を洗っちまえ!」
「はい!」
なんだかよくわからない内に、異世界に来てしまった。
いや、本当によくわからない内に、マサヨシは異世界に訪れていた。
昔は神様が現れて事情を説明して、異世界へ送り込むとかどんな力を手に入れるとか、そういう物語を馬鹿にしていたが、実際に一切説明なく訳の分からない場所へ送り込まれると、心底不親切だと思っていた。
幸い、近くにモンスターがいるとか、或いは人里離れた山の中とか、そういうことは一切ない街のすぐ近くで気絶していたマサヨシは、行くところもないのですぐ近くに見えた街に赴くしかなかった。
その上で、マサヨシはそこがいわゆる異世界で、日本でも地球でも過去でも未来でもないことを理解して、そこで暮すことにしたのだった。
「おっし、さっさともってこい!」
「はい!」
当たり前だったが、異世界にはコンピューターも電気もなかった。
言葉が通じる一方で、一切字が読めるということはなかった。
剣と魔法の世界であり、町の近くにダンジョンがあったり、冒険者がいたり騎士がいたりしていた。
つまりは、良くも悪くもありがちな世界だった。
「おい、次のだ! 速く洗え!」
「はい!」
その世界も、結局貨幣経済だった。
偶々偶然大量のお金をもっていたというわけではないマサヨシは、結局何かの仕事に従事しなければならなかった。字を書けない読めない、魔法も剣も使えない。そんな何一つとしてとりえのない彼が就ける仕事と言えば、そう多くなかった。
つまりは、酒場の皿洗いである。
全自動食器洗い乾燥機の偉大さを思い知りながら、熱湯さえ使えない水場でマサヨシは皿を洗っていた。
「よし、綺麗に洗えているじゃねえか」
「はい!」
とはいえ、それなりに幸運だとは思っていた。
なにせ酒場である。当然のように賄いは出るし、住み込みなので住居も確保できていた。
服も水場用の制服が一応あり、衣食住が保証された奉公生活だった。
十年後二十年後を想像するとうんざりするが、とりあえず明日の暮らしに悩むという日々に陥ることはなくなったのである。
「おら、まだあるぞ! 急げ!」
「はい!」
当たり前だが、この世界では二十四時間営業など存在せず、最悪でも体感で『日付が変わる頃』には酒場も後片付けが終わり店じまいは済んでいる。
翌朝も早朝から営業ということもなく、よって労働時間もそれなりに余裕があるものだった。
娯楽の一切が原始的なこの街では、休日があんまりないこともむしろ暇が紛れ、さほど不満を抱くこともなく過ごすことができていた。
「オラオラ、酒持ってこいや!」
「肉さっさとしろやあ!」
幸か不幸か、給仕の仕事ではないマサヨシは接客業や飲食業の闇に触れることはなく、割と平穏に日々を過ごすことができていた。
「おし……客も全員帰ったな」
「掃除はじめろ、さっさとな! ランプの油だってタダじゃねえんだぞ!」
冒険者ギルドと一体化した酒場で、今日も業務が終わっていた。
剣と魔法の世界相応に、武装した戦士や、怪しげな魔法使い。如何にも狡そうな盗賊や、見ているだけで癒されそうな聖職者たち。彼らがクエストをこなして、自分が何枚皿を洗っても手に入らないような給料を得ているところを眺めるのは一種苦痛だったが、まあいいだろうと諦められる程度には彼も大人だった。
「今日の客は皆羽振りが良かったな」
「ああ、なんでも王都の方で流行りの髪飾りが、この街のダンジョンのモンスターから獲れるんだとよ。おかげで仕事が殺到しているらしいぜ」
お金は欲しいが命も惜しい。
冒険者たちはそれなりに実力があって経験もあって、仲間も装備もしっかりしているからこそ高額の報酬を得られるのだ。
自分と大して年齢の変わらない、あるいは年上の男が、安い仕事で日銭を稼いで凌いでいるところを見かけたりもする。
つまりは同じ冒険者でもピンキリというだけのこと。地球で過ごしていた時期に、特に秀でた運動能力も格闘技術もなく、それに憧れたこともないマサヨシがそれに手を出すわけもない。
この世界で生きていくことが大変だとなんとなく思い、現状切羽詰まっているわけでもないことが手伝って、彼は飲み屋のバイトとしての生活を送ることにしていた。
「はあ……やっぱり結婚するなら、Aクラス以上の冒険者よねえ……」
自分同様に酒場の床を掃除している、給仕の女子たちがAクラス用の依頼書が貼られた掲示板を見ていた。
正しくは、依頼書に書いてある報酬の金額を見ていた。庶民では手が届かない金額の数倍が、ぽんと支払われるトップの冒険者へ憧れていたのだ。
それは別にいい事だった。そんなものは、どこの世界でも同じだった。そもそもマサヨシ自身、元の世界では特に高給取りだったわけでもないのだから。
「酒場で皿洗いしていしるおっさんなんて、ゴメンよねえ?」
「まったくだわ!」
とまあ、そんなことを言われても少々傷つくだけだった。
心無い言葉は、どこにいてもどんな立場でも言われるもんである。
「おら、てめえら手を止めてないでさっさと働け!」
「マサにだけ仕事させてるんじゃねえぞ!」
少なくとも、職場の女子に冷たい眼で見られることは大して問題ではない。
重要なのは、職場の上司に仕事をしていないと思われないことだ。
口よりも手を動かす。それだけのことであり、この世界でも変わらないことだった。
「よし、もうマサは上がっていいぞ!」
「お前らは残れ! お前らの掃除している所だけ、まだ汚いだろうが!」
幸いこの酒場の料理人や店長たちは、若い女子に対して贔屓をする者ではなかったらしい。掃除を地味に終わらせたマサヨシは、そのまま片づけをすると自分にあてがわれた小部屋へ向かう。
ランプの油を買う金が惜しく、そもそも疲れて眠いマサヨシは、そのままベッドで横になっていた。
「これさえなければ、もうちょっと気が楽だったのになあ……」
マサヨシは、自分の部屋にしまってあるいくつかの『アイテム』に手を伸ばした。
それは、子供の玩具というには少々造りが本格的で、どちらかと言えば特撮番組の役者が身に着ける小道具に見えた。
しかし、それこそ何を隠そう、元の世界でも存在しなかった『本物の変身アイテム』だったのだ。
「神様が現れて、説明してくれたらなあ……」
一度、この街に入る前に全てのアイテムを試したところ、本当に変身できることがわかってしまった。
いい年をして変身の掛け声をするのもどうかと思ったが、実際に変身すると実に恥ずかしかった。
昔憧れたヒーローの姿に変わり、その力を剣と魔法の世界で発揮できる。それは一種の憧れだった。
少なくとも、酒場で皿洗いをしているよりは活躍できるだろうし、その分いい想いもできるだろう。
「まあ、そんなことをするわけもないか」
色々と理屈をつけて、結局マサヨシはそれを使わなかった。
仮にこの世界でヒーローの力を使うとしても、結局危ないことをしていることに変わりはない。
基本的に彼が持つ六つの変身アイテムと、それによって変身できる六人のスーパーヒーローは、科学を基本として魔法の存在しない設定の物語だった。相手がどんなことをしてくるのかわからないし、どの程度有効なのかもわからない。そんな危ないことに、人生を奉げる気はなかった。
そもそも、暴力は嫌いである。今までの人生で、荒事を経験したことがないというは日本人として生きてきた彼のささやかな誇りだった。
それが、異世界に来てヒーローの力を得て、それでいきなり趣旨替えをするというのは、彼の散々馬鹿にしてきた物語の展開そのものである。
「ホイッスル、シイクレット、マルス、ライコウ、ティンダロス、ライフワン……」
そうした理屈付けもさることながら、思い出を汚したくないという想いがないではなかった。
子供の頃に夢中になった、美化されたヒーローたち。本格的なオタクではあるまいに、彼らの活躍を大人になってから再度見て楽しむこともなかった身ではあるが、彼らの格好をして『自分の為のお金稼ぎ』や『自分の為の立身出世』など冗談ではなかった。
等身大ヒーローだからこういう対応をしているのだとは思う。仮にロボットアニメの主役機を六体授かって、それでなければ倒せない敵が現れたなら、それなりに葛藤しても戦うことを選んだだろう。
だがこの六つのヒーロースーツの戦力は、この世界の基準を良く知らないものの、そこまで異常で頭抜けているというわけではないと察しがつく。
少なくとも、六つの特撮ヒーローを演じなかったからと言って、この世界が滅びることはない。元々作中設定でも、悪徳企業の犯罪を暴くとか、テロリストの無人兵器を破壊するとか、その程度だったのだ。仮に街一つ吹き飛ばす大魔法使いとかが敵だったなら、その時点で勝ち目はない。
要は何かトラブルが発生したとしても、酒場の人と一緒に逃げだせばいいと思っていた。
冒険者やら軍隊やらが奮戦してくれることを期待して、無力な一般市民として守られようと思っていた。
「まあ……俺はセイギじゃなくてマサヨシだからな……」
正義に対して憧れていたからこそ、自分のような偽物が正義を演じてもいいことはない。
仮にスペックだけは本物だとしても、それは本物のヒーローには遠く及ばない。物語で良く現れて良く倒される、劣化コピーのニセモノでしかない。
別に倒すべき巨悪がいるわけでもなく、いたとしても倒す義務はない。正義の力を宿す権利はなく、私欲に利用する度胸もない。
「明日も一生懸命働いて、寝る。それが一番だ」
結局、怖かったのだろう。
正義を騙って誰かの笑いものになることも、悪を気取って軽蔑されることも。
マサヨシにとっては、正義とは実在しない物であり、自分で実演するようなことではなかった。
ある意味では、TVの向こうで活躍しているスポーツ選手同様に、あったとしても興味のないものでしかなかった。
遠い世界で誰かがやっているもの、自分がやることではない。そして、それでいいと思っていた。
なぜなら、何もしないことは悪ではないのだから。
突如異世界に転生してしまったマサヨシ! その手の中には六人分のヒーローの力があった!
平穏な暮らしを望んでいた彼だが、このまま安寧を過ごすことなど、視聴者も監督も玩具会社の方も許しはしない!
物凄くどうでもいいことで怒った彼は、癇癪を起したかのように無関係の相手を暴行する!
次回! 第一のヒーロー見参! その名は『特務警察ホイッスル』!
異世界よ、これが正義だ!