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9.考察

 ギターの弦を弾くような細い音がした。おだやかな空間に一石が投じられる。瞬く間に空気の色が変わり、全員が本来の情報屋としての顔をした。朝日の差しこむ部屋にするりと毒蛇が侵入し獲物を探す様にう、そんな緊張感が横たわる。陽の光が夜に覆われたように陰った。ありふれた朝食風景はたちまちのうちに消え失せ奇妙な空間に塗り替わる。不可解な謎を残す名画の雰囲気に近いかもしれない。しかし三人にとってはこの風景こそが日常であった。


「端的に言えば、聖火を学ぶ会とかいう集団の淫蕩乱痴気パーティーに片足突っ込んだらナイトが火傷した」

「わー。的確ぅー」

「笑い事では無い」


スノーがポケットに入れたままの冊子を取り出すと、初めのページを開いてウィザードの前に置いた。ウィザードはリンゴを切り分ける手を止めずにさっと目を通した。


「ほう、火炎崇拝とはまた古典的な……。火に触れる事のできる男か。なかなかに興味深い。どうだった?」

「そのタネを暴く仕事だったが、見る前にこの様だ。高い会費払って拝めたのが教祖様直々のSMプレイくらいなもんで、仕事の結果には何も繋がっていない」

「SMプレイ?」

「全員で生贄を罵倒して、教祖様が蝋燭プレイを楽しむのさ。集団心理がこれほど怖いと思ったのは初めてだ。心の底から正しいと思いこんでいたり、生贄になりたくないが為に賛同したり、集団からの逸脱を恐れたりと、理由は様々だが同じ行動をする事に安心し、罪悪感も希薄になる。あぁなると歯止めが効かない。その集団の頂点に立つ人物とその対極に位置する生贄が各々の役割を理解し、嬉々として行っているなら尚更だ」


 パンケーキを一枚平らげたナイトが口を挟む。


「図式で見ると簡単だよね。一番上には奇跡がなくっちゃなれないし、一番下は死んでも嫌。一番下にならない為に一番上の言う事を聞いていればいいんだもん」

「成程。『学ぶ会』とは実に的を射ている。ナイトの言う図式を教え、実践させているようだな。自らの考えに基づいて行動していると感じているならば、異常性に疑念を抱いたりはしないだろう」


 きっちり八等分されたリンゴにV字の切れ目を入れ、ヘタに向かって皮を剥く。ピンと耳の尖ったリンゴのうさぎが白い皿に転がる。ナイトは剥かれた皮をつまみ上げ、ショリショリと食む。


「洗脳とマインドコントロールの違いがよく分かっている組織だね。優秀、優秀」


 その言葉に二人が顎を引くように頷く。スノーの中でいつかの昔の記憶が軽やかに呼びおこされた。


「洗脳は強制的に行動させ続けることで対象の自我を奪い支配できるけれど、実はこれって簡単に解けちゃうんだよね。人間の適応能力を無理に働かせているのが原因なんだけど、狂った空間で狂った事をさせ続けてもその空間から別の空間に移してしまうと、次の空間に適応しようとしちゃうのさ。対象が特にその狂った状態に拒絶反応を示していたら尚更ね。でもマインドコントロールは違う。長い時間をかけてゆっくりと対象の思考を書き換えていくんだ。対象は自分で考えて行動しているから疑いなんて一切しない。仮に第三者から操られていると指摘されても気付けないのさ。だからマインドコントロールを解くのは難しいんだよ」


 そう言って笑うナイト。暗にこれはスノーの事だと言っているように思えて、ひどく寒気をした記憶があった。どれほど昔の記憶であったか定かではないが、今は恐怖を感じていない。自身が強くなった証か、冷酷になった証か、それとも――……。

 思考を遮る様にウィザードが声をあげて笑う。


「金魚ごときでその騒ぎか。水を連想させる物が忌避されるなら肉体はさぞかし辛かろう。水は生命維持に不可欠。信者を早死にさせる宗教は儲けにならんだろうに」


 スノーが物思いに耽っている間に話しは進んでいたようだ。ナイトがページを捲り、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。テレビショッピングで耳にしそうな口調で指を差す。


「そんな心配までしちゃうウィザードにオススメなのがこちらの『浄火水じょうかすい』。教祖様が直々にお清めしたこのミネラルウォーターなら飲んでも大丈夫。さらに万病を退けちゃうスペシャルなお水です。お値段なーんと6リットル二万円」

「なんと素晴らしい。一日に必要な水分量は成人男性一人につきおよそ2リットル。単純計算で三日で二万円。一月あたり二十万円か。なかなかいい商売ではないか」


 トーストを食べ終え、スノーはティーカップに手を伸ばす。何とは無しに広げられたページに目を落とすと、炎を思わせる美しい魚が口絵として文章と写真の隙間を泳いでいるのを見つけた。それはまさしく彼女の浴衣と同じ模様であり、無知な贄に罪を着せた冷たい炎である。ナイトは全て知っていたのだ。一体何処から何処までを計算しての服装だったのか問い質したい気持ちに駆られるが、明確な返事が返ってくるとは思えず断念した。冷たい紅茶と共に言葉を飲み込む。

 ナイトが二枚目のパンケーキを食べ終え、口元を紙ナプキンで拭く。


「信者を集めれば多大な恩恵を受けられる。そりゃあ教祖様も奇跡のパフォーマンスとか気合いいれてやっちゃうよね」

「奇跡で釣るターゲットは女だけだ。全員を騙すより気楽なものだろう。釣れた女を餌にすればその手の趣味を持った男がこぞって釣れる。男だけ会費が高いわけだ。男からは会費でしか金を取れないからな」

「ふむ。その奇跡のパフォーマンスとやら、仕掛けはともかく大よその理屈は見えてきた」


 リンゴを剥き終え、ナイフを置くとハンカチで手を拭った。静かに眼鏡を押し上げ考察を述べる。


「どんなに下手な手品でも対象が奇跡だと思えば奇跡になる。例を挙げた方が分かりやすいか。まず対象を熱中症にでもさせて判断力を鈍らせる。次に意識が朦朧としている間に手品を見せる。最後に発言力の強い幹部や欲望に忠実なサクラに成功を讃えてもらう。それだけだ」

「可能性としては充分にあるね。リンゴのうさぎを作ってる間にそこまで予測できるなんて恐れ入ったよ」

「身に余るお言葉、感謝する。さあ、どうぞお召し上がりを」


 リンゴの入った皿を礼を述べ受け取ったナイトは机上を見渡した。


「スノー、そこのはちみつ取ってよ」


 サラダ皿とフォークを置き、ハニーディスペンサーを無言で手渡す。とそこで机の端に放置したままのペットボトルが目に留まった。中身はすでに飲みほしてあったが手を伸ばし掴む。ウィザードに見せるように振り、問いかけた。


「ところでこの飲み物はなんだったんだ」

「それは経口補水液だ。いうなれば飲む点滴。脱水症状に陥った患者に摂取させるものだが、適量を飲むことによって予防にも効果が期待できる。さらにそれは健康状態を知る目安があってな、正常時に飲むと酸味が強く感じられ、脱水状態で飲むと甘味を感じるのだ」

「……まったく、くだらない小細工まで徹底してやがる」


 ベコリとペットボトルが凹み、歪んだまま机上に置かれる。腹立たしげに舌打ちをしたスノーを恐れる事無く、ナイトが使い終わったハニーディスペンサーを手渡す。スノーはそれをペットボトルの横に置き、代わりにフォークを手に取る。サラダを彩るミニトマトが乱暴に貫かれた。


「教祖様のありがたいお言葉を賜る前に、男だけがこれを飲んでる。心身を浄化する為にな」

「あぁ、あれね。スノーだけ元気でいられたのもそのおかげかな。私が飲む予定だった方は色々と察するに、飲まなくて正解だったのかもしれないね。サンプルはどうしたの?」

「ウィルに解析を頼んである」


 ウィザードがサンドウィッチに伸ばしかけていた手を止め、サービスワゴンの方へ進路変更する。左上がホチキスで綴じられた薄い紙の束を小冊子の上に重ねた。すぐにナイトが手を伸ばし、好奇心に心躍らせながらぱらぱらと捲る。


「主成分はアルコールと牛乳。薬物反応は無し。色々とテストをしたかったが、いかんせん量が少なすぎる。そこで安全性をできうる限り確認した上で舐めてみた。濃厚な甘さとココナッツの風味が特徴的である。カクテルの一つ、マリブミルクが妥当な結論だろう」

「ウィルにしては大雑把な調べ方だ」

「可能なら10mlは採取してほしい。これでも最善は尽くした」


 一通り目を通したナイトが報告書を元の場所に置く。すでに興味を無くした表情でリンゴに絡んだはちみつを舐めた。


「ありがとウィザード。それにしてもただのカクテルかー。酔わせてしまえば色々と楽なのは分かるけど、案外普通だねー」

「面白みは無くとも実に理にかなった飲み物だ。アルコールは分解に水分を必要とし、牛乳は体温を上げ、発汗を促す作用がある。熱中症にさせるにはもってこいの飲み物だと思わないか」

「そーだけどー。変なものでもないし飲んでもよかったなーって」

「昨日倒れた時より症状が悪化してたかもしれないんだぞ。というかお前は未成年だ」

「スノーだって未成年なのに、私に黙ってお酒飲んでるの知ってるんだからね。もー」


 ナイトが冷え切った紅茶に息を吹きかけ、そっと口を付ける。その極度の猫舌を思わせる振る舞いに、スノーとウィザードが苦々しい表情をした。

 カップを置き改めてリンゴを頬張る彼女は、二人の表情の微小な影を気にも留めない。


「なんにせよ、結果だけ見れば一方的にやられたって感じだね。不甲斐ないや。ごめんねスノー」

「いい迷惑だ全く。俺だけだったら教祖の手品も冷静に観察できただろうし、幹部クラスの人間に付け入る事もできただろうな」

「スー、それは結果論だ。そもそも潜入するにあたって約束を取り付けられたのはナイトのコミュニケーション能力があってこそだ。男であるスーが一人で行ったところで歓迎されるとは思えない。その表情の固さも災いし、警察か何かではないかと警戒されるのが容易に想像できる」


 スノーは反論せず、黙ってナイトを見た。ウィザードの極端な掛け値を差し引いて見てもナイトは整った容姿をしている。無論、好みによる差はあるがそこらにいる人間を釣る餌にしては充分すぎるステータスが備わっているだろう。現に七森に気に入られ、城野が釣れた。両者共ナイトに疑念を抱かず、新入りとして手厚く迎えていた。およそこの見た目の裏に潜む冷え切った闇など一片たりとも見えなかったはずだ。

 認めたくないが認めざるを得ない。彼女の人を惹きつける能力は仕事に大きく貢献していることを。


「とにかく偵察程度の仕事で医者の世話になるような奴はごめんだ。幸い時間は残されている。二度目は無いと思え」

「あ、それで思い出した。ウィザード、昨日完了したってスノーに聞いたよ。もらってもいいかな?」

「おいナイト、今の俺の話しを聞け」

「どうぞこちらを」

「ありがとー」


 ウィザードから小型タブレットを受け取ったナイトはそのままソファーにもたれ掛かる。


「ウィル、こっちの話しが終わって無い」

「ナイトとて子供では無い。それに同じ過ちを決して繰り返さないのが彼女の強みだ。スーもそう腹を立てず朝食を摂るといい。消化に悪いぞ」


 そう言ってウィザードはテーブルに残されたヨーグルトの器とスプーンを持つと、静かに口へ運び始めた。ナイトが食べていたリンゴもいつの間にか一欠けらも残っていない。二人の食べる早さが早い訳ではなく、自分が考え事をしていた為に遅かったのだとようやく気付く。ウィザードの言葉に少しだけ耳を貸す気になった。気を落ち着かせるようにサラダをそっと口に含んだ。


「それに私はナイトがいくら傷つこうとも、私の治療の手が及ぶ範囲ならば構わない。私がスーより必要とされる分野はただ一つ。医療だ。そこのタブレットにある情報なぞ、私でなくても手に入れられる。それこそスーなら造作も無い事だろう。だからは今の無防備なナイトを愛している」

「……ウィルの趣味嗜好は理解しかねる」


 スノーはハムエッグの目玉を潰し口に押し込むと、ウィンナーに齧りつく。最後に野菜スープを流し込むと、いくらか気が落ち着いたのだろう、棘のある声でナイトに問う。


「で、その情報は?」

「依頼主のデータ。ドロップから引き継いだ仕事だから、念の為調べておきたかったの。案の定、困った依頼人さんだよ。沢田信之のぶゆき(25) フリーターでどの仕事も2カ月以上続いた試しが無い。報酬金ちゃんともらえるのか不安だなー」

「確かにそこも心配ではあるが他にも懸念事項はある。どうにも気性が激しいようで、喧嘩を繰り返すだけならまだしも、同居していた女子大生に対しても暴力を奮っていたと思われる。被害者のカルテもそこに用意したがあまり愉快な内容では無かった。この男と直接情報の引き渡しをするのであれば、二人以上で会うのが望ましい。特にナイトは気をつけるべきだ」

「はーい。了解」


 うんざりとした表情でスノーがため息をつく。食べ終えたばかりの朝食の美味しさが余韻を残す前に苦汁を飲まされたようであった。


ドロップあいつは客を選べと教育されてないのか。暴力団でも人殺しでも構わないから金を持ってる奴にしてくれ」

「その文句は教育係によろしく」


 ふいにナイトがクスリと笑みを零す。日常に溶け込んでいた毒蛇が鎌首を持ち上げ、一点を凝視している。毒蛇の狙いはスノーにもウィザードにも見当がつかなかった。夜の闇が濃くなる。夜ではない時間はいつだって夜に向かって進んでいく。そんな当たり前の事が少しだけ怖くもあり、心地よくもあった。


「何かあったか」


 問いにナイトが頷く。瞳の奥の闇がきらめいて見えた。


「データはまだ全部揃ってないよ。でもこの仕事、一番得をするのは私達だ」


 差しだされたタブレットをスノーが受け取る。さっと目を通しただけで、ナイトの言わんとする事を理解した。金のにおいを嗅ぎ取った鼻が短く鳴る。それだけでウィザードは不満げに呻いた。自分だけ蚊帳の外にいる気分なのだろう。


「私が手に入れた情報だというのに……」

「ウィザードの情報のおかげでいい展開になったんだよ。特にこのカルテ。医療分野に長けてるウィザードならではだよね。ウィザードに頼んで正解だったなー」

「ご機嫌取りのつもりか?」

「事実を述べているだけだよ。不満なの?」

「まさか。今日という日を記念日にしたいくらいだ」

「それはなにより」


 ナイトがカップに残った紅茶を飲みほし机に戻すと、静かに手を合わせる。それから両腕を天井に突き上げ伸びをした。腕を戻し、ひとり言のように空に向かって言葉を投げる。


「あらゆる視点で物事が見えて尚且つ対応できるとするならば、神にも等しい力を奮えると言っても過言じゃない。なにせ、世の中の全ては情報で成り立っているからね。この複雑そうに見えて単純な情報社会、情報を制した者こそ神サマだ」


 ナイトの言葉を否定する者はいない。当然の事だ。今、この場に居るのは神に情報という供物を捧げる敬虔けいけんな信者だけだからだ。

 パチリとナイトが指を鳴らす。


「ウィザード、車の手配を。依頼人の沢田信之に会いに行きたいの」

「承知した」

「一度アジトに戻るべきだ。俺も着替えたいし、ナイトもシャワー浴びたいだろ」

「そーだね。そうしようっか」

「風呂ならここにもある。スーの着替えも手配しよう」


 ウィザードの提案に二人は首を横に振った。同時に立ちあがり、皿を片づけ始める。


「気持ちだけ貰っておくよ。さすがに盗撮される可能性が高い所で寛げるほど図太くないから」

「ナイトと同意見だ。ウィルの用意周到さを評価している以上、警戒し過ぎるという事は無い。むしろあってしかるべきだ」

「そう心配しないでくれ。撮影対象はナイトだけである上、この私が厳重に保管する。オフラインのパソコンだ。私的目的の為だけに使うと誓おう」

「心配しなくていい要素が何処にあるの?」


 ナイトの尤もな疑問にウィザードは都合よく受け取る。自信に満ちた表情で眼鏡を押し上げた。


「思いきってシネマカメラを導入した。防水はもちろん、夜間撮影にも適している。ムードある薄明るい空間で湯気に包まれていようとも、ナイトの蒸気した顔や火照った裸体が鮮明に撮れるだろう」


 一通り皿をワゴンに乗せ終えたナイトがスノーにぼやく。


「なんで使う予定の無い高価な物を買っちゃうんだろうね。私がここに来る事もそうないだろうに」

「金持ちの道楽だろ。適当に流せ」

「そうだね。ウィザード、早く車を」

「仰せのままに」


 ウィザードがようやく重い腰を上げた。部屋のドアを開け、手で押さえるとナイトを誘導する。

 ナイトよりも先に黒い毒蛇が飛び出し、長い廊下の先へと消えた。


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