不穏の影
それから翌日のこと。
とても天気の良い朝だった。
朝日がとても爽やかな気持ちにさせてくれて、風邪で感じる気だるさを幾分か無くしてくれる。
「ん……ふぅ…」
私はたっぷりと大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そして身を起こして周りを見渡す。
もちろんテラの姿は無い。
どうやらあの後、私はすぐに眠りについてしまったようだ。
薬を飲んだ記憶もテラに別れを言った記憶もないから、間違いないと思う。
「テラ………」
私は唇に指先を当てて、口づけのことを思い出す。
口づけにはテラの感触や温かさなんて何も無かった。
でも思い出すだけで、テラと一緒にいる気持ちになれる。
そんな昨日の夢のような出来事に浸っていたとき、ノックも無しに扉は開かれた。
私はすぐに我に返り、扉の方へ視線を向けた。
「あらお嬢様、起きていたのですか」
「おばあ様……。おはようございます」
「おはようございます」
寝室に入ってきたおばあ様は、いつもより冷たく挨拶を返してきた。
いえ、もしかしたら冷たく感じるのは気のせいかもしれない。
テラがおばあ様と違って優しさを表に出すから、そう感じてしまうだけな気もする。
「おばあ様、テラは?」
「……………」
おばあ様は黙って私を見つめてきた。
なんで答えないで黙っているのか分からない。
「…………おばあ様?」
「お嬢様。あの客人は帰りました。……それで大事な話があるのです」
妙な不安が押し寄せる。
まさかテラの身に何かあったのだろうか。
そうだとしたら私は酷く悲しくなり、体だけではなく心も病んでしまう。
「何?」
「もうあの客人は来ません」
「……え?」
おばあ様の言っている意味が分からなかった。
テラが来ない?
何故?
昨日誓ったのに?
「テラに何かあったの?」
焦りと不安のせいで私の口調が強くなる。
「何もありません。ただ、もう来ないのです」
「私の質問に対しての答えになってないわよ。分かるように説明して欲しいわ」
「説明も何も、客人はもう来ないと仰ったのです。だから私は詳しくは知りません」
……おばあ様の言ってることは真実なのかな?
信じられない。
信じたくもない。
「それは本当?」
「はい」
信じれず再度訊いてしまったが、おばあ様は一切の迷いなく即答した。
まさか本当に本当なの?
…分からない。
私には何も分からない。
嘘か本当かも………。
テラ教えて……。
私が頭を抱えて悩み苦しんでいると、おばあ様はいつもと違って一声かけず、薬包紙と水が入ったコップだけを近くの小さな丸テーブルに置き、部屋から出て行ってしまった。
だけどそんなこと、今の私にはどうでもよかった。
テラがもう来ないというのはどういうことだろう。
やっぱり何かあったとしか思えない。
でもおばあ様の話からしたら、テラがおばあ様にもう来ないとただ伝えたように思える。
もしかして私のことが嫌いになったのかな…。
そうだとしたらとても辛い。
「テラ……、テラ…!」
気が付けば私はテラの名を呼んでいた。
そしてクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、何度もテラの姿や声を思い浮かべた。
寂しい。
テラがいないと私は寂しい。
お願い、今日じゃなくてもいいから私の所にもう一度来て。
その時に、せめて別れだけでも言わせて。
わずかの時間でも、いいから会いたい。
……来るよね?
きっとまた来るよね?
おばあ様の言ってることは嘘だよね?
テラはそんなこと言ってないよね?
私はいつまでも待ってるよ。
テラが来るのをずっと待ってる。
頑張って我慢するよ。
だって私たちは誓ったんだもの。
だからいくらでも我慢できるよ。
テラが来るのを信じているから。
「…………」
私はクマのぬいぐるみ見つめて、また何度も何度もテラの姿と声を思い出す。
テラ……、きっと来てね。
そして私を外の世界へ連れて行って。
テラの力で私の世界を変えて。
でもね、実はテラが来ただけで私の世界は変わりつつあるんだよ。
私、テラに出会って、初めて男性と外の世界を知ったんだよ。
男性は想像していたよりもずっと優しくて、素敵だった。
そして世界は思っていたよりも広くて、全てが想像以上だと分かった。
私の手にあるクマのぬいぐるみだって、本当にあるなんて知らなかった。
テラからしたら動物のぬいぐるみなんて当たり前だっただろうけど、私には思いつきもしなかった。
実は私が知っていたのは人形さんだけなんだよ?
次はテラが乗っていた四足歩行の動物が何なのか教えて欲しいな。
鹿みたいな動物だったよね。
私知りたいの。
テラとお話して、もっと知りたい。
私はその時を心待ちにしてるよ。
来るって信じているから。
ずっと……信じている。
いつまでも、テラが来るって…………信じている。
けど、一週間経ってもテラが来ることは無かった。




