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三  ──扉の向こうで



 どこからか、木と木の擦れるような音が響いた。


「…………?」

 ほんの微かな音でしかなかったのに、私は目を開けていた。仄かな明かりの中に、部屋の掛け時計の文字盤が浮かんでいる。──午前二時。少し、意識が飛んでいたかもしれない。

 今の音は、どこから?

 同室のみんなを起こすことのないように、私は静かに布団を剥いで起き上がった。気のせいだったら気のせいで構わないや、ついでにトイレにでも寄って布団に戻ろう。そのくらいの気持ちで、部屋の襖を開いた。さっき聞こえたのはこの音だと、すぐに思った。

 長い廊下の奥には非常灯が設置されていて、緑色の光を黙って床に落としている。あっちでは、ないみたいだ。そう思った私が、玄関の方へと視界を回した時。

 廊下の先に、人影が見えた。襖に手をかけて、今まさにそれを閉めようとしている人影が。

「あっ」

 思わず声が上がった。しまったと思った時には、向こうが私の存在に気付いていた。

 顔も姿もよく見えない。暗闇の中、人影は無言で襖をぱたんと閉め切った。そうして素早く、廊下を曲がった先の玄関の方へ向かおうとする。

 泥棒だったら、大変だ!

「──待って!」

 小声で私は制止したけれど、人影は足を止めてはくれない。廊下の角は暗がりになっていて、人影はその真っ暗な空間へと吸い込まれるように消えていった。怖かったけれど、寝起きでふらつく足を叱咤して、私も慌てて廊下を追いかけた。

 玄関の門灯は消えているらしい。何も見えない。手探りで引き戸の取手を掴んだ私は、何も考えずに扉を引き開けた。

 そこに、あの人影が立っていた。

「!」

 開いたままの姿勢で、私は固まってしまった。

 待ち受けられていた⁉ ──予想だにしていなかった展開に、頭の中が真っ白になる。どうしよう。何をしていたのか分からないけれど、悪いことをするような人に私が勝てるはずがない。私、普段は非力な文化部員なのに……。

 目を白黒させる私を睨み付けながら、人影は一言、問うた。


見えるの(・・・・)?」


 人影の正体は、私と同じくらいの背丈の女の子だった。

 まるで高校の制服のような、上がグレーで下が黒のブレザーを着ている。風にそよぐストレートの長い髪の下には、怒りを向けているような──もしくは驚いて見開かれたような目が、私のことを見つめている。

 民宿の入り口から近くの道路まで続く、石畳の道の上で、女の子は仁王立ちになっていた。そして私に向かって、問いかけたのだ。


 何を尋ねられているのか、さっぱり分からなかった。

 答えを返せずにいる私のもとへ、女の子は近付いてきた。そしてもう一度、問いを重ねた。

「私が、見えるの?」

「……うん」

 そう答えるより他に選択肢が思い付かなかった。一瞬でも気を抜けば、恐怖が全てを圧倒して逃げ出してしまいそうになる。ああ、興味本意で起き出したりしなければよかった……。

 そう、と女の子は呟いた。その瞬間、強い光を宿していた瞳が、すうと穏やかに落ち着いた。……私には、そう見えた。

「あなたは、誰なの? 何をしていたの?」

 怖々と私は尋ねた。腰に手を当てた女の子は、今度は値踏みでもするように私のことを眺め始める。ペットショップの子猫にでもなったような心地がする。

「あなたが教えてくれたら、教えてあげるけど」

「わ、私が?」

「あなたは誰なの。ここで何をしているの」

「……私、亘理花って言うの。その、高校の友達と一緒に、ここの民宿に泊めてもらいながらボランティアをしに来たところで……」

 詰問口調に怯えながらもどうにか自己紹介を終えた私を前に、ふぅん、と女の子は呟いた。どうやらその一言が、私の値踏みの結論だったみたいだった。

「私は、閖上(ゆりあげ)(はな)。ここの一人娘よ」

 同じ名前の響きだ……。真っ先に、そんな感想を抱いた。女の子──華さんも、同じことを思っていたんだろうか。“はな”と口にした時、少し早口だったような気がする。

 それはともかく、よかった……。泥棒や不審者でなくて本当によかった。ここの女将さんの子なら、怪しい人であるはずがない。

 安心したあまり足から力が抜けそうになって、私は慌てて扉を掴んで身体を支えた。くす、と声がした。華さんが私を眺めながら、口元に指を当てている。

「花、って言ったっけ。なんでこんな時間に起きてるの?」

 誰のせいだと思っているのだろう、この人は。むっとした私は、言い返した。

「あなたが部屋の襖を開け閉めする音が聞こえたから、目を覚ましちゃったのに」

 すぐさま華さんは言い返す。

「なら、さぞかし浅い眠りだったのね」

「……うん」

 私だって、眠っている自覚があったわけではなかったのだ。控えめに頷こうとした私は、そこでようやく自分が寝間着のまま外へ出てきてしまっていることに気付いた。しまった、私ったらこんな格好で……。

「平気よ。誰も起きてないから」

 見透かしたようなことを言った華さんは、扉を中途半端に開いたままの状態で突っ立っていた私に、おいで、とばかりに手招きをしてみせた。

「そんなところにいつまで立ってる気なの、中に虫が入るじゃない。──眠れないなら少し、話さない?」

「えっ、でも」

「話さない?」

 私には選択の余地を与えてくれそうにない声色に、私はただ、黙ってもう一度頷くことしかできなかった。


 ……この時、少しでも私が冷静さを取り戻していれば、深夜に制服を着て部屋を覗いていた彼女の行動が不自然であることくらい、すぐに気が付けたのかもしれない。





 民宿『曼珠沙華』の庭は、和風の建物に調和した日本式の庭園になっている。その入り口にある門の脇に、二人で腰かけた。

 天気に恵まれた九月の午前二時の気仙沼は、まだ夏の暑さを忘れることができずにいるらしい。じっとしていると肌の表面に微かな潤いが浮かぶような、けれど温度が気になるほどではない夜独特の空気に包まれていると、いつまでもここに座っていられるような気がしてしまう。

 家々の灯りも落ちて、ただ点々と並ぶ街路灯の光だけが、丘を下って岩井崎の方へと続いている。


「……どこから、来たの?」

 先に口を開いたのは華さんだった。私自身のことを問われているのか、一瞬判別がつかなかった。

 両腕で膝を抱え込んで、私は体育座りの姿勢になった。この姿勢が一番、落ち着いた。

「家は、東京の目黒区っていうところにあるの。自転車で十分くらいのところにある大崎女学苑っていう高校に通ってて、一緒に来たみんなも、そうなんだ」

「ふぅん」

 聞いてきたのは向こうの方なのに、華さんはまるで興味のなさそうな返事をする。

 だから私も、尋ね返した。

「華さんは?」

「すぐそこの気仙沼望洋高校の一年生よ。産業経済科……って言っても、伝わらないかな」

 すぐそこに高校が建っていたことも知らなかった私は、曖昧に首を振ることしかできなかった。この民宿には夕方になって活動から帰るばかりだったから、辺りに何があるのかも実のところ、よく知らなかったのだ。

「その服装は、制服?」

 聞きながら手を伸ばして触れようとすると、華さんは身を捩って避けた。

「触らないで」

「えっ……あっ、その、ごめんなさい」

 訳も分からず頭を下げる、私。華さんはブレザーの前をきちんと留め直しながら、他人に触られるのは嫌なの、と冷たい声で告げた。

「私のことは何でもいいじゃない。私、あなたの話が聞きたいの」

「…………」

 それなら、構わないんだけど。渋々私はまた、自分の話を再開した。



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