母の呪縛2
私は視線だけを動かして、病室内を見渡した。花瓶に溢れんばかりに活けられたかすみ草以外は殺風景な病室。それが私の今までの交友関係の狭さと、浅さを表していた。
「あの人、どうなったの?」
「繭美を刺した人?それとも、あんたの愛人?」
「両方」
「奥さんは拘置所。旦那は、知らん。パパに聞いてくれ」
「口止めされてんの?」
「まぁ、そんなとこ」
「ねぇ、あのかすみ草、誰?祥子さん?」
「違うよ」
意味深にウインクするカズミの瞳には、例の黒い縁取りはなかった。髪も南国の鳥から、カラスになっている。
「雰囲気、変わったじゃん。何で?」
「繭美が危ない時、神様に祈ったんだ。繭美を生かしてくれたら、自分のスタイルを変えますって」
照れ臭そうに語るカズミは、濃い化粧の時より遙かに可愛かった。危ない……。そして自分が死の淵を彷徨っていたことに、今更のように恐怖を感じた。
「神様が言うことを聞いてくれたから、私はやっぱり、ヤツと仲直りしなくちゃなんないよ。繭美が生きていたことは、私の糞みたいな人生の中で一番いいことだよ」
「カズミ……、ありがと」
「私達、 傷跡シスターズだね」
「色気無いなぁ」
暫し笑い合った後、カズミがやけに神妙な顔になった。
「助ける。なんてエラソーなことは言えないけどさ。私も頑張って生きるから、一緒に頑張ろうよ」
そして、「あぁ~っ…。頑張るなんて言葉は嫌いだけどさ」と頭を掻いた。
「頑張るよ」
私達はきつく手を握り合った。
「繭美……」
呆然と現れた父の顔は窶れて、急に老け込んで見えた。
一、大声で怒鳴る。
二、泣き叫ぶ。
三、殴られる。
等のオプションが頭を過ぎり、私はシーツをできるだけたくし上げる。
「――カズミちゃん、外してくれないか?」
父がそう言って近寄って来たので、これは、3、殴られる。だと思って目を閉じた。しかし私の予想は外れて、父の重みをベッドに感じた。片目を開けると、父が泣いている。。これは安堵の涙だろうか?それとも平穏に生きられない、自分の人生を哀れんでだろうか?
「済まん。繭美、すまん。パパは父親失格だ……」
父は一頻り泣いた後、初めて弱音を吐いた。
「パパは、お前のことが一番大事なんだ。大事なんだよ……。お前が幸せになる為だったら、パパは何でもするから」
涙でグショグショに濡れた父の顔を見て、それを拭ってあげたかった。あんなに偉そうにしていた父を、ここまで打ちのめしたのは私。それをずっと望んでいたのに……。
「パパこそ幸せになって」
「パパのことなんか、どうだっていいんだよ」
「パパだって、初めて心穏やかになれる人に出会えたんでしょ?」
「ママはな――」
そして良い言葉が見つからないのか、父はそこで押し黙った。
「祥子さんとは、どうして知り合ったの?」
「あいつが死んで、聡君と彼女がお参りに現れた。彼は、ママの死は自分のせいだと言ってね。それから……、男一人じゃ食事にも困るから、たまに彼女の小料理屋に食べに行って……まぁ、そんなとこだ」
そして「お前に隠すべきじゃなかった。すまん」と項垂れた。
「――幸せになってよ、パパ」
「え?」
「祥子さんと、結婚していいよ。寧ろ、早くしなよ」
父は険しい顔をして、私の額に触れた。
「お前、眠りから覚めて頭がおかしくなったんじゃないか?」
「違うよー。私はパパが、私の為に泣いてくれただけで十分だよ」
「そうか。少し安心したよ」
父の顔が、泣き笑いに変わった。
「ねぇパパ。お願いがあるの。あの人なんだけど……」
「犯人か?」
「そう。何とかして上げて。ママと重なるから……」
父は暫く考えた後、小さく「分かった」と呟いた。和之が病院に何度も足を運び、父に追い返されていたとカズミから聞かされたていた。
「――あいつは、悪い男だ」
「彼だけが、悪いんじゃない」
そう。私だって。