1
ひよこの気持ちが私には理解出来る。
孵化するまでは温室のような暖かい場所にいるひよこ達。
ぬくもりは自分が生きていることを改めて教えてくれる言わば優しい愛情だ。
外の冷たい空気に触れることがない。そこは楽園も同然だと思う。ああ、羨ましい。
念のため断っておくが私はひよこではない。れっきとした人間である。
今、外に出ればきっと極寒の地の如く降り続ける雪に苛まされるだろう。人類は(少なくとも私は)寒さには勝てないと思うのだ。
というわけで、敗者は大人しくこのぬくぬくなお布団の中に…。
「葵、起きな!」
突然襖が開いたかと思えば、瞬く間に私の愛するお布団が雫姉により引き剥がされてしまった。同時に冷気が私を包み込む。
「か弱い敗者を陥れようとするなんて極悪非道な!!」
「何言ってんの?あんた、そんなに弱っちくないでしょうに。ほら、朝ごはん冷える!起きて起きて!」
お布団は楽園である。だが、頭上でキーキー騒がれれば話は別だ。ほんの少しの変化で一気に奈落へと成り果てる。それぐらいシビアな場所。
私は、雫姉から逃げるようにして食卓へと向かった。
こうして、今日も1日が始まってしまったのだ。
● ○ ● ○ ●
私、蒼井葵は四歳の時に両親を事故で亡くした。
十五歳の時まで母方の祖父母にお世話になり、今は成人して間もない姉の雫と狭いアパートで二人暮らしをしている。
祖父母の家では居候の身でもあったので真面目にしていたものの、雫姉と二人になってからは学校にも全く行かなくなり、堕落しきった生活を送っていた。
要するに不登校ってやつだ。
きっとこの状況について堅物の祖父ならガミガミ言う所だろうに、目の前で顔を歪ませスマートフォンの画面に食いついている雫姉からは、何も言われたことがない。
そんな雫姉が何か考え込んだ後、口を開いた。
「今日、どうしても外せない用事が入っちゃったんだ。」
「うん、それで?」
「吉田先生がね、今日までに取りに来て欲しい資料あるって言っててね…?それ、結構重要らしいのさ。…どうしよう。」
雫姉はこちらの様子を伺いながら恐る恐る言葉を並べている。
さっきまでの図々しさはどこへやら。
「取りに行けばいいの?」
「あ、そういうこと。」
私がそう言うと雫姉は頷いた。非常にあっさりした反応である。
最初からそう言えばいいのに。
そういう小言を言うと色々面倒なので言わないでおく。
「…行くよ。」
「ごめんね。それじゃ頼むわ。」
雫姉は近くに置いてあったショルダーバッグを掴み取るとすくっと立ち上がった。
ーーごめんね。
慌ただしく玄関へ向かう雫姉の背を見送りながら、脳内ではその言葉がリピートしていた。