九 ──絶望と
刹那。
私の頭の中を、ものすごい速度で映像が流れ始めた。
震災のあの日、テレビで観ていた被害の様子。逃げ惑う人々。逃げ遅れ、カメラの映す先で津波に飲み込まれてゆく人たち。何が起こったのかも分からないまま、崩落した橋や土手と一緒にもう二度と起き上がってこなかった人たち。崩れた家の下敷きになって動けなくなり、そのまま火災に飲み込まれた人たち。何日も続く地獄の中で、続々と命を落としていった人、人、人、人、人、人……。
想えばそれは、私に向けて話そうとした言葉ではなかったんだろう。きっと独り言のつもりだったのだと思う。でも、そのことに気付いた時にはもう、私は無意識のうちに言い返してしまっていた。
「……そんなこと、言わないでよ」
と。
華ちゃんがちらりと私の方を振り向いた。
「どうして?」
声が、冷えている。嫌な予感がした。それでも抱いた違和感を伝えずにはいられなくて、真っ直ぐに目を見ながら私は訴えた。
「だってそれ、みんな死んじゃえばよかったって言ってるようなものじゃない……。生き残った人にも死んじゃった人にも、そんなの失礼だと思う」
「…………」
「華ちゃんだって、せっかく生き残ったんでしょ。もっと生きて頑張りたかった人だってきっといたのに、そんなこと言ったら……」
そこまで言った途端、華ちゃんの顔に赤みが差した。
「……あの震災で何も失わなかった花の口から、そんな言葉は受けたくない」
胸を衝かれた私は、ショックで返す言葉を失ってしまった。冷えていたあの声が、今は低い。誰がどう考えても華ちゃんは怒っている。
『花は被災者じゃないんだから被災者の気持ちは分からない』──被災した人の口から直に、そう突き放されたような気分だった。いや、ショックを受けたのはそこだけではなかった。
紛れもない“被災者”の華ちゃんを、私は不用意な発言で怒らせてしまった。傷付けてしまったんだ。
「結局、花も綺麗事しか言えないの? あなたはここでは何も失ってないんだから、私が何を言ったって関係ないじゃない! さっきだって言ってたよね、『死んじゃった人は、忘れてほしいなんて思ってるはず、ないのにな』とか!」
華ちゃんは憎悪のこもった目で私を見つめてきた。あの独り言、華ちゃんにも聞こえていたのか。立ち尽くす足の指先からじわりと滲み始めた感情が、どうしたらいいのか分からない困惑をどんどん高めてゆく。
「正論なんてもう十分よ。いくらどうしようもない出来事だって、私たちにできることが何もなかったって、あの時ああしていればっていう後悔は永遠に付きまとい続けるんだよ! だったら、せめて好き勝手に言わせてくれたっていいでしょ⁉ いちいち正論で切りかかってこないでよ!」
言い捨てた華ちゃんは肩を怒らせたまま、くるりと私に背を向けてしまった。そうしてそのまままた、すたすたと歩き出してしまった。
待って。
置いていかないで。
こんなところで独りにしないで。
私に至らないことがあったなら、謝るよ。謝るからお願い、独りにだけは……!
言葉にならない訴えを叫んだ刹那、身体の凍結が解けた。無我夢中で華ちゃんを追いかけた私は、友達を引き留めるような感覚でつい、その肩に手を伸ばしてしまった。あっと思った時にはもう、手を引くのも名を呼ぶのを思い止まるのも、遅かった。
「華ちゃ────」
手が、肩をすり抜けた。
ひどくゆっくりとした速度で、華ちゃんが私を見た。目と目が完全に一致するまでの間が、泣きたくなるほどに長かった。
その長い間に、今までの華ちゃんの言動に感じ取ってきた意味や趣旨が、ひとつ残らず根こそぎ引っくり返っていった。──意味の分からなかった第一声の『見えるの?』も、九月の上旬の深夜に家の中で冬服を着ていたことも。
「だから、触ってほしくなかったのに」
泣きそうな声でそう言った華ちゃんの表情からは、怒りも、嘆きも、もう感じ取ることができなかった。
草は笑う。
虫は歌う。
私たちはお互いを見つめあったまま、長いこと、そこに立ち尽くしていた。