05 頭で理解はできるのに
「騎士団を辞めるつもりはないかい?」
もう一度脳内でその言葉を反復する。
騎士団を、辞める。
確かに一国の王として、いやこの世界の一人の人間として私という存在は好き勝手してはいけない人物なのだろう。騎士団は今まででもわかる通り確かに危険な職業だ。
それはわかっているけれども。
「はい?」
自分でもびっくりするほどの笑顔と素っ頓狂な声で聞き返してしまった。
今まで「アルカナでちゃんと役目を全うして日本に帰るぞー!」と決心し地味ながら騎士団で働いてきた。勿論そこで共に働いてきて得た仲間や、充実感がある。
それをいきなり辞めるって……まだ始めて僅かな時間しか経っていないけれど、私の意思は断然続けたいってことだ。アルカナとして役目を全うすると決めた時にも同じことを思ってエルガーに散々文句をつけたのが懐かしい。
だけど王様相手にそう簡単に騒ぐこともできまい。
「ええと……それはもう、決定事項なのでしょうか……?」
「決定事項ではないが、君の選択次第ではいくつかの条件をつけさせてもらうかもしれないね」
つまりアルカナっていう役目は国に縛られてしまうお役柄。それもそうか、むしろ今までが自由過ぎたくらいだ。それくらいは自覚している。
「例えば君が騎士団を辞めるとしよう。そうしたら当然護衛もつけるし、何より君をこの国の客人として迎え丁重に扱うことになるね。騎士団に居続けるということは、周囲に君が異世界から来た救世主だということを隠蔽しなくちゃいけない」
「隠蔽?」
「君が誰かを倒すということは、つまり君もその相手に攻撃される可能性があるということだ。つまり」
「私は大人しく身を隠していた方が安全」
「そういうこと」
王様は笑顔でシュークリームをもう一口。
「ですが私は騎士団で働いていたいです」
王様は私の顔を見て首を傾げる。歳の割に少女のような所作だ。
「仲間が恋しいなら、護衛につけることだって出来る」
「仲間が恋しいから、というわけではありません。純粋にこの仕事が好きだからからです」
「でも騎士団は楽しいことばかりじゃない、だろう?」
―――それは、理解していますとも。
騎士、という言葉はここに来た当初の私には耳慣れなかった。世界史の中だけの中世ヨーロッパにいた人達。実際に戦闘をして、人を殺してきた者達。日本の武士だって戦に出れば血を流し殺し合いをした。
例えば誰かを傷つけることになったとして、私は耐えられるのだろうか。
「まあそこまで私も鬼じゃあない。危険な仕事があれば君は外させてもらおう」
ほっと自分の息が軽くなる感覚。騎士団という職業がかける威圧は、決して名だけで想像はできないものだろう。人の身に太刀を振るうのはいい気分ではないと、それだけがおぞましいほどわかる。
「ただ隠蔽は絶対だ。君自身の安全のため、こちらで勝手にナナセハルという人物を作らせてもらったよ」
「はい」
「字は読めるかい?」
「いえ。こちらの文字は読めません」
「じゃあ今から言う事を紙に軽く書いておいてくれ。そうすれば君も覚えやすいだろう?」
王様がまた指を鳴らす。テーブルの上にまっさらな白い紙とペンが落ちた。
―――――――――――――――――――
「いいか、ハル。ハルが異世界から来たということを知っているのはここにいる俺とエルガー、あとディア。それからエルナイト卿と魔術師団の団長」
「と、アタシってわけね」
ジェラルドからのエミーさんの視線に、椅子に座った私はますます縮こまる。
いつも通りエルガーの部屋に集まったメンバーは皆それぞれ難しい表情を作っていた。
「っていうかなんでアタシにまで黙ってたのよ。教育係なら教えてくれたっていいじゃない」
「エミーに話したらとんでもない大騒ぎになりそうだからだよ……」
「さりげに声大きいからなお前」
ディアとジェラルドのダブルパンチに、エミーさんは苦々しい顔。一方私は手元の紙を見下ろして溜息をつく。
書いてある内容はさほど多くもない。走り書きした日本語は久々に書いたからか少々荒れている。ただそこに書いてある地名や設定を覚えるということが私の悩みの種である。
―――これを全て調べて把握しろというのか……
このげんなりする感じ、アマルテアでサソリに襲われた時以上だ。
「というわけで俺達もまた大っ変な役目を仰せつかったわけだがな、どーするよ団長ぉー?」
「仕方ない。どっちにしたって王からの命だから拒否権は無いだろ」
「そうは言ったって、そうは言ったってさぁぁぁ……」
ジェラルドは私の顔を横目で見て頭を抑える。
「異世界からの救世主を護衛ってソレ……とんでもない大役じゃねーか!」
彼にしては珍しく激しい突っ込みを入れられた。
そういえばジェラルドとエルガーは私の上司ってことで強制的に王様からアルカナのお守りの命を下されたらしい。それもこれも全部私が騎士団に居続けたいとワガママを言ったせいだと思うと申し訳ない。
「ちなみにアタシだって正式に教育係に任命されたわ」
「つまりハルを絶対死なせんなってことだろ? ってことは一日中一緒……これはなかなかいい役職かもしれな」
「ともかくこれからもお世話になります」
ジェラルドの言葉を遮って特にエミーさんの目を見ながら。はっきり強く言うと彼女には視線を逸らされた。そのまま長い金髪を軽くかき乱して寄りかかっていた壁から背を離す。
「アタシちょっとシャワーでも浴びてくるわ。後でまた食堂で」
誰の返事も待たないままエミーさんは乱暴にドアを開けて出て行く。
―――あれ、なんだろう。もしかして気分悪くしちゃったのかなぁ……?
エミーさんが消えた扉をじっと見ているとジェラルドの声が思考を遮る。
「それにしても、ハルがまさか本物の異世界人だったなんてな。黒い眼だからもしかしたらとは思ったんだ」
「そうだね。この世界で黒い瞳は珍しいから」
「……そういえばエルガー前に言ってたよね。黒い眼っていうのは異世界か、事情があってそうなったって」
ふとアマルテアの獅子像の中での出来事を思い出す。精霊さんに皮肉にも呟いた言葉を覚えていたことに自分自身でも驚きだ。
「この世界の人が黒い瞳に関して少しはぐらかすのはね、この世界には純潔の黒眼は存在しないけど後にそうなってしまう場合があるからなんだ」
「……どうして?」
答えてくれたのはディアだった。こういった説明事はたいていエルガーでもジェラルドでもなくディアが請け負ってくれる。
「この世界には魔法があるけど、中には使ってはいけない禁じられた魔法もある。その多くは術者の身体に悪影響を及ぼす。魔法は魔力のほかに基本的に術者の精神や体力、血液や細胞などを削ってやっと使うことができる」
「血液とか細胞って……無くなったらどうするの? 死んじゃうよ?」
「日常的に使う魔法は主に精神力と体力から形作られる。血や肉体そのものを使うのは禁術だけだよ。そして時々魔術師の中では、魔力は自身のものを使い肉体は他人のものを利用する者がいるんだ」
ん? ちょっと待って頭を整理しよう。
たとえば普通の魔法を使う魔術師がいたとする。これには魔術師自身の魔力と体力精神力だけが要る。
そして他に禁術を使う魔術師がいたとする。魔力は自分のもの、血や細胞は人から提供してもらうってことか。
でも、自分の体を他人に提供する人間なんているんだろうか?
「たいてい禁術を使う時は攫ってきた女子供を利用することが多いんだ。魔法に携わりそれが強力であればあるほど、体を提供したものに影響が出始める」
「それが黒い瞳?」
「体に起こっている悪影響は瞳の色素でわかる。暗ければ暗い色ほどそれは」
―――ヤバいってことか。
なるほど、禁止されている魔法に体を捧げるほど体を蝕まれる。たいていは攫われた女子供がその犠牲になるというから、黒い瞳の人間の事情はあまり詮索しないほうがいいってわけだ。大きなトラウマを抱えている可能性があるわけだから。
―――それで眼のことに関しては妙に気まずそうにしていたのね。珍しいはずなのにほとんど誰にも目のことには触れてこなかったし。
でも魔法のことやら何やら色々と勉強になった。今日は覚えなきゃいけないことがたくさんありそうだ。
「あ、そうだ。私ちょっとエミーさんの様子見にいってくる」
「ハル、別に大丈夫だよ」
「ううん。ちょっと話したいから」
さきほど出て行ったエミーさんの様子が気になったので、シャワールームに向かうことにした。部屋に三人を残し駆け足で階段に向かう。
―――――――――――――――――――
「君がここに来て一番時間を共にしているのは誰かな?」
「え……少々お待ち下さい」
言って頭の中で考える。一番一緒にいる人……ルーとロズは知りあってまだ日も浅い。やっぱり騎士団面子だろう。なかでもエルガーは私のハプニングに巻き込んでいる。気のせいじゃない。
「エルガー団長とは探索先でよく行動を共にします。一方的に巻き込んでしまっていると言っても語弊はないかと」
その答えに王様は小さい声で笑った。そして含み笑いの表情で問いかける。頬にはシュークリームの白いクリームが付いていた。
「そうか、君はあの子と仲が良いのか」
そう言うと本人にはきっぱり否定されそうだ。
「他には?」
「先日エミリアさんという方と知り合いまして。彼女は私のことをあまり好きではないみたいですが」
「竜騎士団の団長かい?」
「はい」
確かに、あの子は女の子を好くような性格ではないねと暢気に呟く。王様の緩い雰囲気にさっきから流されっぱなしだけど、いいんだろうか。
「じゃああの子たちでいいね」
「え?」
「いいや、こっちの話だよ」
―――――――――――――――――――
王様との会話を思い出しながら、護衛その他もろもろの話を考えてみる。王はきっと私の周辺に今まで通りの人々を、と思ってくれたんだろう。ありがたい。
「エミーさんには迷惑か……」
嫌いな人間と一緒にいるなんて苦痛に違いないだろう。だから無理して好きになってもらおうとは考えない。
―――けど、モヤモヤするっ!
共用シャワールームに向かって駆けて中庭を横切り、角を曲がると人にぶつかった。
相手の硬い体の胸元に額をぶつけ、激痛が走る。そういえば傷口があったんでした!
「いっつ……」
「ちょっと、気を付けなさいよっ」
その声の主にはっと我に返った。
エミーさんだ。遅れて洗いたての髪の匂い。顔を上げてすいません、と言いかけたところで唇の動きが急停止。
「エミー……さん?」
「はぁ? あんた何言って……ってキャ――――――ッッ!」
高い悲鳴を上げたその人物。確かに声はエミーさんだ。声だけ(・・)は(・)。
自分の体を両手で隠したその人。線は細いが、まずあの大きな胸が無い。そして濡れた短い金髪。服装はエミーさんだけど、体の丸みがまるごと削げ落ちている。そして長かったブロンドも。
「え、エミーさん、お、男っ……?」
身長は少なくとも私より高い。男性にしては肩幅も狭いし華奢な印象だ。そんな男の人が腕で自分の体を隠している。動きは女らしい。
「あ、あの、男なのに、男がすきって……? え、本物のエミーさん?」
「うっさいわね! ああ、もうっ、風呂上りで油断してたわ……!」
顔は化粧で少しごまかしていたのか多少違うもののそれ以外は完全にエミーさんだ。間違いない。間違いないが、信じたくない。
「ってことは私男の人にお尻揉まれ……っていうかホモ……? 同性愛し」
「お黙りなさい! 大体なんでアンタがこんなところにいるのよ!」
ダメだ、口調がもうオネエすぎる。衝撃的真実についていけない。もしやこれは悪い夢なんじゃなかろうか。
「あああいや、あの、もしかしたら私の教育係とかすごく負担になってるんじゃないかと思って」
「そりゃ女の相手なんて嫌に決まってんでしょ」
やっぱりか! 外見は変わってもそこは変わらないんですね!
なるほど。しかしいつまでもこのままじゃ進展は無い。少なくとも互いのストレスにならない程度には関係を良好にしておきたい。
と、いうわけで一番単純な方法。
「エミーさん、仲直りしましょう」
「は?」
「だから仲直り、ですよ。これからは会う機会も増えるでしょうしある程度仲の良い方が……」
「別にそんなこと気にしちゃいないわよ」
―――えっ、それがショックで出てったんじゃないの?
予想外に冷たい答えに顔が思わず歪む。
化粧を落としてもやはり端正な顔立ちの彼女(というか彼)は私をジロリ、鋭い目つきで睨んだ。
「別にアタシはアンタのことなんてなーんとも思っちゃいないわ。とりあえず必要以上に関わらないで。アンタみたいなしつこい女が一番、嫌いなの!」
吠えるように言われ、一瞬呆然とする。
つまりエミーさんにとって私は空気か。最初におばさんって吐き捨てた私も私だが、エミーさんにとっては嫌いを通り越して空気か!
―――お、大人げない!
しかし思え返せば自分の行動も餓鬼だから仕方ない。
「アンタが異世界の人間だってわかったから、もういいわ。つまらないし。どこからか湧いた謎の子供だって聞いたから興味はそそられたけど、種明かしすればそんなものね」
言い捨ててエミーさんは私の顔を見る。間近で見上げる形になるけど、憎らしいことに口元に歪みが見えた。
「ま、あんまりアタシの視界には入らないようにして頂戴?」
微笑んでいるのだろうかこれは。私の視界にはエミーさんの背後に般若が見えるけども。
エミーさんがすっと私から視線を逸らして横を通り過ぎた。洗いたての髪の匂い。その軌道を追うように振り返り、エミーさんについていく。
「待ってくださいよ、おばさん!」
叫ぶとエミーさんは今度こそ鬼の形相で振り返った。美人の怒った顔は恐ろしい。
「私のことは興味本位? 興味が無くなったら、私は単なる空気ですか」
こちらもある程度の殺気を出してみる。声に棘を含ませるが、エミーさんも当然の如く負けてはいなかった。
「アンタにそれ以上の価値があるの?」
それ以上の価値が?
私は空気か。そうかそうか。人間として嫌ってもらえるわけでもなく、最早視界にも入らない単なる気体なわけですね―――何様だこのオネエは。
気付くと、今まで人には向けたことの無い怒気が自分の体から膨れ上がっていた。すごく無意識に、頭では冷静に、だけど全身が総毛立つ。
「性別だけで人の全てを決めつけるような人間に、空気なんて言われてたまるか」
「何言ってんの?」
「確かにあんたは美人だし、スタイルだっていい。だからってね、たったそれだけで図に乗ってんじゃないわよババア!」
廊下に響くほど強く叫ぶと、首元に手がかかった。なんですって、この小娘! と罵声が飛んでくる。白くて細い手首だ、またこれも女らしい。
揺さぶってくる視界に、足を上げてエミーさんの腹を蹴る。お互いに距離を取り、睨みあいながら構える。剣は抜かない。
「自分の持ってる物ですぐ鼻を高くしたら、あなたの本質なんてすぐに見抜かれるに決まってんじゃない! 高飛車な女、顔以外に『とりえ』の無い女ってね!」
「あんたに何が分かるのよ! 何も知らない餓鬼のくせに、偉そうな口きくもんじゃないわ!」
「何も知らないからでしょうが阿呆! 誰もあんたの事情なんて知らないわ、知らないから人が離れるのよ! そのうち男だってあんたの性格に嫌気が差して、絶ッ対いなくなるから!」
今までにない奇声でエミーさんは突進してきた。もう女の見る影は無くなっている。二人して野獣のように廊下に転がり、そのままあろうことかマウントを取られた。
「アタシだってね!」
バチン! と右頬に一発。それから私から見て左側の腕が上がる。
「アタシだって昔からこんなんだったわけじゃないわよ!」
その言葉に目を見開くと、彼の眼は潤んでいた。
潤んでいた、それが逆に私の心に熱をこもらせた。腹筋に力を入れ腕が振り下ろされる前に上体を起こし、そして頭突きをかます。
「いやああああ! いった、何すんのよ!」
「女々しいわ!」
飛びのいたエミーさんに更なる追い打ちをかける。騎士団のために短くなってはいるが、わずかに残る爪を剥きだし彼の顔に思い切り立てた。
声にならない悲鳴が上がった。