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母の恋人  作者: jinxx.
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母と娘の真実3

 ◆一月十五日◆

 

 昔から、夫は母に頭が上がらない。学生時代から母に援助をして貰って、しまいには開業や自宅を建てる資金まで出させたのだから当然だ。

 母はそんな夫へ、「私と離婚するなら今まで援助した資金全額を一括で返済」するよう命令した。夫の今の収入では難しい金額ではないだろう。が、夫はその条件をのまなかった。つまり、私と離婚せず、母に恩を売ったのだ。悪知恵の回る男だ。これで、母と対等になれる。そう思ったのだろう。


「――祐子さん」


いつものスーパーでの買い物中だった。耳元に低い声で囁く男がいた。私は緊張で体を強張らせる。


「聡、私に構わないで。それが望みなんでしょ?」


視線を合わせず、言い捨てると彼から離れる。しかし聡は、私の後ろにぴったりくっついて来た。


「これが最後です。俺から貴女に接触することは、これが最後。貴女の旦那さんから、示談金を貰いましたし」

「だったらいいじゃない!傍に寄らないで」

「ねぇ、どうです?警察で事情聴取を受ける感じ。自分が異常者のように扱われる感じ。どうです?」


そこで私は、聡を振り返る。そこには嘗て私が溺れた、愛らしい顔がある。


「――貴方、何なの?何が言いたいの?」

「繭美ちゃん、元気?」

「え、繭美?繭美がなんなの?あの子に何する気なの?」


その背中に投げかけた言葉を、聡は無視して歩き出した。繭美?私は聡に、あの子の名前を教えただろうか?どうやって、娘の名前を知ったのだろうか?





「ねぇ繭美。もしママとパパが離婚したら、貴女どうする?」

「え?どういうこと?」


いつもは無表情な繭美も、流石に慌てた様子を見せた。


「パパ、他に好きな人がいるのよ。だから、ママはもう用無しなの」

「え!パパが離婚したいって言ったの?女がいるの?」

「――そうよ。パパ、いつも帰りが遅いでしょ?その女の所なんじゃないの?」


そこで繭美は、暫く悲しげ顔で考え込んでいた。大人びて見えても、まだ十八歳だ。子供だ。


「で、ママと一緒に暮らすとしたら、やっぱお祖母ちゃんのとこ?」

「そう、なるわね。少なくとも暫くは。もし、ママにお仕事がみつかったら、都心に戻って来られるかもしれないけど」

「うーん――」


繭美が私と暮らしたい!と即答しないことが、思った以上にショックだった。けれど、こんな母親だもの、無理もないか。


「田舎は嫌だなー」

「じゃ、貴女はパパと一緒に暮らすって言うの?」

「少なくとも、パパと一緒ならこの家にいられるでしょ?」


そうか。母親よりも、この都会の空気の方が大事なのか。愕然としてしまった。それには繭美も申し訳ないと思ったのか、「ママと一緒にいられないのは寂しいけど」と付け足した。


「いいのよ。気を遣わなくても」


やはりこの家には、私は必要ではないのだ。暫く、ここを離れよう。




‥ ◇ ‥ ◇ ‥



「――まだ、起きてるの?」


机に向かっていた私の首に、聡の両腕が急に絡みついた。小さな悲鳴に、聡がくすくすと笑う。


「どうしたの?」

「トイレ。あと、喉が渇いた。酒飲んだからかな」


母の日記は、手の中でくしゃくしゃと小さくまるまる。


「早く寝なよ、明日仕事でしょ」

「うん。君が隣で寝てないと、寂しいんだー」


甘えた酒臭い息を吐いて、聡は寝室に消えていった。


「どうやって、娘の名前を知ったのだろうか?」


その言葉が引っかかった。聡は警察に被害届けを出す際に、興信所か何かを使って私達を調べたのだろうか。いや、違う。聡自身が、私に告白したじゃないか。私のことを、母より前に知ってたって。ガソリンスタンドで、母の車の助手席にいる私を見て好きになったって。聡は、母より前に私を知っていた。


「君のママに会い続けたのは、彼女が君のママだったから。僕は君に会えるという下心から、誘われるままに食事に行った」


これは、聡の告白した言葉。ガソリンスタンドでちらっと見掛けた少女を、そんなに好きになるものだろうか?聡はもっと前から、私を知っていたのではないだろうか?頭が激しく混乱していた。


「カズミと聡が知り合ったのって、高校だよね?それ以前の聡のことって、知らない?」


アメリカにいるカズミにメールをしようとして、止めた。カズミと聡の絆には、私が知らない歴史がある。こんなメールをしたことは、いくらカズミに秘密にしろと言っても守られないだろう。では、誰に聞いたらいい?もっと、もっと前の聡のこと。


「繭美さん、マリッジブルーなの?」

「――違うけど」


次の日、亜矢香のオフィスに向かった。亜矢香のお嬢様気質を、利用しようとしたのだ。裕福な家に生まれた者は、人を欺いたりするのが下手だ。例え嘘をついても、私は見破ることができると思った。


「何でそんなことが気になるの?」

「ねえ、亜矢香の家に聡が養子に入ったのは、彼が何歳の時?」

「そうね、多分十五歳じゃないかな?」

「高校一年生くらい?」

「そうだったと思うわよ。私が中二の時だったと思うから」


だから、何?苛々とデスクの書類を整理しながら、亜矢香が聞いた。


「その前は何処に住んでたの?」

「確か、茨城だったんじゃないかな?彼のお父様が会社を経営されていて、そこで若い後妻さんと三人で暮らしてて。でも、お父様が事故で亡くなって……。後妻さんはまだ若かったから、聡さんに縛られるのは可哀想って。お母様の所に来たんだけど、いろいろ大変でね。うちに養子に入ったのよ」

「茨城の前は、どこに住んでたの?」

「ねー、そんなの、本人に聞けばいいでしょ?」

「聞けたら、ここになんて来ない」


観念した亜矢香が深い溜息を吐いて、答える。


「繭美さんのお父様の家の近くよ、確か」

「えっ?」

「知らなかったの?どうしたの、真っ青よ」


立ってられなくなって、思わずソファーにへたり込んだ。視界が真っ白だ。意識が頭の後ろから引っ張られる感じ。


「貧血?ちょっと、横になったら?」


慌てて飛んで来た亜矢香が、ハンカチを顔の前でひらひらさせる。


「大丈夫?救急車呼んだ方がいいかしら!あ、主人に電話してみる」

「旦那さん、外科医じゃないの?大丈夫だよ。最近たまになるんだ。仕事で睡眠不足だからかな」

「そうなの?病院行った方がいいわよ。結婚式直ぐなんだから」

「うん。ごめん、忙しいのに来て。しかも、こんな感じになって」

「繭美さん、結婚前で不安になるのは分かるけど。けれど、お母様のことは忘れなさいよ。無理かもしれないけど、貴女の幸せを優先なさいよ。ね?」

「なんか亜矢香に言われると、ちょっと辛いなー」


そうなんだ。奪った聡のことを疑って、亜矢香に相談に来るなんて。私も相当な、馬鹿だ。


「――亜矢香、ごめんね」

「いいのよ」


だって、今が幸せだもの。と亜矢香は続けた。


「繭美さんを好きな聡さんと結婚しても、幸せにはなれなかった」


――私は、聡と幸せになれるのだろうか?



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