06 朝日は昇る
誰かに体を揺すられている。
ような気がする。
今日は家でゆっくりごろ寝しようと思ってたのに、こんな朝早くから起こされたんじゃかなわないよ。
「おい、起きろ」
ん?
あれ、お母さん、随分声が低くなったね。
「起きろ」
「んー、お母さん、今日は学校休み……」
「お母さんじゃない! いいから起きろっ!」
突然の大声と、くるまっていた毛布をいっきに引っ張られたのとで私の目が覚めた。しかしその頃にはベッドの上を転がっていたはずの体が空中に飛び出していた。
ドンッ! と地響きと共に「ぎゃ―――っ!」と悲鳴が漏れる。
「な、な、なんてことを……っていうかなんでまだここに!」
ベッドから落ちた私の目の前で冷たく見下ろしてくるのはあのエルガー。
そしてその隣では困ったような笑顔を浮かべたディアが立っている。
「せっかく家に……日本に帰れたと思ったのに……!」
「ぐだぐだ言わずにさっさと立て。取り調べだ」
吐き捨てるようにそれだけ言ったエルガーは背を向けて部屋から出ていく。それよりここどこ? 明らかに寝室なんですが。もしかして私の
「純潔の危機!?」
ぷっ、と残されたディアが小さく吹き出した。背を向けているが肩が震えているのは明らかだ。
「心配しなくても大丈夫だよ……ふっ、ハルが昨日話しの途中で気絶したからとりあえず寝かせておいたんだ」
それはわかったけど「ふっ」って何! 「ふっ」って! 笑ってるのバレバレだから!
ディアに手を貸してもらい立ち上がった私はセーラー服を見て茫然としてしまった。着替えたい、今すぐに。いくら王子でも二日間同じ服は嫌だ。風呂も入ってないし。
寝室を出ると、昨日取り調べを受けた部屋があった。奥にあったドアがこの部屋と寝室を繋いでいるらしい。エルガーは不機嫌そうに机の上を片付けている。紙が一杯だ。
「で、取り調べっていうのは?」
「お前の出身地と正体だ」
いや、そうくるとは思っておりましたけど。
一体どうやって証明すればいいんだろう、異世界から来たなんて。
ディアに促されるままイスに座る。エルガーも机に肘を突いて私を見据えた。
「まず、お前はなんの目的があってここに来た?」
「だから目的なんて無いって……むしろ好きでこんなところに来たんじゃない。たまたまここに出ちゃっただけだと思う」
「『出た』とは?」
「笑わずに聞いてくれます?」
真剣に尋ねた私に、エルガーは「聞こう」と間髪なく答える。
「私、日本から……異世界からここに召喚されちゃったみたいなんですよ」
「異世界?」
「私のいた世界では、まあ本や漫画の題材としてたまに書かれることがあるんです。私みたいな女子高生とか、OLとかが何かの拍子に異世界に飛んじゃうっていう……」
言っているうちに声が尻すぼみになった。どうしてこんなところで『異世界に召喚された』なんてことを話しているんだろう。そんなの普通の人が聞いたって信じてくれるわけ無いじゃないか。
「で?」
「でって……信じられませんよね、こんな話。自分で言ってて頭が変になっちゃったのかと思いますよ」
―――これからの道は前途多難だなぁ。
なんとかここから出れたとして、仕事も無い家も無い。知り合いもいないのだからどうやったって乞食の道をまっしぐらだ。ああ、私この歳でホームレスか。
「まったく信じられないわけではないが」
と、エルガーの方から聞こえた言葉に私は耳を疑った。今あの人が言った? 警戒心の塊みたいなあの人が言いましたか今?
「すいません、もう一度お願いします」
「同じことを二度言うつもりはない。だが、魔術師のなかには『召喚』ができる者もいると聞く」
「魔術師?」
「国家公務員だけどね、彼らは」
背後からのディアの言葉に「へえ」と情けなく声を漏らす。魔術師なんているんだ。
「ハルが仮に天井から侵入しようとしても、ここは無理やり壊さないと室内に入れないしね。鍵をこじ開けた形跡も不審者の目撃情報も無い」
「無論、まだ信じたわけではない。そういう可能性があるというだけだ。お前が異世界からウォーターフォードに来たという証拠も無いからな」
厳しい言葉に思わず肩身が狭くなる。
ところが、思い出した。私にだって日本から来た証拠があったんだ!
「私の荷物は!? あれの中に日本から来た証拠があるはず!」
「これのことか」
エルガーがバッグと紙袋を机の上に置いた。どこに隠してたんだそれ!
「そのバッグに白い箱みたいのがあると思うんですけど、それ取ってもらえません?」
言われた通りエルガーはバッグの中から白い箱―――携帯電話を取りだした。二つ折りだったそれを開き待ち受けを見る。
「ちょ、ちょっと待って! 勝手に開かないでよ! それ個人情報がたくさん詰まってるんだから!」
思わずイスから立ち上がり、エルガーの手から携帯をむしり取る。待ち受けはヨーコとのプリクラで、なんだか胸がぎゅってなった。
ヨーコ、今頃どうしてるかな。
「その箱はなんだ?」
「これは携帯電話っていう、これを持ってるとどんなに遠くにいても話せる道具で……そうだ! これで電話して誰かに助けてもらえば……!」
ナイスアイデア! そう思って画面をみると
『圏外』
当たり前だけど異世界と日本の間に電波は流れていなかった。
仕方なく、代わりに写真が保存されているフォルダを開きエルガーに向かって差し出す。
しかめっ面の彼はそれを見て「なんだこれは」と低い声で呟いた。私が渡したのはヨーコと一緒に出かけた時に取った写真で、自分の中では一番よく撮れているものだ。
「それは友達のヨーコとの写真。日本で撮ったやつ!」
「なるほど、これが証拠か」
「まあハルをここまで追い詰めなくても良かったんだけどね」
鼻を鳴らしていた私の耳に飛び込んできたディアの爽やかボイス。
その言葉に「え」と喉から絞り出したような声が漏れた。
「黒髪の人間ならまだしも、黒い瞳の人間はこの世に存在しないはずなんだ」
「そ、そうなんですか?」
「そうそう。昔はいたらしいんだけど、最近じゃもう滅びていないって」
「一人も?」
「多分、一人も」
次の瞬間、私の頭は二度目の噴火をした。
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エルガーに向かって「散々からかって、最悪! 馬鹿エルガー! 鬼畜!」とか「最初から私が異世界からきたってわかってたんじゃん!」とか言っているうちに力尽きた。ディアが後ろから押さえてたから飛びかかりはしなかったものの、叫ぶだけでも結構体力を使ってしまったらしい。
「はぁ……」
「じゃあハル、君が本当に異世界から来たんだとして、仕事は? 働き口あるの?」
「あるわけないじゃないですか」
「だよね」
ディアは怪しげに笑うとエルガーを見た。
視線を向けられた彼は昨日から見た中で最高に不機嫌そう。
「いいんじゃないですか、団長殿。ハルを雇おう」
「え? 雇うって」
「し・ご・と! 仕事がないんじゃお金も稼げないよね。それに君がこの仕事に就いてくれれば団長殿が困ってる案件がいっきに二つも片付く」
一緒にエルガーに視線を向ける。そういえば叩いたりしちゃったけどこの人結構偉いんだっけ。
「……仕方ない」
「やったー! 良かったねハル、仕事見つかった!」
勝手に話しは進んでいるようですが、私が気になるのはやっぱり。
「仕事って?」
ディアは、ん? と首を傾げて当然のように言った。
「シュヴァイツ城の専属騎士団団員」
波乱な日常が始まる予感がした。