間違い携帯電話
社会人一年目で入社した会社では、定時で上がれた例がない。
特に繁忙期は支店の月の売り上げ目標を自分が所属する部署がカバーしていたから鬼のような長時間労働と連続出勤のダブルコンボの挙句、やっと得た休みの日の早朝に上司から「出勤してくれ」と私物の携帯に連絡が入る。いま思い出しても遠い目になるが、半分しにそうな具合で働いていると五感も鈍くなったり鋭くなったり忙しい。
その所為だろうか、着信音が鳴る前に電話が来たのが分るようになった。
そんで電波受信する前に通話ボタンを押してノン・コールで出るという小技を心置き無く発揮した。だって掛けてきた相手が、めっちゃイイ反応してくれるんだもん。人間、あまりに仕事にウェイト占められると十秒チャージの隙間な時間に妙な遊びに走るんだ。
ホントだよ。
さて、その電話は他支店の応援から帰社する途中で掛かってきた。
何も考えずに道の隅に車寄せし、ハザードランプを点けて停車する。何てったって事故るの怖いし怪我するの痛いから。
冬の時間、十八時を過ぎると辺りは夕闇に染まるが、社用車のライトとダッシュボードの明かりで車内は真っ暗闇ではなくて、ガラスに映る自分の顔を見ないように気をつけて通話ボタンを押した。
「もしもし」
「っ、ぁ」
出た途端、息を飲む音が聞こえ、間をおかずに女の啜り泣きに変わる。
ムリに嗚咽を堪えようとする息遣いまでが、耳に触れたようでギョッとした。
自慢じゃないが私はビビリだ。「ちょーウケるー」とか笑われた事もあったが、だから何だ。怖いものは怖い。
ビクビクしながら唇を開いた。
「もしもし?」
「……ッぁあ、ヒぅ、ウぅ」
女の呻き声は消え入りそうな音量なのに、耳に残る声音はダイレクトに心臓を直撃する。夜も差し迫った雰囲気も相まって、もう恐怖でしかない。
ホラーだ。
季節外れの怪談か。
不意に遭遇する心霊現象か。
一縷の望みでケータイ掛けたがり友人のイタズラを希望ん。
私は堪らずディスプレイを見た。
公 衆 電 話
の、文字に気が遠くなりそうになった。
金と手間の掛かるイタズラをする友人も知り合いも無い。
イヤだもうコレ切って良いかな? 良いよな。
ボタンを指が探し始めたとき、ガサガチャガサガチャ! と向こうから何かを擦るような音がした。ビクリと竦み上がり、いつでも切れるように指を添えたまま、よせば良いのに耳をすませてしまう。
音が止むと、怒鳴られた。
「あなたダレですか!?」
「はい?」
イキナリ詰問されて、フリーズした脳で返事をしてしまった。
ついでに耳キーンがこんなに痛いとは知らなかった。
「何でマエジマサンの携帯にあなたが出るんですか!?」
(え、コレ私のだし。つかマエジマって誰?)
ほぼケンカ売ってる女子の声に脳内反論して、そっと息を吐いた。
「……何かの間違いじゃないですか?」
「はあ!? だってこの番号はマエジマサンのって教えて貰った――」
捲くし立てられた番号は下一桁が違っていた。
教えてあげると一瞬の沈黙の後、電話の向こうでスパン! ってイイ音が聞こえた。
スリッパか何かで頭を叩くと、あんな音がする。
小学校は上履きだったが中学と高校はスリッパだった。教室で聞いていたから、よく覚えている。ついでに帰宅を促す校内放送が聞こえて、電話の向こうは学校なんだなと確信を持った。
学校等の公共施設には公衆電話が設置されている。忘れ物した生徒がお母さんに持ってきてもらうために置いてあるわけではないが、使用頻度は高い。
「ごめんなさい! 間違い電話です! すみませんでした!」
「うん。まぁ、早く帰んなさいね?」
ヲタな私は体育会系のノリについていけないが、こう潔く謝罪できるところはキライじゃない。
でもとても複雑な心境になった。
読んで下さってありがとうございます。
かれこれ二十年くらい前の出来事です。ケータイ普及率もそんな高くなく、番号自体も十一桁でない頃の(冗談のような)実話。
多分、学生である彼女がカレシの携帯に電話かけたら知らない人間が出て、フェード・アウトされたか何かと勘違いしたんだろうと思われます。育んでいる最中の他人様の恋愛を垣間見るのは、それが未成年でも「出来れば関わりあいになりたくないな」と痛感しました。
それは、何もしてないのに馬に蹴られた気分になったから。
実際に馬に蹴られた(物理)を経験した今では「リア充爆発しろ」とボケッと思います。