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ある先生のお話 《上》

作者: 10zenn

短編のくせに、読みにくくなっていると思います。


申し訳ありません。

 1


「リツコ先生、残念なんだけど、アナタは、今日を持って退職ネ」




 律子先生――水内みのち律子といいますが――は、教頭先生の言葉を聞いて、何かの冗談かと思いました。


「ハハハ。ええっ、そんな。もう、ご冗談はよしてくだいよぉ」

「水内先生、私はネ、こういう真面目な話で嘘をつくことはございませんヨォ」


 苦笑いを浮かべる教頭先生の方こそ、冗談はよしてくれと言っているように、律子先生には見えました。


 律子先生は、一瞬頭の中が真っ白になりましたが、そんなことはないと考え直して、「冗談キツイですよ」と言い残してから、職員室を後にしたのです。



 律子先生が今日、つまり、このM高校に赴任してから4年目に、本当に退職させられてしまったと理解したのは、3時間目の授業に出たときのことでした。





 2


 律子先生は、高校で現代文を教えていました。


 初めてこのM高校に来た時、律子先生は25歳でした。当時の律子先生は、教育に対する意欲に燃えていて、それはもう、漫画で見かける体育教師のように、熱い先生でした。


 勉強熱心な子には、それはもう、たいへん的確に褒めることができまして、成績優秀な生徒には、とても人気のある先生でした。


 しかし一方では、成績不振であったり、提出物を出さなかったりする不真面目な生徒には、嫌われそうな先生であったとも言えるでしょう。何せ、律子先生が怒ると、三つ向こうの教室にまでその声が響くぐらいでしたから。



 律子先生が初めて担任となったクラス、1-2に、M君という生徒がいましたが、彼はちょうど律子先生が嫌いになりそうなタイプでした。



 彼は律子先生が嫌いで嫌いで仕方がなく、昼休みになるとしょっちゅう律子先生の悪口を言いふらしていました。M君は、同じく成績の悪い生徒や不真面目な生徒たちとつるんで、時々問題を起こしました。


 元から真面目な生徒の多い学校でした。だから、M君がしでかす問題も、そこまで甚大なものでも、非道というわけでもありませんでした。



 しかし律子先生は、その度にM君たちを本気で叱りました。何時間も叱りました。女の先生ですが声は低いので、怒るととても恐ろしいのです。あまりにも恐ろしいので、M君とつるんでいた一人が、叱られている最中に泣き出すほどでした。高校一年生の、しかも男子生徒が泣き出すのです。いかに律子先生の叱り方が凄まじかったのかが、恐らく分かるはずです。


 時に『律子先生が暴力を振るっている』などと言って、保護者からクレームが来ることがありました。しかし、律子先生は自身の叱り方を変えませんでした。



 それが恐らく、彼女にとってのアイデンティティーに近いものだったからかもしれません。


 ワタシは今、そのように思います。



 3


 ところがある時、律子先生はそんな厳しい叱り方をやめてしまいました。



 律子先生の身に何かが起こったわけではりません。律子先生のお母さんが亡くなったとか、『良い先生になるためには』とかいう本を読んで感化されたわけではありません。



 何せ、律子先生の叱り方は、律子先生のアイデンティティーに近いものですから。自分を象徴するような何かを、簡単に捨て去ることはできないでしょう。そうではありませんか。自分の分身のように大事にしているものを、そう易易と――




 4



 では、何故律子先生は、彼女の叱り方を捨ててしまったのでしょうか。恐らく、自分を捨ててでも達成しなくてはならない何かがあったのでしょう。それも恐らく、強い強制力を持った、法律のようなものが、彼女を、狂わせてしまったのです。


 彼女を退職に追い込んだもの――それは、このような取り決めでした。




『生徒が望む教師を多数決で決定する。

 そのために、多数決で最下位となった各科目の教師は、即刻退職とする』




 律子先生はこのような取り決めを知らされた時、頭が真っ白になりました。





 5


 律子先生の体に、戦慄が走りました。


 律子先生は、どうしてもこの教師という職を続けていかなくてはならないという、強い意思がありました。(なぜこのような意思を持つに至ったのかは、ここでは語りません。語る必要がないくらい、普遍的で、ありふれた理由ですから)



 律子先生は、M君のような生徒たちには嫌われていることを理解していました。


 教師であり続けるには、とにかく生徒に人気でなくてはならない――こう思った律子先生は、必死で考えました。このまま『あの叱り方』を続けてしまったら、この先、もしかすると……。M君たちの、見下し、蔑む顔が、最悪の結末が、律子先生の脳裏に浮かびました。




 ◇◆◇



(自分を失ってでも、社会を生きるためなら)


(社会を生きるために、何故自分まで失わなくてはならない)



 ◇◆◇




 しかし、『あの叱り方』をする先生は、もうこのM高校にはいませんでした。


『あの叱り方』は、律子先生を象徴する一つのアイデンティティーです。『あの叱り方』を放棄してしまえば、律子先生という特別な先生は消えてしまい、律子先生は『先生という名の群衆』の中に存在する一人の普遍的な先生となってしまうかもしれない……。要するに、律子先生は、『律子先生』自体を失いかねないということです。自分らしさを失うと言っても過言ではありません。



 律子先生は、悲しいことに、『あの叱り方』だけが自分のアイデンティティーだと考えていました。




 それでも、律子先生は自分自身を捨ててしまいました。



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