二 ──笑えない私が
十一時を回る頃になって、誰からともなく「眠いね」と言い出して、ようやく私たちも眠りにつくことになった。
「明日も今日と同じ、六時半起きだからね」
みんなを見回して実由ちゃんが発した声にも、はーい、とどこからか聞こえた返事にも、うっすらとした眠気がかかっていた。慣れない炎天下で働いたんだもの。どんな過ごし方をしたところで、身体の疲労を誤魔化すことはできない。
みんながそうしているように、私も布団を頭からかぶった。けれど、いつまで経っても眠気が訪れてくれなかった。周りからは早くも寝息が聞こえてきているのに、私の目はぱっちりと冴えたままだった。
『明日が、最後』。
そんな文句ばかりが、頭の中をぐるぐると廻っていた。
泣いても笑っても、この場所で過ごすことができるのは、あと一日だけ。
私は自分の胸にそっと触れてみた。心拍数は変わっていないのに、変に緊張しているような気がしてしまうのは、きっと焦っているからだな……。そう、思った。
ボランティアの需要はあちらこちらに点在している。送迎の車の窓は、新たな行き先が告げられるたびに私たちに見たことのない景色を見せてくれた。
震災から二年半という時間が経って、さすがに建物の残骸が残っていることはないのかと思っていた。けれど実際には、倒れた電柱や一階だけが何もなくなってしまった建物が、あらゆる場所に残っていた。
市街地の北部、JR大船渡線の鹿折唐桑駅のあった辺りには、何十メートルもの長さのある大型巻き網漁船が打ち上げられていた。近くで見上げるとまるで壁のようだった。あたりは一面、建物の基礎がわずかに残されているばかりで、そこに巨大な漁船がぽつんと鎮座している様には、もう不自然という言葉すら似合いそうになかった。
漁港の建物は操業を再開していたけれど、なんだかひどくひっそりとしていた。周囲の鉄筋コンクリートのビルは、どこも津波の直撃を受けて半壊したまま放置されていた。見上げると首が痛くなるほどの高い位置には、『津波浸水深ここまで』と書かれた看板が貼り付けられている。『波高』ではなくて『浸水深』。その意味を捉えるのに、少し時間が必要だった。
中心市街地から少し南に下ったJR松岩駅の近隣には、内湾に面した松岩漁港と、外洋の側に向いている尾崎漁港という二つの漁港が並んでいた。尾崎漁港の太平洋側に設置されていた堤防は、押し寄せた津波の威力に負けて大破してしまっていた。崩れたオモチャの積み木のように、破壊された堤防が海に浸かってちゃぷちゃぷと音を立てていて、なんだか不気味なほどにのどかな景色だった。背後に広がっていたはずの家々は、当然のようにひとつ残らず基礎だけになっていた。
町中を走る車の多くが、『気仙沼JV』という名札を付けた復興事業のダンプカーだった。線路も車両も流されてしまった気仙沼線は復旧が絶望視されて、今は国道を利用したバス高速輸送システムで辛うじて代用されている。急ごしらえで組み立てられた仮設住宅の団地や、津波に壊されてしまった被災物の山を、市内のあちらこちらに今も見ることができた。
気仙沼市の北部しか見ていないのに、これほどの爪痕がここには残っている。ここだけじゃない。南三陸、石巻、大船渡、釜石、相馬、浪江、楢葉……。同じか、或いはそれ以上の被害を受けた町が、ここの北にも南にも延々と広がっている。
想像もつかない破滅の跡が、どこまでも続いている。
日本地図を見るたび、底冷えのするような恐ろしさがどこかから湧き上がった。
撮り貯めた写真をスマートフォンで眺めていると、隣の布団から声がした。
「……まだ寝てないの?」
沙耶子ちゃんだった。画面の光が眩しくて、目を醒ましてしまったらしかった。
ごめんねと返事をすると、私はスマートフォンの光を落として枕元に置いた。
「眠れなくて」
「明日、起きれなくなるよ?」
「うん、分かってる。もう寝るよ」
無理やり目を閉じていれば、そのうち寝られるだろう。そう思って、布団にくるまる。ひんやりとした秋の空気が布団の隙間から流れ込んできていて、寝心地は悪くない。
するとまた、沙耶子ちゃんの声がした。
「みんな、疲れてるんだね。あっという間にぐっすりだよ」
窓からの夜明かりに照らされて、他の三人の寝顔が見えた。口をぽかんと開けている薫ちゃん、掛布団を抱き締めている実由ちゃん、ヤマネのように小さく身を屈めている久海ちゃん。
「そうだね」
私も答えた。すかさず、返事が飛んできた。
「花もだよ」
「分かるの?」
「当たり前じゃん」
あくびをひとつ挟んで、沙耶子ちゃんは言った。私のことをじっと、見つめたまま。
「こっちに来てから花、ちっとも笑ってないもの。さっきだってそうだったよ。笑い声は上げてたけど、目が楽しそうじゃなかった。人間ってさ、疲れてる時は心から笑えなくなるんだよ」
そうなの? ──そう問い返そうとしたけれど、何だかそれがひどく野暮なことに思えて、代わりに私は口元まで布団をずり上げた。ふわりとした温もりが、顔の下半分をそっと包み込んだ。
「気仙沼に来てから、花、ずっとそうだよ。しっかり寝て、疲れを取って、そんで明日も頑張ろうよ」
言うが早いか大あくびをすると、目を閉じた沙耶子ちゃんはふたたび眠りに落ちていった。
いいな、あんな風にすんなりと眠れるなんて。相変わらず寝付けない私は、木の板張りの天井をぼんやりと眺めていた。眺めながら、沙耶子ちゃんの言い残していったことを考えた。
確かに私は、笑えていなかったかもしれない。
けれど……それは少し、違う気がする。笑えなかったというより、笑いたくなかったという方が正しい気がする。
この三日間、ボランティアとして気仙沼で過ごす中で、色々な人に出会ってきた。二年半前の大津波で親戚や友達を何人も亡くした人、目の前を流されてゆく人を助けられなかった人、職も家も失って途方に暮れている人。悲惨という言葉でもまだ足りないような運命を背負ってしまった人たちが、客商売でもないのに私たちの前ではいつも笑っていた。大変だったよね、あの頃は。そう言って爽やかに笑っていたんだ。廃墟と荒れ地ばかりが広がる町の中にあって、その笑顔はどうにも不釣り合いにしか見えなかったんだ。
あんな目に遭っていながら、どうしてこの人たちは笑っていられているのだろう。東京のテレビや新聞がしきりに口にするように、やっぱり東北の人たちは我慢強い性格なのだろうか。それとも、私たちの前では笑顔を繕って、見えないところでいつも泣いているんだろうか。
分からない。分からないからこそ、笑えなかった。震災で家も家族も失わなかった私には、この町でへらへらと笑う権利なんてないように思えた。誰かと言葉を交わすたび、その向こうに覗く荒れ果てた町並みが、私の顔からそっと笑みを奪っていった。
私は本当に、ここへ来てもよかったのか。何度もそう自問して、けれど誰も答えてくれないまま、今日もまた夜が更けてゆく。
私は布団のへりを指で掴んで、握りしめた。耳に響くみんなの吐息が、痛かった。
同じ災害を経験していない私たちに、できることって何だろう。してあげられることって何だろう。
ここへ来る前も、来てからも、ずっとそんなことを考え続けてきた。
三日間という時間の中で解くことのできなかった疑問が、一際ずんと重たく頭の上にのしかかり始めた、──その時だった。