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1.予習

今作はシリーズ第二弾にあたります。第一弾からお読みいただく事をおすすめします。

 駅前の待合広場のベンチに座るスノーはYシャツの袖を捲った。左手首に巻かれた銀盤はあと数分で待ち合わせ時刻の18時を告げようとしている。

 もうそんな時間か、とわずかに苛立ちを感じた。左手に持ったままの小冊子を乱雑に閉じ、尻ポケットに収める。それから、気を引き締めるようにワインレッドのネクタイを締め直し、周囲に視線を巡らせた。平日でも人の多いこの場所は今日の様な休日ともなるとその比ではなく、立ち止まることすら迷惑行為に成りうる程だ。あまりにも多い人の中、見知った顔であれば探せるだろうという安易な考えはたちどころに消え失せた。潔く見切りをつけた彼はすぐに携帯端末を取り出す。飾り気のないシンプルなホーム画面には着信や新着メッセージのが無い事を機械的に告げているばかりだ。その事実が殊更、彼の苛立ちを募らせた。


「お待たせ、スノー」


 聞き知った声が背後から降ってくる。そのあっけからんとした声に反省の色は無く、自然、こちらの声に怒気が混ざった。


「遅い。18時集合なら5分か10分前には――」


 端末から顔を挙げたところで言葉が途切れる。振り返った視線の先にいる人物は確かに彼の待ち人であったが、その出で立ちは彼の虚を突くには十分すぎた。


「ごめんね。着付けに手間取ったのと、下駄が思いのほか歩きにくくて遅くなっちゃった」


 白地に金魚が泳ぐ浴衣。その艶やかな尾びれを想わせる紅いチュールレースの兵児帯へこおびはふわりと揺蕩たゆたう。普段着とは言えない服装に合わせたサイドテールも目新しい。道理で人ごみの中から見つからなかったわけだと、可笑しなところで納得してしまう。


「……スノー?」


 彼女の呼びかけにハッとなり、途切れた言葉を繋ごうとするがすでに記憶の中から霧散している。立ちあがり、誤魔化すようにそっぽを向く。


「次から気をつけろ」


 どうにかそれだけ言い、歩き出す。彼女もそれに連れて歩くが、リズム感のない下駄の音が雑踏の中でもよく目立った。スノーが歩調を緩めると、彼女の特徴的な高い声が彼女より先にスノーへ追いついた。


「ネクタイ姿、似合ってるね。赤のネクタイしているのを見たこと無かったけど、今日の為にわざわざ新調したの?」

「ウィルに借りた」


 意図したつもりは無いが素っ気ない声で返す。この喧騒の中、後ろにいる彼女に聞こえただろうかと、今更ながら心配に思うがそれは杞憂に終わった。

 いつの間にか追いつき、隣を歩く彼女はごく自然な流れで会話を続ける。


「確かにウィザードならそういうの持ってそうなイメージあるね。それに二人とも仲良いし、納得納得」

「別に馴れ合っているわけじゃない。他のメンバーよりも利害が一致しているだけだ」

「本当にそれだけ? 他のメンバーにはしない呼び方だってしてるじゃん。ウィザードをウィルにするし、スノーをスーって言う」

「俺達の勝手だろう。それが仕事に差支えるのか?」

「私は喜ばしいって意味で言ってるのに、すぐそんなへそ曲がりな事を言う」


 不機嫌な口調とは裏腹に彼女の声は明るい。スノーは開き直ったかのようにわざとらしい言葉を返す。


「それじゃあ俺の大親友からの伝言だ。お前に依頼されていた仕事が完了し、いつでも渡せるとのことだ」

「スノーってばあんなのと大親友なの? 交友関係見つめ直した方がいいよ」

「お前にだけは言われたくないな。お前の知り合いにまともな奴が居た試しが無い」

「その筆頭とも言えるウィザードと大親友のスノーさん、潜入が終わったら取りに行くって連絡しておいて」

「了解」


 待合広場の端にある一般車の乗降場付近で足を止める。手に持ったままの携帯端末で簡単な文章を作成し送信する。

 返信を待つ間に最新のニュースを確認するが目ぼしい記事は無く、自身の行動に影響を及ぼしそうな事と言えば、もうしばらく梅雨が続きそうだという事くらいであった。空を見上げてみると、雨が降りそうな気配こそ無いものの、どんよりとした雲がどこまでも広がっている。湿った風は灰色の雨のにおいがした。

 と、そこで携帯端末が震え、画面に目を落とす。ウィザードからのメッセージであった。


「万が一に備えて目的地付近で待機するらしい。いつものシルバーの車だろう」

「頼もしい限りだ。潜入時はバックアップがいると取れる行動の選択肢が増えていいよね」

「その行動内容を具体的に説明してもらおうか。今回はこの間の内藤()(づき)でいいんだな?」

「その通りだよ氷室冬雪(ふゆき)君。事前に渡した資料には目を通してくれたかな?」


 氷室は尻ポケットに入れたままの小冊子を取り出す。紅白に彩られた表紙を手の甲で二回叩く。


「要点だけは押さえたつもりだ。これほど退屈な文章に巡り合えたのは初めてかもしれない」

「そう? 私は中々に興味深いと思ったよ。二度読むつもりはないけどね」


 さも愉快そうに笑った後、内藤は巾着の中にある携帯端末を取り出し時刻を確認した。小さく頷きまたそれをしまうと氷室の方に向き直る。


「まだ時間もあるし、確認の意味も込めて最初から説明します。今回潜入するのは『聖火を学ぶ会』っていう新興宗教団体さんのところ。ジャンルはずばり、火炎崇拝。昔からある結構ポピュラーな考え方なんだけど火を神の象徴として崇めているの。火炎崇拝そのものの成り立ちとか歴史の話は今回そこまで重要じゃないから割愛するね。押さえてほしいのは聖火を学ぶ会独自の考え方と目的。火には浄化の力があり、火によって心身を浄化し、光の源になろうって感じなの。ここまではいい?」

「あぁ」

「私達の目的はこの聖火を学ぶ会の会長である()(むら)光一の奇跡の力を暴く事。心身ともに清らかで邪が無き者である教祖様はなーんと火に触れてもへっちゃらなんだってさ。すごいよね」


 口調こそ愉快さを保っているが内藤の瞳は笑っていない。その事実が妙に可笑しくて、氷室もまた同じような口調で話す。


「そいつはすげぇや。ただ、面倒でもあるな」

「そう?」

「ある程度の人数を同時に騙せる嘘というのは一度や二度見ただけでは見抜けない。苦労に見合った対価があるならそれでいいがな」

「んー……」


 そこで内藤が珍しく言いよどんだ。何かを確認するように指を折りながら言葉を紡ぐ。


「聖火を学ぶ会に安くはない寄付をしてるし、なんでか分かんないけど集会の参加費が男性だけ異様に高かったなー。そう何度も潜入するつもりはないけれど、早めに済ませないと赤字になっちゃうかも?」


 曖昧な言い回しに氷室は大よその察しがついたようだ。腕を組み、気を悪くした声を出す。


「この仕事、お前が受けた仕事じゃないな」

「うん。ドロップだよ」

「あいつか」


 露骨に嫌悪感を示す氷室に、内藤は宥めるように笑った。大抵の事に無関心である氷室だが、仲間の事となると好意であれ悪意であれ反応を示す。それが内藤には好ましく思えた。


「ドロップはまだ仕事慣れしてないから、スケジュール管理に失敗しちゃったみたい。でもおかげで面白そうな仕事に出会えたんだしラッキーだよ。こーんな怪しくて面白そうなところにお邪魔できるんだもの」

「スケジュール管理のミスならこの仕事の納期も近いってことだろ。タダ働きをするつもりはないぞ」

「それは大丈夫。ドロップの抱えてる仕事のうち一番手間取りそうで面白そうな物を貰ってきたからさ。一カ月はあるよ」

「四六時中執り行われている集会じゃないんだろ。その集会のうち、何度その奇跡のパフォーマンスが見れるかも不明だ。余裕があるとは到底言えない」


 他のメンバーが担当している仕事をもらっているという事は、この二人にもそれぞれ抱えている仕事は当然あるという事でもある。仮に今回の仕事に一月全てを費やせるとしても潜入期間としては極めて短い部類だ。ましてその期間で一つの組織の心臓部とも言える最重要機密の情報を入手するとなると並大抵の努力では不可能だろう。氷室の指摘はもっともであった。


「仕事は期日通りに行うのが当然だ。情報を売るにあたって信頼を損なうような事をしてはならない。同様に、仕事を安請け合いして出来ませんでしたじゃ困る。いや、困るどころか組織の存続にすら関わるんだ。それをこの組織のリーダーであるお前が理解してなくてどうする」

「ちゃんと理解(わか)ってるって。組織は私の欲望を満たす為に今の所一番大事な物だよ。維持できるように努めなきゃね。まだまだ手放していい物じゃない」


 内藤の言葉に氷室は思い知る。理解していないのは氷室の方だという事に。例えこの仕事で赤字を出そうとも、この組織が破滅しようとも、彼女の欲望が満たされればそれでよいのだ。さらに言うなれば彼女の右腕という立場に納まっている氷室の事すら、自身の欲望の為なら躊躇せず切り落とすだろう。

 氷室は自身の足元が崩れ落ち、その中へ消えてしまう様な錯覚に襲われる。

 夜が明けたら一片の雪など淡く融けてしまう。そう、全ては彼女次第。目を逸らしていた事実を突き付けられた気がしてスッと背筋が凍りつく。

 そんな氷室にとって、涼しげな内藤の服装は冷感に拍車をかける物であった。


「……寒くないか、その格好」沈黙に耐え切れず氷室が問う。

「ん? 別に?」


 間が空いたこともあってか、唐突な話題転換にさほど気にした様子もなく彼女は首を振る。それから生地の上を泳ぐ金魚を一つ撫で、頬を掻いた。


「着物用の肌着も着てるし全然平気。それよりも目立つ事の方が恥ずかしいや」


 そこでようやく、道行く人々の視線が内藤に注がれている事に気付く。梅雨明け前の、人によっては肌寒さを感じる今、彼女は明らかに浮いていた。

 好奇の視線に晒される彼女は気恥ずかしげに巾着の紐を握る。その人間味溢れる暖かい仕草に氷室は先程の冷たさを拭い去る事ができた。いつも通りの淡泊な言葉が口をく。


「郷に入ってはなんとやらだ。なにより目立っていた方がむこうも見つけやすいだろう」

「そーだねー」


 万華鏡のごとく変化する氷室の感情に、内藤は気付かない。氷室は内藤に気付かれぬよう注意を払っている上、内藤の興味は氷室の恐怖に向いてはいない。彼女には氷室を恐怖させる意図などないのだから。

 内藤はただ立っているのが退屈なのか巾着の紐を指に絡ませて遊ぶ。白く細い指に赤い紐が絡んでいく様を何とは無しに二人で見つめた。

 ややあって内藤が笑う。


「面白い規律だよね。白の着物に赤の帯って指定。いっそ制服を作って統一させちゃえばいいのに。こちらとしては余計な経費が掛からなくて大助かりだけど」


 氷室はそこでようやく、今日初めて内藤に会った時の驚きを口にした。


「俺に指定したように、お前も同じ格好で来るものだと思っていた」


 氷室が指定されたのは4点。ジャケット無しのスーツ姿で有る事。シャツの色は白。ネクタイは赤。寒色は避けろとの事であった。ビジネスシーンにはあまり適さない格好に氷室は当初、閉口せずにはいられなかった。仕事の為だと割り切っているものの、どこか落ち着かない。それでも内藤が同じ格好でいてくれればいくらか気が楽になると考えていた。だが、予想をはるかに超えた内藤の服装は氷室の調子をますます狂わせる。先程から後悔や反省を頭の中で繰り返しているのも、出会い頭に受けた動揺から立ち直れていない証であろう。氷室はそう判断をしていた。しかしながら、氷室の平静を乱す原因はおおむね内藤であるという事実は間違いない。


「男女共通で清廉潔白の白に、炎の赤なんだって。男性の下衣(かい)を黒にしてるのは炎の光が闇を退けている様を現しているの。というか――その小冊子ちゃんと読んでないでしょ」


 咎めるような内藤の視線に、氷室は悪びれた様子もなく小冊子をしまう。


「お前と違って余計な情報を詰め込む容量はないんでね。俺の頭が必要ないと判断した情報なら、見聞しようが体験しようが忘れているさ。服装の意味などどうでもいい」

「せめて仕事が完了するまでは覚えておいてよー。ちなみに女性が和服なのはそれなりの理由があって、洋風の下着が水着を連想させるからそれを着けさせない為なんだって。あとは今回の潜入先であるカチカホールで火を焚いているから、暑さ対策も兼ねているらしいよ」

「実にくだらない。単に教祖様が和服好きだと言った方が正直で好ましい」

「そんな失礼な事言わないの。鰯の頭も信仰からでしょ」

「お前も大概だっての」


 ひとしきり嘲笑を終えた所で、一台の車が二人のすぐ傍で停車した。

 赤の四人乗り乗用車。その顔とも言うべきボンネットの中央には動物を模したエンブレムがキラリと輝いた。一目で高級車と分かる派手な車に、二人は即座に「特定しやすそう」という情報屋らしい感想を抱く。その車の助手席の窓が下がる。


「お待たせいたしました。内藤さん」


 助手席に座る女性が微笑む。化粧っけの無い顔に少しこけた頬。死に装束のような白い着物と相まって江戸時代の幽霊を思わせる出で立ちだ。なにより不自然なほど生気の宿った瞳はぎらぎらと輝き、殊更不気味さを際立たせている。高級車に乗る人間のイメージとしては似つかわしくないほど貧相な印象を与える女性であった。実年齢よりも寂れた見た目は、前情報がなければとても大学三年生には見えなかったであろう。


「どーもこんばんは七森先輩」


 内藤は蓮の華が咲くような笑顔を浮かべ、自然な足取りで歩み寄った。すでに内藤からの報告で、七森と良好な関係を築いていると知ってはいたものの、氷室は狐につままれた気分になる。あまりにも自然に日常にとけ込む内藤は自分の見ていた冷たい夜の姿の方が幻のように思えてしまう。そんなハズは無いと叫ぶ自分の声はあまりにも弱い。親しげに話す二人を見れば見るほど否定の声はしぼんでいく。


「さあ、どうぞ乗って下さい。火を灯しに参りましょう」

「はい。それじゃ氷室君、行こっか」


 振り返ったナイトの視線はスノーの身体に巻きつく。氷室が知っている夜色の瞳であった。瞬間、夜のとばりが下りる。

 氷室冬雪はいつもそうしているように、後部座席のドアを開け、内藤結月を先に乗車させた。


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