表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母の恋人  作者: jinxx.
21/34

母の呪縛

 ホテルを出て見上げると、真っ青な空が広がる。ここに来る時も、帰る時も、殆どが夜だった。駆け出したい気持ちを抑えて、私はゆっくりと歩き出す。聡に会ったら、冷静に自分の気持ちを伝えよう。伝えて、私達が今後どうすればいいのか、真剣に話し合おう。

 私は気持を落ち着かせる為に立ち止まって、また空を見上げた。その時だ。衝撃と痛みは一瞬だった。背中と、振り向いた腹部と。体内から流れる血は、こんな真っ黒な心の私にしては綺麗な綺麗な赤だった。ふわりと後ろに倒れると、アスファルトの熱を背中に感じた。このまま、水滴が蒸発するように私も消えて無くなりたい。


「あぁ……、空が青い」


トクトクと体から命が流れる音を聞きながら、その空へ吸い込まれるように意識が遠のいて行く。気持ち良い……。でもその時、黒い影が私の視野を遮った。


「死ね!」


そいつは言った。ドス黒い顔をした、不気味な女。


「シネ!」


シネ!シネ!シネ!


「貴女は――」


その女の顔を思い出した時、母のあの言葉が蘇った。


「繭美が悪いんでしょ!」


ママ、あの時は、私は悪くなかったんだよ。でも、今度は私が悪いね……。何故ならこの女は、和之の奥さんだから――。


「ごめん、ママ」


 不思議と痛みはなかった。血が流れるその場所が、熱い。けれどその熱さも、襲って来る眠気にだんだんと薄れて行く。静かだった。道路の真ん中に横たわっているのに、何も聞こえなかった。

 霞んだ意識の中を漂う私に、ハラハラと紙切れが落ちて来る。まるで雪のように沢山、沢山……。眠くて眠くてしょうがないのに、私は力を振り絞ってその紙切れを手に取る。


「――モウナニモカモイヤ。マユミヲコロシテ、ワタシモシヌ」


どの紙にも、どの紙にも同じ文が書き殴ってあった。


「マユミヲコロシテワタシモシヌ」


「マユミヲコロシテワタシモシヌ」


「マユミヲコロシテワタシモシヌ」


これは母の字だ。ならば?私は光に貫かれたような、衝撃を受ける。これは母の日記の最後のページだ。祖母は実の母が娘を殺そうとした事実を、隠したかったんだ。

 母が私を殺そうとした事実に、恐怖と、そして何とも言えない安堵感に包まれる自分がいた。母は、私も一緒に連れて行こうとしたんだ。私も、一緒に……。

 日記のページが、沢山、沢山、落ちてくる。私を覆い隠すように。


「マユミヲコロシテワタシモシヌ」


「マユミヲコロシテワタシモシヌ」


ママ…、私も連れて行って――。


目を開けて暫くすると、少しずつ体の感覚が蘇って来た。それは痛みや、気怠さだったが、何故か腰から下が重く、起きあがることができなかった。私を見下ろすカズミに助けを求めようと、必死に腕を伸ばした。


「ね、起こして、ここ、どこ?」

「ここは病院。分かる?」

「――足が動かない、何で?」

「今は上手く動けないだけで、一生って訳じゃないらしい。心配すんな」


少しずつ、あの時の記憶が蘇って来た。私に覆い被さった真っ黒な影、あれは、和之の奥さんだった。私は刺されて、お腹と、背中、血が真っ赤だった。――足が、動かない。断片的な記憶がしっかり繋がると、激しい恐怖が襲って来た。


「私、どうなるの!?」


本当は、暴れたい。けれど自由に動くのは、両腕のみ。その腕すら、微かに痺れている。


「しっかりしろよ!」


カズミに怒鳴られて、別の疑問が浮かぶ。何故、父はいないのだろう?


「何で、カズミだけなのの?パパは?」

「わたしゃ、繭美パパに頼まれた」

「パパは、私の傍にいたくなかったの?」

「いたよ、最初は……。繭美が、寝過ぎなんだよ」

「――何日、経ったの?」


私は、はっとして聞き返す。勿論それは、自分の病状を聞く為ではなかった。聡と亜矢香の結婚式が、どうなったか知りたかったからだ。


「一ヶ月近く寝てたんだよ。あっ!先生と、繭美パパに連絡して来るからさ。取り敢えずまだ起きてろよ!」


一ヶ月近く?なら聡は、亜矢香と結婚してしまったじゃないか。けれど、二人の結婚式に、出席しないで済んだ。幸せそうな二人を、見ないで済んだ。

 日記の最後のページを握った感触が、まだ右手に残っていた。それが例え幻であったとしても、このまま母の気持ちを知りつつ聡と結ばれる訳にはいかない。真っ白な天井を見上げたまま、声を上げて泣いた。


「腹部の傷は浅く、傷も殆ど残りませんが、問題は背中でして。その、足に繋がる神経を切断していて……、手術は成功したんですがリハビリが必要でしょう」


そして医者は私の手を取り、潤んだ目で宣言した。


「僕が力になりますから!一緒に頑張りましょう!」


その若い医者が出て行くと、カズミが苦笑してこう告げた。


「あいつ、繭美に惚れたみたいだよ。日に何回も何回もここに現れてさぁ。魂胆がみえみえなんだよねー」


私を気遣うカズミが、似合わない冗談を言う。


「そう言えば、パパも直ぐ来るってさ。あと聡なんだけど……」

「――聡のことは、聞きたくない」


こんな状態で、聡の幸せな結婚生活なんて聞きたくなかった。


「分かった」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ