盗賊王 ザカリアルの場合
別に貧しくてとか、やむにやまれない事情はなかった。何かの決意でもって始めたものでもない。そういうことが得意だった。イケナイ事という響きが好きだった。
無傷の盗賊王の名はただ勝手に面白がって民衆がつけたに過ぎない。彼は自らそう名乗ったりはしない。役人は彼を相手にもて遊ばれる。彼には弓1つ拳1撃とて届かない。危険地帯と呼ばれる魔物の縄張りへ平気で飛び込んで消えてしまう。憎たらしく思うがまるで手は出せず歯がみするのは役人だ。
だが、近年その懐を潤沢に満たしているのは被害者のいない悪徳であった。古くから魔物の縄張りと呼ばれ人知の及ばぬ地帯が今や「盗賊王の住まう国」と呼ばれる。1つや2つではない。格別に危険で人の手付かずな森や山の奥深くは金の成る木だ。
魔物が群れている地帯。そこはどんなに豊穣溢れていようとも、人は目の当たりにしながら指を咥えて「無い物」として扱ってきた。それをペルピィ・ザカリアルは手に入れていた。
誰も恐ろしくて触れない財産。宝石も食物も水も何もかもがそこにあるのだ。盗賊としての矜持も特に無く愉快ならばそれで良い男だった。ペルピィによるルールが全ての住処。手下として集まった賊は誰も彼に逆らいはしない。
役人が盗賊王の居場所に当たりをつけて木々を分け入り、もしも彼を捜し当てたとしても捕縛の上で生きて帰ることは難しい。
しかし、その富は次第に余所者へと知れる。豊かな土地は誰の物ぞ。賊にいいようにされて良い物か?
「俺が手入れして粗地なめしゃ、俺のもんだ。当然だろ?それでも欲しけりゃくれてやってもいいんだぜ?ここが手に負えるっつうんならな」
軍隊が押し寄せ、守り抜いたとて特にもならぬと土地を『譲った』こともあった。だが、そこから富を得られた話は1つとてありはしない。この魔境を住処とできるは、無傷の盗賊王ペルピィ・ザカリアルが傘の元であるがゆえである。
崖の上から下界を見る男はニヤニヤしながら草を巻いた紙先に火をつける。横には酒瓶がいくつか転がっていた。足に肘をついて顎を乗せ、芯が残った果実を崖下に投げ捨てた。木の合間から見える集団は、魔物達から悲鳴か怒号をあげて逃げ回っている。これで散り散りになれば後は各個人の運次第だ。
ペルピィにとって獣や魔物を挑発して誘い込む程度は屁でもない。素知らぬ顔で縄張りを変えさせて外敵と遭遇しやすい位置に餌を撒いて『飼って』やれば、便利な番犬に早変わりというわけだ。
「おかしら、どうしやす?」
ペルピィは崖下から目を離し、恐々と逃げ腰の手下を振り返る。汚い背格好は獣臭く誰もが盗賊だと指を差しそうな無骨者だが度胸は無い。まだ年若いペルピィより余程年を重ねているであろうに。
気候が過ごしやすいNR地区にアジトを構えて早数年。思い出したようにやってくる役人が追い返されようと突破してこようとペルピィにとってはどうでもいい話だ。ここまで訪ねてくるようなら別のアジトに出かけるだけだし、略奪された元アジトだった山や森もどうせ維持できず役人はとっくに撤退しているだろう。なんせアジトと言っても住みやすく整備したわけではない魔境のままなのだから、今まで無理だったものが手におえるはずはない。
「正面から付き合ってやる義理はねえだろ。鷲熊の巣でも突いて来いよ。あの程度なら食い散らかしてくれるだろうよ」
「巣を!?俺が殺され・・・や、解りやした・・・」
「報告だぜ、おかしら!」
ボリボリとフケを撒きながら去っていく男と入れ違いに、黄色い肌の目を泳がせた男が崖の上に現れる。常に正気を無くしている男は、やはり今もアルコール臭を漂わせている。
「糞野郎共ぁ、いつもより勢いが半端ねえぜ!」
「なんの泣き言だぁ?せいぜい3個部隊程度だろうが。英雄様が出張ってきやがりでもしたならともかく騒ぐんじゃねえよ。まあ、野郎はてめぇの尻に火がついて遊ぶ余裕もねえだろうがな」
久しぶりに町へ出た時に視界に入った瓦版の1面には、数年前に単身で烈火の如くペルピィを追撃してきた騎士が軍を退陣した、という記事で飾っていた。かの男はペルピィよりも年若いため退職するにはまだ早く、かつ戦闘で剣を握れぬ障害を負うとするにも「ありえない」と久方ぶりに瓦版を手にした。
おちおち昼寝もしてられないからと近年西に拠点を移した英雄騎士は、どうやら魔物からの防衛戦に失敗したらしい。山にいる大量のオーガが英雄のいない方向から四方八方で暴れた結果だ。記事を読めば読むほど軍の無能ぶりにペルピィは腹を抱えて笑わせられた。山を一人でグルグル走りながら掃討しろということか!
良い気味だ、と瓦版片手に愉悦に浸りながら酒を飲んだのは記憶に新しい。
最近では西でも非常事態があったらしく、連日瓦版は号外まで出している。あまりに珍妙な世間の動きだ。しばらく瓦版が面白い読み物になりそうな予感がした。
「いや、半端ねえのは人間じゃなくて獣の方なんでさぁ」
現実に引き戻されてペルピィは手下にガンをつける。
「あ?ここに獣が多いのは最初からだ。ついに脳みそボウフラでもわいたか」
そう言いながら、きな臭い動きがペルピィの目にも入った。獣の大群に横から襲い掛かる別の獣の群れがいる。森の上からでも分かる木の揺らぎ、隙間から争う・・・。
「おいボウフラ。我が物顔で他人の耕した土地に侵入して来てる連中に獣使いでも混じってやがんのか」
「はあ?知りませ」
言葉途中で酒瓶を顔面に投げつける。
「ぶあっ!?」
獣の群れに襲いかかっている獣はこの森にいるようなタイプではない。しかも群れているはずのない複数の種類が、森の獣の群れを襲っている。
「ひぎゃああああ!!」
ペルピィの後ろで痛がっていた盗賊が再び野太い悲鳴をあげた。殺気がペルピィの首筋にかかり、それを彼は軽やかに空中で身を捻って避けた。跳んで逆さまになった景色の中で猛獣リオンを見た。急所を正確に知っているような無駄のない噛み殺され方だと分かる下僕達。崖の上に続々と複数の獣が集まってくる。まるでリオンが従えているように見える光景だった。獣使いが使役しているのならば近くで鞭を振るっているはずなのだ。これだけ大量の獣なら、獣使いの数も相当潜んでいるはず。
何処だ?
増えていく獣を見回して人間の姿を探す。だが、見回すたびに増えていくのは見本市のような異種族が並び立つ獣の群ればかりで。
「マジかよ」
ポケットに手を突っ込んで、厚くなっていく囲いを顎を突き出して片足立つ。
「獣使いの仕業にしちゃあ、使ってる人間が見あたらねえ。命令してる人間がいねえのに従ってるなんざどういう了見だ?ああ?」
獣達が襲いかかってくる。
されど、それが役人であろうが獣であろうが変わらないのだ。ペルピィは襲い掛かってくる獣が着地する地面もない程ひしめき合っていようとも、背を蹴り足の下をくぐり隙間を縫ってしまう。
千の獣を自由自在に操る獣使いという瓦版のトピックスを思い出す。世の中には非常識な存在がいるものだ。一人で巨獣に挑んで退治したなんていう物語をやってのける実在が怪しまれる英雄もいれば、理屈を無視した魔術で悪夢を繰り広げる魔女もいる。そして、ペルピィのように風の如く獣が姿を見失う盗賊もいる。
ここで樹海を守りきるのは割りに合わない。第一そんなことで駆けずり回る男ではなかった。世界中に人が手をこまねいている危険地帯は溢れている。
クツクツと笑いをもらす。
「そんな得がねえゲームにわざわざのってやる義理はねーんだよ」
獣の姿を見ながら大きく一歩後退する。そのまま大量の獣を前にペルピィは姿をかき消した。
崖を落下しながら壁面を蹴って速度を上げて谷底を目指す。
森の中で生き残っていた下僕たった3人が馬を駆ってペルピィに続く。満身創痍な下僕を気にかけず道なき道をひた進んで、不意に寂れた人気の乏しい山道が木の間に馬首を巡らせる。
音だ。
ペルピィは口角を上げる。山道を獣車が1台だけで暢気に通りかかる音だったのだ。御者台にいるのは間抜けそうなフワフワの髪をした羊娘である。たずなを持つ手は垂れ下がり獣が走るままに任せるような御者だ、上手く獣を御してカーブを駆けることなどできまい。
次のアジトを探すまでの足代は必要だ。世の中は奪い奪われ回っている。久しぶりに盗賊らしい仕事をしてもいい頃合いだろう。
「さて、積み荷の中身は」
舌なめずりをしたペルピィに、すでに疲労の濃い下僕が悲鳴をあげる。単なるアジトの引越しだというのに。
そして今回の引越しが単なる引越しでは済まなくなり、突然の迷惑な関所ブームと山狩りのせいでのんびりとするわけにもいかなくなってしまった。それでもペルピィは騒々しい世の中の動きの中で高みの見物と洒落込む。
「さっさと自首したらどうだ、この悪党!何が学者だ!ううう、プシィに名前まで呼ばれやがって」
「お前がなんなんだ!筋肉だるまの図体で魔法使いとかなんのギャグだっつうの、人様の商売をことごとく邪魔しくさりやがって!この俺様が生活苦だと?慰謝料払え!!」
「悪事を働くと分かっていて止めないわけにいかないだろう!俺がいるのを知ってて獣車に乗り込んできたからにはお前の悪行もここまでにしてもらおうか」
「元はと言えばてめぇが追撃かけてきやがったせいだろが!いくら俺様でもてめぇに付きまとわれながら片手間に活動出来ねえんだよ。こっちははした金しか手に入らねえ、背に腹は変えられんのじゃ!役人共は無駄金使いまくって関所ばっかり作りやがるし」
いっそこうなったら御者を人質にでもとって足代わりに利用してやろうと思って懐に飛び込んでみれば、御者女は暴虐武人を絵に描いたような手合いときた。
「後ろの2人、騒ぐんならすぐに車から降りてちょうだい。ウトウトしてたのに目が覚えちゃった。二度は言わないわ。次は罰金として乗車料2倍にするから」
「ちょっと待て、車運転しながら居眠りしようとしてたのか!?」
高みの……見物である!