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五  ──彼女に引かれて



 ふと見下ろした足元に、花が咲いていた。高く伸びた枝の先にボンボンのようにくっついた、名前の分からない桃色の花。

 その傍らに、折れた木の棒が転がっている。花びらを指先で優しく撫でた私は、その棒を静かに、拾い上げた。見るからに人の手で加工された形跡があった。

「……こっちに来て、初めて知ったの。テレビでは誰も触れないけど、被災地(ここ)では震災で壊されてしまった物のこと、瓦礫とかゴミじゃなくて“被災物”って呼ぶんだね」

 華さんはまた、黙っている。

「被害を受けた人が“被災者”だから、被害を受けた物は“被災物”。当たり前のような気がするけど、そのことを初めて知った時、何となく思ったんだ。こういうことを知りたかったから、私はここへ来たんだなって……」

「こういうこと?」

「うん。被災した人たちの考えていることや、感じていること」

 瓦礫ではなくて“被災物”。その違いは物に対する考え方にあるのだろうと、私は思った。二度と使えなくなってしまったガラクタ同然の物でも、かつてのように愛着を持って接してあげようという気持ちが、呼び方一つの中にさえ溢れている。

 こういうことを知りたかった。それこそが、私をこの町まで連れてきた原動力だったのだ。

「私はもう被災者にはなれないから、被災した人たちの考え方や感じ方を本当に理解することはできないのかもしれない。それでも、もしかすると少しは近付けて、その片鱗に触れられるのかもしれない。それでいいから私、知りたかったんだと思う。被災した人たちとは比べようもないけれど、私自身もすごく……怖い思いをしたから」

 寝間着越しに膝を抱え込む力を、私は少しだけ、強くした。

 華さんが身体を動かした音がした。私の位置からでは見えないけれど、華さんは今、私のことをじっと眺めているんじゃないだろうか。そんな心持ちがして、少しこそばゆかった。

 華さんの声は穏やかだったけれど、同時に心なしか、素っ気なかった。

「じゃあ、この三日間で何か分かったの? 考え方や、感じ方」

 私は首を横に振った。自分にも、それから華さんにも嘘はつけない。つきたくない。

「分からないの。あんなに悲しいことがあったのに、あの悲劇からたったの二年半しか経っていないのに、何だか誰も彼も、私が思っていたよりもずっと普通に暮らしていて……。テレビや新聞に載るような、失った人のことを嘆き続けているような人が、ここではどこにも見当たらなくて」

「……そう、でしょうね」

 ちらりと覗き見ると、華さんは私のことを見ていなかった。何を視界に入れようとしているのか、横からではまるで分からなかった。

被災地(ここ)の人たちにとって、私たちみたいな人はどう映っているのかな。やっぱり、どこまでいってもよそ者に過ぎないのかな」

 華さんは私を見ないまま、そりゃそうよ、と告げる。

「多少の所縁があったところで、他人に違いはないんだから。たった三日、四日程度で簡単に心を開いたりはしないよ」

「そうだよね。……だから私、どうしても思っちゃうんだ。被災者の人たちが笑っているのは、私たちから距離を置こうとするためなんじゃないかって。本当だったら浮かべていたい別の表情を、無理やりにでも押し隠そうとしているからなんじゃないか……って」

 今度は華さんは、何も返さない。

 沈黙している時の華さんは、怒っているのか。それとも戸惑っているのか。どちらでも説明がつくような気がしてしまう。沈黙は、怖い。

 足元の桃色の花へ、私は目を落とした。何も語ることのない花を撫でながら、ため息をついた。それから無理をして、少し、笑ってみた。

「……ダメだね、私。本当に気持ちを聞き出したいって思うなら、本人に聞いてみるしかないのに。黙っていれば話してくれるなんて、有り得ないのに。こういう時、いつも私は、勇気を出せないから……」

 ああ、笑えていないな。沙耶子ちゃんの指摘を受けるまでもなく、そう思った。


 その時、それまで座ったままだった華さんが、急に何かを発見したかのように立ち上がった。

「華──」

「私、嫌いなのよ」

 自分の声を重ねることで私の言葉を打ち消した華さんは、くるりと振り返って私の正面に立つ。ひるがえったスカートのひだが、どことなく風に舞う花びらのように見えた。

「被災地の外からわざわざここに来るような人間、嫌いなの。ボランティアのためだとか被災地をこの目で見るためだとか色々と題目は唱えるけど、やってることは結局みんな、同じじゃない。慰霊碑の前に立って、ここで死んだ人たちは無念だったろうな、なんて考えてみる。で、“被災者の気持ち”になったような気分になる。人によってはそれすらしない。津波に引っ掻き回された街の有り様を見て、何となくため息をついてみたりね」

 華さんがこんなに積極的に話す人だったなんて。私は私で、驚きをもって華さんを見上げていた。

 言葉の節々から棘が顔を覗かせているのに、なぜだったのだろう。華さんの様子に怒気のようなものを窺うことはできない。

「最初、あなたが東京の高校から来たって聞いた時も、またそういう“よくいる被災地訪問者”なのかと思った。でも今は少し、考えが変わったような気がする」

「え……それって」

「あと、『華さん』なんて堅苦しい言い方はしなくていいよ。呼び捨てにでもしておいて」

 彼女が口を開くたび、彼女のイメージがところどころ塗り変わってゆく。それならこれからはみんなと同じように、華ちゃんって呼ぼうかな。膝を抱える力を緩めた私は、よろめきながらも華ちゃんの隣に立ち上がった。

 華ちゃんは私の目を見て、それから問いかけた。

「今でも、知りたいと思う?」

 曖昧ではいけないと思って、大きく頷いた。

 知りたい。知らなければきっと、この先どれほどの時間が経過しても、独りテレビの映像を見つめていたあの日々を私は乗り越えることができないままになってしまう。“被災者”でも“他人”でもない、宙ぶらりんの存在のままになってしまう。だからこそ私は、ここへ来たんだ。

 それなら、とばかりに華ちゃんは私へ背中を向けて、歩き出した。少し遅れて耳に届いた声が、私の背中を押した。

「見せたいものがあるの。花──あなたの知りたいことに、少しくらいは触れられるかもしれないよ」





 民宿に泊まった初日のことだった。頭を突き合わせながら波路上地区一帯の地図を眺めていた私たちに、この辺りの昔の写真を女将さんが見せてくれたことがあった。

 『民宿の前の道は、この先の岩井崎まで続いているの。岩井崎がどういうところか、知ってるかしら』

 『いえ、実はあんまり……』

 返事をしたのは実由ちゃんだっただろうか。私たちは顔を見合わせて、誰の顔にも“知っている”とは書いていないのを確かめた。

 女将さんの写真には、尖った岩が不規則に並ぶ岩場の様子が撮られていた。打ち上げられた真っ白な波が、まるでクジラの吹く潮のような姿をしている。

 『潮吹き岩って言うの。そのまんまでしょう?』

 女将さんは苦笑いした。何だか寂しそうな笑顔だった。

 『この辺りは高台になっていてね、潮吹き岩を目当てに来るお客さんのために、ビジターセンターやホテルも建っていたのよ。あの日も、津波の第一報を受けた人たちの幾らかは、この高台を目指して避難しようとしたんですって』

 『それで、どうなったんですか』

 『第一報として伝えられた津波の波高は、六メートル。実際の高さは十一メートルだったそうよ。それが堤防を越えて東と西から押し寄せた。高台の標高は、波高と同じ十一メートルしかなかったのにね』

 それじゃ、と久海ちゃんが叫んだ。その四文字が私たち全員の気持ちを代弁していたと思う。そしてその問いかけに、女将さんはきちんと答えてくれた。

 『全壊を免れたのはたった八棟だけだったわ。高台でさえ(・・)、そうだったの』


 なぜ、女将さんがそんな話をしてくれたのか、ついぞ私たちには見当がつかないままだった。

 ふとした瞬間に失念しそうになるけど、ここらへんも津波の被災地域なんだよね──。実由ちゃんの言葉に、みんなで揃って虚しい息を吐いたことだけが、妙にはっきりと思い出せる。女将さんの最後に見せていた表情は、聞かされた話の衝撃が大きすぎて、今もよく思い出せない。

 こんな話を華ちゃんにしたら、やっぱり言うんだろうか。『よくいる被災地訪問者』だって。




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