一夜明けて
夜明け。
ほのかな日の明かりのおかげで、私はやっと自分の寝室に行けた。
部屋に入れば私はよろよろと弱々しく歩き、膝を床に着けてそのままベッドへ力無く倒れ込む。
上半身を受け止める柔らかいシーツがふんわりと気持ち良く、本当にわずかだけど気が楽になる。
でも、吐きそうなほどに体調が悪い。
気だるく、体の中のもやもやがとても不愉快。
特に、異常なまでに体が熱いのが一番困る。
「はぁ……ぁ…」
不思議と息が荒くなる。
風邪、かもしれない。
いくら暗闇で自分の寝室が分からなかったとは言え、何も無い部屋で壁に寄り添いながら一夜を明かしたのは失敗だったかな。
おばあ様を呼んで寝室に連れて行ってもらう方法があったけど、大声を出してテラの睡眠を妨げたくない。
「ん……」
あまりの喉の渇きに生唾を呑む。
いくら頭が正常に働かないにしても、下品なことしてしまった。
そんな後悔をしていると閉め忘れた扉から、誰かが入って来る気配を感じた。
「お嬢様?」
おばあ様の声だ。
私は力を振り絞って頭を上げて、おばあ様の方を振り向く。
おばあ様はいつものようにワゴンを押していたようだが、私の状態を理解したと同時にワゴンを置いて走ってきた。
「お嬢様、どうしたのですか?」
とても落ち着いた口調で、しかし内心の焦りからなのか、若干早口で容態を尋ねてきた。
「とても……、調子が悪いの。お飲み物、お願い…するわ」
小さな声で途切れ途切れに答えたが、おばあ様はしっかりと理解したようだった。
ただ急いでいて、いつものお辞儀はなかった。
その代わりいつもより大きな声の返事をしてくる。
「かしこまりました」
おばあ様は私の体を支えてベッドに座らせてから、ワゴンを近くへ移動させてカップにあの苦い紅茶が注がれた。
おばあ様からカップを手渡され、私は時々手を震わせながらもほんの少しだけ飲んだ。
慣れていても分かる苦味のおかげか、何となく気持ちが僅かにスッキリする。
「ぅ…ん、ありが……とう…」
カップをおばあ様に返すと、おばあ様はポケットから薬包紙を取り出していた。
薬は私がいつ体調が悪くなっても対処できるように、おばあ様が常に携帯している。
「お嬢様、どうぞ」
薬包紙を私に渡され、中の薬をすぐに口に含んだ。
そして次は水が四分目まで入れられたガラス製のコップを渡された。
「ん……ぅ…」
私はすぐに水を飲み干し、コップをおばあ様に返してからベッドに潜り込んだ。
そして意識は暗闇の中に淀んていき、深い眠りへと落ちていく。
しばらくして、目が覚めた。
ぼんやりとした意識の中、私はいつの間にか眠っていたことを理解する。
何となく上半身を起こして隣を見ると、おばあ様が椅子に腰掛けている姿があった。
私が起きたのを知ったおばあ様は何も言わず立ち上がり、長さ一メートルほどの布を手にとる。
「体を拭かせて頂きます」
そう私に言ってから、おばあ様は私の服に手をかけようとしてきた。
しかし私は軽くだが、反射的におばあ様の手を払いのけてしまう。
おばあ様は私の行動に驚いて目を丸くしたが、私も自分自身に驚いている。
だから落ち着きを取り戻すために息をゆっくりと吐き、自分の白い手を見つめたままおばあ様に謝罪した。
「ごめんなさい、おばあ様。少し気が動転しているみたい…」
「いえ」
「………今は何時なの?」
尋ねると、おばあ様は懐中時計をポケットから取り出して時間を確かめる。
「午前11時27分です」
「そう、ありがとう。そういえばテラさんはどうしているのかしら?」
まだいるとしたら、もう少し話をしておきたい。
そう思いながら視線を上げておばあ様を見ると、布を置きながらなぜか苦い表情を浮かべていた。
「テラ?あの迷い人のことですか?お帰りなさいましたよ。泊めて下さりありがとう、お話がとても楽しかった、と仰っていました」
「………」
帰ってしまったんだ…、とても残念。
まだまだ聞きたいことが沢山あったのにな。
「案内無くても平気だったのかしら?」
私がテラを心配した言葉を投げかけると、おばあ様は一層不機嫌な顔をした。
何でそんなに嫌な顔するんだろう?
私にはその理由が分からない。
「昨夜は豪雨のせいで視界が大変悪く、道が分からなかっただけだそうです。今日は快晴なので、川を辿ればすぐに街に着くと言っておりました。何よりお嬢様を放ってはおけないので、ご案内はなさいませんでした」
おばあ様は私をキツく見据えて続けた。
「それよりお嬢様」
「何ですか?」
「あの迷い人に名乗ったそうですね」
不思議な発言。
なぜそんなことを厳しい口調で言うのか理解できない。
おばあ様が何を聞きたいのか予想できない。
「そうよ?礼儀としては当然だと思いましたけど、何か問題があったの?」
「いいですか、お嬢様。お嬢様の家系は最大と言ってもいいほどご立派な貴族でした。それが今ではこの廃れようです。それを晒すようなことは、ご両親を辱めるようなものなのですよ」
おばあ様は迫るように言ってきた。
しかも昨晩のような冷たい目で。
「わ…、分かったわ。ごめんなさい…」
一瞬、思わず言葉が詰まった。
風邪のせいか、おばあ様に気圧されてか、未だに頭がうまく働かなくて分からない。
そんな私が戸惑った表情をするとおばあ様は私の状態を思い出し、一歩を身を引いて少しだけ頭を下げた。
「…失礼しました。少しキツく言い過ぎましたね。これ以上の会話はお身体に障りますので、ゆっくりとお休み下さい」
「……ん、そうするわ」
テラのことを考えながら、私はそう返答した。
そしてテラのことを思い浮かべたら、唐突に私は外に出たいと思った。
だけど、言わなかった。
だって今の私は風邪だし、外は雨のせいで地面が酷く濡れているから、おばあ様が許すわけがない。
「では、私はこれから庭の手入れを行いますが、何か御座いますか?」
そう丁寧に訊かれたけど、私は大して思考を働かせないで間を開けずに答えた。
「何も無いわ。眠るだけだから、三時間後起こしに来てちょうだい。その時にいつもの紅茶を頼むわ」
「かしこまりました」
おばあ様は私が再びベッドに潜り込むのを見届けると、ワゴンを押して静かに部屋から出て行く。
パタンと扉が閉められてから、私はため息を吐いてベッドから身を起こした。
駄目だと分かっていても、外出させてくれるか訊けばよかったかな。
そうすれば何とか明日は外出させてもらえるように、約束ぐらいはできたかもしれない。
軽率な発言になるとはいえ、そう思うと後悔する。
外に行きたいという気持ちからか、見つかったらおばあ様に怒られるな、と思いつつも私はベッドから出て窓に近づいた。
ついでに椅子を動かし、外が見える位置に置いて腰をかける。
私はのんびりと外を眺めながら、テラが住んでいる街の風景を想像した。
とても賑やかで夜も騒がしく、様々な物があり、きっと沢山ドキドキすることがある。
最早、私にとってまるで夢のような場所だった。
テラの話を聞いたら、我慢ができなくなりそうなほどに外の世界を見たいと思った。
そう思ってしまった。
外へ行きたい。
テラと一緒に。
そして次は別の国も見てみたい。
大変だろうけど、不可能じゃないはず。
だって窓を開けてここからちょっと手を伸ばせば、もうそこは外なんだから。
頑張って歩けば街に行けるから。
更に歩けば別の街に行ける。
船というものに乗れば、大海原を越えていける。
別の国って一体どんなのなんだろう。
テラの話を聞いても、別世界みたいで想像がなかなかできなかった。
見たい。
外を見たい。




