08 この世界
腫れた腕に包帯を巻きながら、私は思わず瞼を伏せた。
その後訓練のために長時間放置してしまった腕は傍から見てもわかるほど膨れている。
窓際に座って外を見ると見知らぬ町が目に映る。星が瞬く夕食時のこの時刻、オレンジ色の光が点々と灯り始めていた。
「ハル、これで冷やすといい」
ガチャリとドアが開きエルガーとディアが部屋に入って来る。そういえばここってエルガーの部屋だからノックとか無くていいんだった。
ディアが持っていたのは氷袋。反対の手には包帯も。
「ありがとう」
「……ショックだった?」
受け取る時にそう尋ねられ、私は思わず固まってしまった。
「……ちょっとびっくりした」
「だろうね、騎士団の訓練なんて女性には向くものじゃないから」
「でも……」
「やると言ったのはお前だ」
エルガーの厳しい声音に唇を噛む。
あの時背を向けたこと自体が間違いだった。何年も剣道をやっているのにそんなことすらわからないなんて、お父さんに顔向けできない。
「騎士団は戦地に赴くこともある。その時、敵と直接刃を交えることになったらお前相手に手加減して自分が死ぬ気か」
「エルガー、言いすぎ」
「いいよディア」
ここは日本じゃない。
この国が一体どういう国なのかは知らないけど、確かにエルガーの言うとおりだ。もし本当に誰かと戦うことになったら―――殺し合うことになったら。
「今日の試合でもしあれが本物の剣だったら、お前は首から上がなくなっていた」
「エルガーッ!」
「黙ってろ」
そんなことは知ってるよ。
剣道だって同じだ。もし竹刀が刀で、面なんて喰らおうものなら体が真っ二つになる。突きを喰らったならば喉を突きとおされてしまう。
それが実際に起こるかもしれない場所。
「わかった。次から手加減はしない」
「ハル……」
「大丈夫だよディア。私、鬼のようなお父さんの罵声を浴びて育ってきたんだから。エルガーの言う通り、試合を試合だと思っちゃいけない。私が甘かっただけだもん」
―――大丈夫、こんなのでいちいち落ち込んでる場合じゃない。きっとこれからもっとたくさんの辛いことがある。
「ちょっとその辺を散歩してくるね」
私は二人にそう言い残し部屋から出た。
―――――――――――――――――――
「エルガー、いくらなんでも……」
「本当のことを言ったまでだ」
部屋に残された二人は机を挟んで向き合っていた。
「意地っ張り!」
「本人も大丈夫だって言ってただろ」
「そんなのウソに決まってるっ!」
ドン、とディアが彼にしては珍しく乱暴に拳を机に叩きつける。エルガーは鬱陶しそうに眉を寄せた。
「いいからお前は部屋に戻れ。そもそも訓練に参加するのだって禁止のはずだぞ」
「話しを逸らさない!」
「帰れ」
エルガーの鋭い視線に、ディアは慣れっこだと言わんばかりに鼻を鳴らす。そして駄々をこねる子供のように「帰らない!」と答えた。
「エルガーはもう少し人に優しくした方がいい」
「お前に言われる筋合いは無いな」
「僕はちゃんと社交辞令なるものを心得ておりますからね。それよりハルのことだよ。彼女がもし―――」
「もし、本当に異世界から来たんだとしたら、か?」
腕を組んでそう続けたエルガーを前に、ディアは碧眼をまん丸にして驚いたと言わんばかりの表情。その様子に眉間の皺を深くしたエルガーは溜息をついた。
「本当にそうだったとしても、あいつには召喚された理由がない。おかしいとは思わないか。何の理由も無しにここに来たなんて」
―――――――――――――――――――
はあ。
私は行くあてもなく一人城内をさ迷っていた。
ところどころ灯りで光っていて煌びやかな装飾がうつしだされる廊下にはまっすぐ続く厚みのある赤い絨毯。両隣には甲冑がずらっと並び、今にも動き出しそうだ。
夕飯時だと言うのに人気は無い。昼間に騎士団で鍛練をした中庭も今は誰もおらず冷たい風が吹くだけだった。
ディアに貰った氷袋を腕に当てながら散策すること五分。場所は全く知らないバルコニー。とは言ってもここにも芝生は生え植物が自ら育っている。オシャレなことに小さい噴水付きだ。この城芝生大好きだな。
そのバルコニーに白い石製のベンチがあったので座ると、当たり前だが冷たかった。そして手すりの間から下を覗き見ると―――ヨーコのマンションくらいの高さだろうか。どうりで町が一望できるわけだ。ちなみにヨーコの家は十四階である。
氷袋もいい加減寒くなってきたので腕からどかし、腫れた部位に包帯を巻きつけていく。このての作業は剣道で実習済みだ。
―――あ、やばい、涙腺崩壊しそう。
ベンチの背もたれに頭を預けると急に色々なことが押し寄せた。
どうしてここに来たの。どうして戦ってるの。どうやったら日本に帰れるの。
この世界では、私は一人ぼっちだ。
「もうわけわかんないよ……」
エルガーに叱られたことだって間違いじゃない。彼は正しい。それに、私が本当に異世界から来たっていうれっきとした証拠だって―――今は携帯電話のプリクラ一つ。ここに呼びだされた理由も意味もわからない。
厳しいエルガーも優しいディアもきっと私を疑ってる。
まだここに来て二日目なのに、気が滅入るの早すぎ。
そんなことは言っても、ねえ?
私は男顔なだけでそれ以外はいたって普通の女子高生だもん。
平和な国で生きてきたんだから。
「ええい、こんなことで落ち込んでどうする七瀬ハルッ! 日本人たるもの気力で乗り切るんだ気力で!」
ぺしん! と頬を叩くとなんだか落ち着いた。
前向きに考えなきゃ潰れる。
何も無くても、今は生きてるんだから。
この身一つあるだけで充分だ。
どっちにしろここに私の知り合いなんて誰ひとりとしていないわけだし、自分の居場所はちゃんと自分で見つけなきゃいけない。
騎士団でたくさん働いて、たくさん眠ってたくさん食べればいい。そのうちきっと周りが私の存在に慣れてくるはずだ。ディアもエルガーも。
同時に調べなければいけないこともある。
「私がここに呼びだされた理由は、何か……」
エルガーは「魔術師の中には召喚ができる人物もいる」って言っていた。
もしかしたら誰かがうっかり召喚しちゃったのかもしれない。
本当に『うっかり』だったらタダで済ます気はないけどね!
そしてもう一つ、日本に帰る方法。
幸いここは大きい城なわけだし、どうにかすれば魔術師さんに会えるかもしれない。そうしたら聞いてみればいい。
それまではなんとかしてここで生きていこう。
空には知らない星。
下には知らない町。
なんとなく胸にせまるものがあって、私は静かに目を閉じた。
よんでくださってるみなさん、ありがとうございます!
これからも頑張ります!