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五衛星都市シリーズ

Gift for You

作者: 広河陽

 AD 2045

   Christmas Eve

   Lonly Holy Night



 ペリステラーは商業・娯楽の複合施設コンプを中心に構成された衛星都市サテライトシティである。衛星都市ときいて、地球にへばりついている都市を想像してもらっては困る。この時代、衛星都市といえば月の兄弟──宇宙に浮かぶ都市、スペースコロニーのことを示すのだから。

 月と地球の重力均衡宙域ラグランジュ・ポイントに群をなすペリステラーを含めた5つの衛星都市が1つの国家として機能し始めてから間もない、西歴2045年12月24日。人々は宇宙の開拓地に、やはり地球の文化をもちこんでいた。


 クリスマスイブ。ペリステラーを覆う天蓋スクリーン、人工の空には、おあつらえむきに零れるほどの星がまかれている。もうじき気象管理局の環境制御装置、通称「お天気コンピュータ」の指令で雪が降ることになっている。だから、ホワイトクリスマスという言葉は必要ない。クリスマスに雪が降るのは当たり前のことなのだから。

 街角にはサンタクロースがちらほらしている。もちろん、本物ではない。もしかすると本物が混じっているかもしれないが、少なくとも、ここにいるサンタクロースはアルバイト学生だ。

 名を鞍之くらのイツムという。春から学究衛星都市グラウクスのスクールでセミナー(専門課程)を学ぶことになっていた。

 どんな学問でも、それを研究したいと思う者はラボという研究機関に属するのが一般的な道である。

 ラボに入るには2つの道がある。1つはスクールのセミナーを卒業すること。ただセミナーに入るにはスクールの標準過程を修めなければならないが、これでは飛び級制度をフルに活用してもラボに入る頃には15才以上になっている。しかしラボには15才以下の者も所属している。彼らはもうひとつの道を通ってきているのだ。つまり、ラボの研究者に論文を認められること。論文を認められるのは至難の技である。知識よりも、ずば抜けた才能がなければならない。

 イツムのような凡人にはセミナーを卒業するしか方法はなかった。

 彼は岐路に立たされていた。セミナーは、自然科学・社会科学・芸術などとおおまかに分けられており、どこに属するかを来月までに決定しなければならないのだ。イツムが考えている進路は2つあった。宇宙建築学と風俗考古学である。宇宙建築学は彼の幼い頃からの夢だ。

 ペリステラー、グラウクスといった衛星都市は宇宙建築学の発達の賜物である。次々と衛星都市が建築されていくのを様々なメディアで見てきたイツムたちの世代にとって、宇宙建築技術者は憧れの的である。極僅かだが宇宙建築学の適性がテストによって認められたからにはそれを一生の仕事に、と考えるのは、この世代に共通している。

 だが、イツムに宇宙建築学の適性を示したのと同じテストは、彼にとって最悪の結果をも示した。それはもう1つの進路、風俗考古学のそこそこの、しかしながら宇宙建築学よりははるかに高い適性だった。

 イツムの父親は論文を認められて12才にしてラボ入りした風俗考古学者である。その父親に毎日毎日風俗考古学の話を聞いて育った子供に、その適性がない筈がない。だが適性があるからと父親と同じ学問を選ぶのは、親に仕向けられたようで気が進まないのである。その上、イツムは考古学に嫌悪感を持っていた。

 宇宙建築学は衛星都市を産んだが考古学は何も産まない、というのが彼の嫌悪感の核だ。考古学上の発見は、実際生きている人間の役には立たない。そんな学問に熱中して妻に逃げられる父親のようにはなりたくない、という深層意識も働いているのだろうが。

 イツムにとって重要なのは宇宙建築学は自然科学系に、風俗考古学は社会科学系に分類されていることだった。いつかは選ばなければならない、と父親に言われ続けた「いつか」が、ついに訪れてしまったのである。

 そんな時にもかかわらず、イツムは別なことで頭を悩まさなければならなかった。

 鞍之イツムは現在、ペリステラーでいちばん不幸せだった、と言っても過言ではあるまい。2年の間、交際してきた恋人に絶交を言いわたされたばかりだからである。原因は、今やっているバイト──具体的に言えば赤い服に白い髭をつけた扮装で街頭に立ち、店の宣伝をする──だった。問題は仕事の内容でなく、それがクリスマスイブでなければならないという方だ。

 イツムの恋人、ヒフミは理解ある女性だった。イツムは、ヒフミとの交際を始める前からクリスマスイブのバイトをやっていたのだが、それを続けられたのはヒフミの理解があったからである。

 この時代「クリスマスイブは恋人同志で過ごさなければならない」というのが「風習」になっていた。それはあたかも汎衛星都市憲章に規定されているかのごとく、市民に浸透していた。

 去年のこと。そんな風習をやぶりたい、と打ち明けると予想どおりヒフミは怪訝な顔をした。

 イツムは理由を幾つか並べた。風習のおかげで人手が足りないこと。イツムのように常連のアルバイターは少なく、重宝されること。そして何よりも、サンタクロースは子供たちに夢を見せるのが仕事であること、等々。

 理由を話し終えると、ヒフミは黙ってうなずいてくれた。クリスマスのバイトは2人の間で暗黙の了解となったとイツムは思った。

 それが、今年のヒフミはどうしてもクリスマスイブを一緒に過ごしたいと言い出した。

 時すでに遅し。イツムはバイトを決めてしまった後で急に取り消すことも出来ず、そのまま絶交を言いわたされて今に至っているのである。

 バイトをキャンセルするのは不可能なことではなかったが、進路で頭を悩ましていたイツムには手続きが億劫だったのだ。だが結果として、面倒を避けたつもりがもっと面倒なことを招いてしまった。

 これも考古学のせいだ、とイツムは乱暴ながら結論づけていた。そもそも自分が考古学に適性がなければ進路で頭を悩ますこともなく、ヒフミと面倒を起こすこともなかった。

 そういえばサンタクロースをヒフミに説明する際(サンタクロースがどんな存在であるか正確に述べられる人はこの時代なかなかいない。多くの人は「クリスマスイブの日、街に立っている」というイメージしか抱けないのだ)、自分が心底嫌っている考古学の知識を何気なく使っていたことに後から気づき、イツムは眉をしかめたものだったが、その時よりも、もっと考古学が嫌いになれそうだ。

 不意にあごに違和を感じてイツムは手を当てた。あごにはサンタのトレードマークである真っ白な髭が特殊接着剤でつけられているのだが、何やら痛がゆい。接着剤が肌に合わなかったのだ。

 今度の休憩時間に外して鏡で見てみよう。そう決めて、おざなりになっていた仕事に戻る。

 雑踏の中にふと流れてきた、分子モルシート売り上げチャート上位常連の「フィギュア」の歌、「バレンタイン・ギフト」に耳をそばだてる。

 イツムが今年、バイトを引き受けたのはレコード店だった。この場合レコードとは音楽記録媒体全般をさす。音盤レコードは言うまでもなくCDやMDでさえ今では骨董品で、一般的に売られているのは分子シートがほとんどだ。イツムがバイトをここと決めたのは、バイト代のオマケとして店頭デモ用の分子シートがもらえる、という旨味があるからである。もらう分子シートはもう決めている。明日からデモ用に流されるフィギュアの新曲「ロンリーホーリーナイト」の分子シートだ。バイト前にこっそり聞いてみたが、いい仕上がりになっている。気弱でプレゼントをわたせない新米サンタクロースを歌っているのだが、かなり専門的な風俗考古学の知識を下敷きにして作った歌詞だということが窺い知れた。この歌がヒットすれば、世間のサンタクロースのイメージはより豊かなものになるだろう。

 フィギュアには、バレンタイン、サンタクロースといった風俗考古学で扱うようなものの歌が多い。多分、作詞作曲担当のビリオン・エイトの趣味なのだろう。友人にフィギュアの歌の風俗考古学的題材のうんちくを講釈する時だけは、イツムも考古学への嫌悪感をひととき忘れられた。

 イツムは店内の時計に目をやった。もうそろそろ休憩の時間だ。あごのかゆさは頂点に達し、我慢できそうもない。じきに交代のサンタクロースが出てくるだろうから少々早めに引っ込んでもいいだろう、とイツムは判断した。かがんで傍らのVM(ヴィジュアル・分子シート)プレイヤーからVMを取り出す。デモ用VMは交代と同時に取り替える決まりになっている。

 新しいVMをプレイヤーにセットし、立ち上がろうとしたイツムの視界で毛糸の房が揺れた。目で追うとそれはマフラーに繋がっており、マフラーは少年に巻かれていた。

 長いのだろう、ふた巻きして結んでも、まだ持て余し気味だ。長さから考えても、ダークブルーを基調とした落ち着いたチェック柄から考えても、マフラーは少年のものではなく父親か兄のを借りてきたに違いなかった。

 少年はじっとイツムを、というかイツムの衣装を見ている。サンタクロースが珍しいのだろう。

 なけなしのサービス心を総動員してイツムは立ち上がり、少年に向けて奇妙な声を上げた。

「ホーホーホー!」

 これは伝統的なサンタの笑い方とされているものである。風俗考古学では常識だ。ついでイツムはこれまた伝統的とされるサンタの質問を口にした。

「メリークリスマス! お若いの、君の名前はなんていうんだい?」

 驚いたように瞬く少年に、イツムは重ねて訊いた。

「君の名前を教えてくれないかな?」

「ナナヤ」

 ぽつりと名だけを答える少年。警戒しているのだろうか、表情が硬い。イツムは髭が動いて見えるように、いつもより口の端を上げて笑い顔をつくる。

「ナナヤ、今年はずっといい子だったかい?」

「うん、ぼく、いい子だったよ。だからプレゼントをおくれよ」

 イツムは、息を飲んだ。サンタクロースが「いい子」にプレゼントを渡すということを知っている子供がいたとは……風俗考古学をかじらないと判らない知識だというのに。

 サンタクロースがうろたえるのが可笑しかったのだろうか、ナナヤは噴き出した。が、慌てて口を押さえ、決まり悪そうにイツムを見上げる。

「どうしたのかな?」

 イツムは老人がよくそうするようにゆっくりと言って目を細め、腰を屈めて少年の目の高さに自分の顔を持っていく。するとナナヤは再び噴き出した。

「今時珍しいね、サンタクロースのなんたるかを知っているアルバイターなんてさ」

 サンタクロースに徹するのを、イツムはやめた。

「サンタクロースのなんたるかを知っている子供の方がもっと珍しいと思うけどね」

 子供に馬鹿にされてまでサンタのふりをし続けられるほど旺盛なサービス心を、彼は持ち合わせていなかったのだ。

「子供のくせに、よくそんなことを知ってるな」

 イツムが吐き捨てると、ナナヤはすまして言う。

「仕事で使うから。アルバイトじゃなくて本物の仕事さ」

 陳腐な当てこすりだったが、進路に悩む今のイツムには充分な効果があった。イツムは立ち上がり、少年を威圧するように見下ろして言い放った。

「子供にできる仕事なんて、俺はしたいと思わないね」

 これまた幼稚な面当てだったが、ナナヤは見事に応じてきた。

「子供、子供っていちいち何だよ、俺にはナナヤっていう名前が……」

 言いかけて、ナナヤは勝ち誇った笑みを浮かべる。

「……それよりも通りがいいビリオン・エイトを名乗ればいいのかな」

 確かにビリオン・エイトはホロピクチャーを公開していない。

「おまえがビリオン・エイト? ……ハハッ」

 笑って済ませようとしたイツムの喉が凍った。街の喧騒が遠ざかったような錯覚を覚える。

 いわば覆面アーティストであるビリオン・エイトは、こういう時に出す名前としては上出来だが、思い当たる節がないわけではない。ナナヤはサンタクロースを知っていた。そして、ロンリーホーリーナイトを作詞したビリオン・エイトも、サンタクロースを知っているはずだ。

 ナナヤが口笛を吹き始める。そのメロディにイツムは確かに聞き覚えがあった。イツムの顔付きが変わったのを見て、少年は勝ち誇って、にやりとする。

「明日発売の新曲、ロンリーホーリーナイトのサビの部分。レコード屋でバイトしてるなら、もう聞いたと思うけど」

 フィギュアは、発売前の歌をあらゆるメディアネットワークに載せるのを禁止している。発売前日に歌を知っているのは関係者以外に有り得ない。どうやら、このナナヤという少年は本物のビリオン・エイトらしい。

「ティーンエイジャーってのは何かで読んで知ってたけど、まさかこんな子供だなんて……」

 するとナナヤは急に不機嫌な表情になる。

「さっきから『子供』を連発してるけどな、バイトのサンタさん。俺、こう見えても14だぜ」

 てっきり11、2才ぐらいだろうと思っていたイツムはまた言葉を失ってしまう。

 二の句が継げないアルバイターに、今をときめくアーティスト、ビリオン・エイトは芝居かがった仕草でため息をついて見せた。

「もっとガキだと思ったろ、背、低いもんな。よくあるんだ、そーゆーこと。仕方ないよ、俺、成長期にいいもの食ってないもん」

 ビリオン・エイトが幼い頃に両親を亡くしたということは知られている。あまりにもあっけらかんと言われたのでイツムに同情の念は起らず、逆に憎まれ口をたたきたい誘惑にかられた。イツムの瞳が街のイルミネーションを映していたずらっぽく輝く。

「でもいいよな。音楽の才能があったから、自分で自分を食わせられたんだろ? 才能がある奴はいいよな、迷う余地がなくてさ」

 からかうイツムにナナヤは意外にも落ち着いた声で応じた。

「迷ったよ」

 イツムには急に少年が大人びて見えた。仕事の時……ビリオン・エイトの時には、こんな雰囲気をナナヤはまとっているのだろうか。

「音楽以外にもやりたいことがあったから。結局、それをネタに今、詞を書いてたりするけどね。でもさ、俺には他に選べなかった。姉貴の学費とか生活費とか、そんなの考えてたら自分に与えられた才能を生かすしかなかった」

「ナナヤさあ……」

「ん?」

 ビリオン・エイトのまま、少年は無力なサンタに視線を投げる。

「ナナヤ、やりたいことをやり遂げる気はなかったのか? 才能あるからって音楽をやって、後悔してないか?」

 やりたいことというのは風俗考古学なのだろうとぼんやりと、イツムには判った。ナナヤはどうなのだろう、好きな考古学ではなく才能のある音楽を選んで。訊いておかなければならない。イツムはそう思った。瞳につい力がこもる。

 イツムの視線を、ナナヤは受け流した。

「正直言ってわかんない。やりたいこと、本気になってたらできてたかもしれない。でも俺はやらなかった。逃げたっていえばそれまでだけど……。音楽を選んだことは後悔してないよ。たくさんの人に俺の仕事、楽しんでもらえるもの。それに、やりたいことはどんなふうになってもやっちゃうもんだし」

 ナナヤが空を振り仰ぐ。先程まで満天の星空を映していた天蓋スクリーンに、所々、灰色の雲に覆われてきている。と、思うと白い細かな氷の粒が舞い降りてきた。雪が降り始めたのだ。

「天から与えられた才能ってやつを生かす方が、俺は大切だと思ってる」

 きっぱりと言い切るナナヤの、小さな肩に雪が降り積もる。

 雪の結晶の一つ一つはフィギュアの歌に熱狂する人々の、ビリオン・エイトへの期待。しかし、ナナヤはそれを重いとは感じないに違いない。

「ふうん……」

 イツムは思わぬクリスマスプレゼントをもらってしまったのかもしれなかった。何気なくあいづちを打つイツムに、頭を悩ましている問題の解決の兆しが見えてくる。備わっているものを生かす。見えていないならまだしも、イツムは自分が何に向いているかよく知っている。ただ、それを認めたくなかっただけだ。

 視線を感じて、イツムは我に返った。いたずらっぽい輝きを放つ2つの目が自分を見つめている。目の前の少年は、もうビリオン・エイトではない。

「あんた一応サンタだろ? だったら俺のプレゼント、聞いてくれないかな」

 ナナヤの願いに、思わぬクリスマスプレゼントをもらってしまったと勝手に思ってしまっている弱みもあってか、イツムは即答してしまう。

「期待するなよ、聞くだけならな」

「期待なんかしてない。ただ、誰かに聞いてほしいだけなんだ。それに、あんたじゃ俺の願いを叶えられないってことぐらい判ってる」

「どうせ俺はアルバイターですよ」

 イツムはふてくされる。確かに目の前の少年のように自分は立派な仕事を持ってはいない。何も、それをあからさまに口にしなくてもよいではないか。

「そーゆー意味じゃなくって」

 笑いを交えながらナナヤは言う。こんな子供らしからぬ配慮をする時、ビリオン・エイトが垣間見える。ナナヤは少しためらい、話し出す。

「……俺さ、姉貴いるんだ。半年ぶりに会ったのさ、そしたら姉貴、ちっとも笑ってくんないの。たった一人の肉親なのにだよ。そうしたら、俺にこれを」

 そこで少年は首に巻いたマフラーの端をちょいと持ち上げ、振って見せる。

「手編みだぜ。姉貴こうゆうの、からっきし駄目なんだ。なのに……。長さとか柄みたらわかるだろ?」

 イツムはうなずいた。初めに見当をつけたとおり、マフラーは、やはりナナヤのものではないのだ。

「俺、姉貴に笑ってほしいんだ。それができるのって、多分、このマフラーの本当の持ち主だけじゃないかな」

「俺じゃ、役者不足ってわけか」

 不器用を押しての手編みのマフラーと来れば、いつの時代でも答えはおのずと1つ。

「生憎ね。髭を取ったあんたがどんなハンサムだったとしても無理だよ」

 髭、と聞いてイツムは不審がった。自慢ではないがどんなにレポートに追われても、2日に1度の髭剃りは欠かさない。顎に手をやり、改めてイツムは気づいた。そう、彼は今、白い髭を生やしたサンタクロースなのだ。

 ふいに後ろから肩をたたかれ、イツムはふりむいた。見れば、そこにはサンタクロースが立っている。イツムのバイト仲間だった。

 と、そのサンタが手を合わせてあやまり始める。

「遅くなって本当に悪かった。すまん」

「いいってことさ」

 軽く言ってイツムは彼が謝るのをやめさせる。サンタクロースがサンタクロースに謝るなんて、風俗考古学的見地から言って子供に見せるものではない。

 それからイツムは辺りを見回した。ナナヤに何かもう一言ぐらい言おうかと思っていたのだ。だが、ナナヤの姿は見当たらない。

 雪が周りより薄く積もっている所があった。それだけが、つい先程までここに誰かが立っていた跡だ。

「イツム!」

 名前を呼ばれて、イツムは店の中に駆け込む。呼んだのはカウンターに陣取る店長だ。

 普段は無愛想な親父だが、今は、妙に顔を歪ませている。本人は笑っているつもりなのだろうが。

「おまえ宛てに、TVフォンがかかってきてたぞ」

 アルバイターにTVフォンがかかってくることの何が楽しいのだろう、とイツムは思ったが、次の一言で訳が知れた。

「相手は、女の子だ」

 イツムは慌てて店内のTVフォン端末に向かう。

 予感がしていた、否、確信だ。自分にTVフォンをかけてくる女の子など彼女以外にありえない。

 その通りだった。モニターには三日月眉の、いかにも聞き上手と言わんばかりのおっとりした女性──これがイツムの彼女、ヒフミだ。

 その、別れたはずのヒフミがTVフォンの向こうであっけにとられた顔をしている。

 はたと思いついて、イツムは髭を剥がす。サンタクロースの扮装をしていては、判らないだろうと思ったからだ。

 大きな音がして、イツムは思わず悲鳴を上げてしまう。

「大丈夫?」

 気遣うヒフミの声を聞いた途端、不覚にもイツムの目尻に涙が滲む。

 失いたくない。この声を、自分をみつめる瞳を、何よりも、その声と瞳を持つこの人を。

「聞き分けないこといって、ごめん」

 数時間前まで言えなかった言葉が、今は不思議と素直に言えた。

「私こそ、ごめんね」

 用意していた言葉なのだろう。どこか、表情がぎこちない。

「実は弟に会わせたくて無理を言ったの。弟、忙しい仕事でなかなかスケジュールの調整つかなくて……それが、クリスマスイブだけは空けられるからって。ごめんね。私、焦ってた。どうしてもあなたを弟に会わせたかったの……」

 ふと、イツムは思い出す。ヒフミには、弟しか肉親がいない。

 イツムの頭の中で符号するものがあった。それを確かめるべく、イツムはおそるおそる思いついた言葉を口にしてみる。

「弟さん、有名人なのか?」

「うん」

 嬉しそうにうなずくヒフミ。唯一の肉親だという割には、ヒフミはあまり弟の話をしなかった。しかし、たまに弟の話をすると、今のように何とも言えない幸せそうな笑みをヒフミはいつも浮かべるのだ。

「今まで黙っていてごめんなさい。会ったらびっくりするわよ、だって……」

 ヒフミの言葉をイツムは遮る。

「ビリオン・エイト、なんだろ、弟さん」

「どうして判ったの?」

 不思議でたまらない、と言わんばかりのヒフミをイツムははぐらかす。

「勘かな」

 するとヒフミは、ころころと笑った。

「変なの」

 笑うヒフミを見つめるイツムの顔にもまた、笑みが浮かんでくる。

「なるべく早く、バイト切り上げて帰るから」

「待ってる」

 それじゃ、といってヒフミがTVフォンを切ろうとする。イツムは早口でモニターに向かって囁いた。

「弟さんに、あのマフラーは長すぎるんじゃないかな?」

「え?」

 ヒフミは聞き返したが、イツムは素知らぬふりをしてTVフォンのスイッチをオフにした。

 会ったら驚くだろうな。そう思ってイツムは一人で、くつくつと笑う。ナナヤの願いを叶えられる唯一のサンタクロースは、イツムだったのだ。

――Fin.

 15年ほど前に書いた物語です。今や音楽はネットを通じてのダウンロード販売へ、連絡は個人の携帯電話が当たり前の時代。今から見れば違和感がありますが、あえて原文のまま掲載します。

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